中山道六十九次のうち、江戸から数えて四十二番目となる
妻籠宿…
宿場町の機能を失ってからは、衰退の一途だったんだけど、昭和40年になって、この集落保存と、この景観が修復され
まるで、江戸時代にタイムスリップしたかのような景観、かつ馬籠宿と比べると、人通りも少なくて、こちらの方が、長屋も多く、馬籠より「時代劇」の映画の世界に浸れるといいましょうか…
歩いていると「辻斬り」にあいそう…ってことは、一切ありませんが…
昭和の名作映画「座頭市」の撮影場所にもなったようで…ここで勝新太郎が「座頭市」になっていたらしいのよ…
ほら、朝早いと(午前9時ごろ)「座頭市」になった気分が味わえますよ!…誰もいないから…「座頭市」になるっていっても、目を瞑って、ちょっと歩いてみただけだけで、「座頭市ごっこ」は全然おもしろくないけど…
さて、この妻籠宿にへいくには、軽四を第二駐車場に停めました…ここ妻籠宿の駐車場は、有料しかなく、他に第三駐車場もありますが(第一駐車場は、バス、マイクロ専用)この第二駐車場が、妻籠宿の中心部に近くて、便利です…
上記にアップした写真の場所に、裏道からでれますからね…
第二駐車場には目に留まる
「ぴんころ地蔵」
長寿地蔵像
私、元気でぽっくり逝きたいのよ…特に長生き願望はないけど、あの世に逝くときは、ぽっくり逝きたいのよ…
ここは、しっかり手を合わせて…合掌
その横には小山の上に「叶稲荷大明神」
通りかかった縁ですので…こちらでも「二礼二拍手一礼」
その後、R256を横切って裏道のような小径を通って
妻籠宿のメインストリートへと
中心部は「桝形の跡」があって、その高台には光徳寺…そのお寺に昇って行く石段の横には
石仏「寒山拾得」像
「寒山拾得」とは唐時代の僧「寒山」と「拾得」のこと…「寒山」は文殊菩薩、「拾得」は普賢菩薩の生まれ変わりだとか
国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像だそうで…
1984年の長野県西部地震で石段左手の石垣が崩れた際に、その中から石像は発見されたという双体像の石仏で…石に彫られた「双体像」は他にないらしい…
彫りが浅くなっていて、遠目ではよくわからない…夏の日差しの中では、ただの石にしか見えません…けど…
その横には延命地蔵堂が
伝承によると1813年5月10日頃、蘭川の川原に地蔵尊の姿が浮かび上がる石があることを旅人に告げられて知り、当時の光徳寺住職、中外和尚をはじめとする村人たちが、ここまで運びあげたというもの
昼夜の気温差が激しい事から度々結露が発生し、そのさまが、まるで汗がかいているように見えた事から「汗かき地蔵」とも呼ばれているとか…延命岩(汗かき地蔵)は自然石で高さ約2m程、特に女性の苦しみを身代わりになって救ってくれるらしい…
まあ、女性ではないけど、これまで、仕事で、プライベートで何度も「冷や汗」をかいてきた真夏の「汗かきオジサン」が「汗かき地蔵」に手を合わせる…
おお、確かにお地蔵様にみえる!みえる!!
さてさて、「座頭市」が現れたこの辺りは
「寺下の町並み」というようで…その解説板
このそばには
「下嵯峨屋」と呼ばれる長屋
庶民の住居を代表する片土間に並列2間取の形式の長屋で、昭和43年に解体復原された建物とのこと
妻籠宿を南下して
ウマはいないけど…厩…
ここに馬がいたんですね…江戸時代のタクシー会社といってもいいのかな…
その横には「上嵯峨屋」…木賃宿(旅籠)であったらしい…
昭和44年の解体復元では古材を極力残すよう努め、当時の姿を再現したとか
囲炉裏の左右に旅人が利用する部屋が並ぶ珍しい構造のようで
囲炉裏…めちゃデカい!!
