新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

“三人寄れば文殊の知恵”「安倍文殊院」を参拝する…

2024-01-15 06:15:31 | 歴史史跡

“三人寄れば文殊の知恵”

の諺

「愚かな者でも三人集まって相談すれば文殊菩薩のような良い知恵が出るものだ」の意で、文殊菩薩のいらっしゃる

 

「安倍山崇敬寺文殊院」こと「安倍文殊院」に行く

 

645年、大化改新の折に左大臣となった安倍倉梯麻呂により建立

安倍一族の発祥の地であり、奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂や平安時代の陰陽師・安倍晴明が出生した寺院である「安倍文殊院」の

“三人寄れば文殊の知恵”で謳われている

日本最大(約7m)、快慶作の文殊菩薩、国宝のご本尊「渡海文殊菩薩群像」のお顔がみたくて…

駐車場への入り口にある実によく目立つ立派な案内表示の石碑…

 

でも、昔は、この小さな石碑が目印だったんでしょう

ここは東山門にあたる場所です

 

駐車場に車を停めて境内マップをみれば…

駐車場が…境内のど真ん中…ちょいと、これはびっくり…

境内の隅もしくは、境外に駐車場があるのではなくて、境内ど真ん中…

これも、参拝客の負担を楽にしようと考えた「文殊の知恵」でしょうか??

 

まずは、駐車場裏手の崖の上に鎮座する

稲荷神社を参拝

阿倍晴明の母親と伝承される白狐を祀ってあるとのこと

昔は、この石に刻まれたこの石碑が案内目印だったんでしょう

さっそく、ひぃひぃふぅふぅ

登りの石段、きっつねー(きっついねー)

到着しました…さっそく「二礼二拍手一礼」

稲荷神社から見下ろす…木々に囲まれた駐車場の奥にある池…そこに浮かぶような「金閣浮御堂・霊宝館」が美しい

稲荷社をおりたところにあるのが

鐘楼堂

その横が、本堂です…

とその前に

本堂と「金閣浮御堂・霊宝館」の拝観券をセットで受付にて購入

 

いやあ、ついにこの本堂の中にいらっしゃる快慶作の文殊菩薩「渡海文殊菩薩群像」を拝むことができる…

さらには、文殊池に浮かぶ「金閣浮御堂・霊宝館」の中に入ることができる…

 

いやー、コーフンしてきますよね…コーフン…と思ってたら

コフン(古墳)がありました…

西古墳

飛鳥時代の645年頃に築造された古墳で、良質な花崗岩を加工して、玄室は一枚の石…中央部分はアーチ状に削られていて、古墳内部の石材は築造当時のままということに驚かされ、また
「古墳内部の築造技術の美しさは日本一」だとか

いやあ、「日本一」がみられてよかった!よかった!またまた、コーフンするねぇ…

文殊院西古墳は古来より、安倍寺の創建者とされる安倍倉梯麻呂の墓であると伝えられているとのこと

玄室には、弘法大師お手作りと伝わる「願掛け不動」が祀られていました

いやあ、弘法大師さまは全国行脚するだけでなく、全国各地でこういった石像や木で仏様を作ったりしてて、凄すぎる!!

文殊院西古墳と文殊池に浮かぶ「金閣浮御堂・霊宝館」の間を挟む参拝路には

 

阿部仲麻呂の和歌の石碑が

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」

 

実は、上の写真の左側の献灯(けんとう)は元内閣総理大臣、安倍晋三さんからのもの…

「安倍」繋がりということでしょうか…

お亡くなりになられたことで、あきらかにグレーに思えたのに、あやふやのまま、封じ込まれた感のする森友加計学園問題を再献灯(けんとう)…もとい再検討(けんとう)することはないのでしょうね

「森友文書改ざん」も、“三人寄れば文殊の知恵”だったのでしょうね…きっと…

 