道は平坦で歩きやすいけど…強いて言えば…アスファルトが残念な感じも
江戸時代の旅人が立ち寄って顔を洗ったんじゃないだろうか…と思える手洗い場…水は川からの水でしょうか…
「妻籠宿 尾又 」…中山道から、伊奈道が分岐(追分)していたところ…
おしゃごじさま 御左口神を祀る…古代から土俗信仰の神様で土地精霊神"土地丈量神様「酒神」"等の諸説がある謎の神様といわれているらしい
その祠と石仏が立ち並ぶ…
この妻籠宿と並行するように、蘭川が流れていて…先日の大雨の影響で、川の流れが激流で、大迫力…
そんな大自然の眺望を楽しみながら、妻籠宿を南下…
おお、信楽焼きのたぬきがここに
ここは「いんきょ」という店で、朝10時前なので、当然閉まってますが、珍しい藁馬の実演販売をしているよう…
横には、巨大な藁馬(わらうま)が
藁馬には祖霊・田の神・疱瘡神・貧乏神といった神が乗ってくるとされ、民俗的には神送り・神迎え・招福・厄払いの4つの役割を担うそうで…
もし貧乏神が乗ってきたら、笑えませんよね…それこそ「藁馬(わらうま)」…もとい…「わらうな(笑うな)」…ですよね??
さて、この先は「第3駐車場」…なので…ここでUターン…来た道を北上します…
ホント蘭川の流れが大迫力で
そこに架かる橋…
尾又橋
水量があって、コンクリートを流れ降りるさまがド迫力でありながらも美しく…落っこちたら一瞬で下方へ流されてしまうのは間違いない…
さて、ああ、「川の流れのように」といった美空ひばりさんの歌が思い浮かばないような激流の蘭川をしばし、眺めた後は、妻籠宿を引き返して、中心部石仏「寒山拾得」像や延命地蔵堂のあったところまで、引き返し…
光徳寺…
ここの参拝記録は、別の日に、このブログにアップしてあるので割愛
石垣があたかも城跡のようで…
この石垣の上には
「豊川稲荷大明神」
さて、その下方は「桝形の跡」があります
まるで城跡であるかのよう
枡形とは、道が卍のような形になっていて、城下町や宿場町にみられる外敵の侵入を防ぐ仕組みのこと…曲がり角が多いと、馬に乗ってたら走りずらい…つまり、攻め込まれにくいからなんだな
これは妻籠郵便局…
だけど…赤いポストはみあたらない…
これが、そのポスト…「書状集箱」
復元されたものなんだけど、全国の黒いポストの最初のものなんだって
さてさて、ここは郵便史料館も併設されているようですが、訪ねたのは休日、フツーの郵便局と同様、お休み…閉館中でした
さて妻籠宿をどんどん北へと…
写真左側には「脇本陣奥谷」
これについては、別途のブログ記事に詳しく書いたので、どうぞよろしく!
どんどん進むと「水車小屋」があって…
いやあ、この風景といい風情が感じられていいですなあ
そのそばに「高札場」
いやあ、老眼で近眼で…まったく字は読めませんが…なんか江戸時代にタイムスリップ、旅人気分でいいですなあ
この空き地は「口留番所跡」
江戸時代の初期、このあたりに口留番所があって、関所のような役割をしていたよう
幕府が設置すると、「関所」になって…各藩が設置すると、「口留番所」と呼ばれるんだよ…いやあ、このブログは勉強になるね…笑
いやあ、ためになったからって自慢げに言いふらさないでね…口留めだよー!!
さらにその先には、「鯉岩」が…
1805年に発行された『木曽路名所図会』にその絵が載っている中山道三名石の一つでしたが、明治24年、濃尾大地震により頭の部分が落ち、形が変わってしまっているとか…
そして、最後のみどころ
熊谷家住宅
「熊谷家住宅」は、江戸時代の後期に建てられた長屋の「一部」…一部というのは、もともと二軒長屋だった建物の中心部だけが取り壊され、右の居住区の右半分と、左の居住区の左半分がつなぎ合わされ一戸の住宅として改変されたため…1973年に解体復元されて現在の形になった後、この貴重な建築物を後世に伝えていくために町指定有形文化財とし、一般に公開されるようになったよう
囲炉裏…
土間には昔の農具がずらっと…
鉄釜…デカい!デカい!!
これで、妻籠宿の端から端まで…歩いたので…
後は…食べる!食べる!!
栗きんとん、美味しいよ!!!
一個100円で、手作り感満載で
さらに「わちのや」さんの「おやき」
どれにしようか、悩んじゃうけど
私が選んだのは「かぼちゃのおやき」
せいろで蒸したてなので、ホカホカしてて、めちゃ美味しい…
「おやき」を食べながら
今度は、妻籠宿から馬籠宿まで、馬籠峠を越えて、歩いてみたいなと…江戸時代の旅人気分を味わいたいかな…と、おや、き(気)分が、そんな気分に…笑
でも、クマがでるとか…
それは、「こいいわー(鯉岩)」もとい「こわいわー(怖いわー)」
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