いかん!いかん!せっかく快慶作の文殊菩薩、国宝のご本尊「渡海文殊菩薩群像」を拝みにきたんだから、元総理のご冥福をお祈りしつつ…うやむやだなあ…といった想いも封じ込めることにしてと

 

そのそばには「仲麻呂望郷しだれ桜」

千本しだれ桜の名所「天空の庭・高見の郷」から平成22年に植樹…なので、この桜をリアルに仲麻呂が眺めていたという訳ではないようです

ではでは、ここで手水舎が目に入ったので、手を浄めまして…かつ、ここにくるまでに、ひょっとしたらへばりついているのかもしれない新型コロナウイルスも洗い流して…ここは念入りに…

龍の口から、そこそこの勢いで水が…

そばにいたガキンチョがいう…「この龍、よだれを出しっぱなし…」…こらこら!!

 

本堂横の「本坊」

その手前には「伊勢神宮への大道標」がありました

さて、いよいよ

本堂…へと

快慶作の文殊菩薩、国宝のご本尊「渡海文殊菩薩群像」は、この中に…

 

昔は、本堂の外からも国宝のご本尊「渡海文殊菩薩群像」が拝めたのでしょうね

本堂は入母屋造りの七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)がありまして

本堂の手前には、賓頭盧尊さま

新型コロナウイルスのせいで、触れることはできません!!

でも、礼堂(能楽舞台)にはアマビエ様が…どどんと

本堂と連なって、釈迦堂

中には釈迦三尊像…明治維新の神仏分離によって、多武峯妙楽寺(現在の談山神社)の御本尊を引き取ったものだそうな…(堂内、撮影禁止)

仏足跡

お釈迦様の足はデカいんです…

奈良時代の大陰陽師「安倍晴明」が修行したといわれる寺院
檀家はなく、お葬式や法事などを行わない御祈祷のお寺だそうな…

堂内で、僧侶が説明してくれました

 

さてさて、本堂に入ると

撮影禁止!撮影禁止!…ですけど

 

獅子に乗って海を渡る様子を再現した、高さ7メートルのご本尊、国宝「渡海文殊菩薩群像」が安置されてまして、脇を固める維摩居士像・須菩提像・善財童子像・優填王像と、4体の侍者も立ち並び…もう壮観の一言

鎌倉時代の快慶の作品…

 

「渡海文殊菩薩群像」と「善財童子像」は歴史の教科書でみたまんまのお姿で(当たり前っ!)

文珠菩薩像としては日本一の大きさだそうな…

 

獅子と目の合う位置で、しばらく時を忘れて眺め、そして拝んでまいりました…

これで、私も「文殊の知恵」が少しは注入され、ボケ防止に繋がっていくといいなあ

「文殊(もんじゅ)」ですよ!「文殊(もんじゅ)」

「文句でチェッ」じゃなくて「文殊の知恵」をどうか、なにとぞ…

 

その後は、表山門から本堂に繋がる参道をぶらぶらと

ずらっと新しめの献灯が並び…

その奥には歴史を感じる石仏が点々と

引き返して、正面に本堂…桜の季節はさぞ美しいことでしょう

 

続いては、本堂から駐車場や「金閣浮御堂・霊宝館」のあるところを通り過ぎて、東の方へと

献灯が囲む参道

その左側には

金毘羅大権現の石碑

右手側には

不動堂

覗けませんが、このお堂の中には、不動明王さまがいらっしゃるのでしょう…

その奥には弘法大師さまと石仏さまがずらっと濃厚接触

この石仏群は、江戸時代に当山の境内地に、四国八十八所・西国三十三所の本尊仏として祀られていた石仏を一同に安置したものだそうな

十一面観音菩薩

数えてみました…確かに十面観音でも十二面観音でもありませんでした

 

十一面観音の周りの側壁には四千五百体の奉納仏が濃厚接触状態でお祀りされていました…

ホントに四千五百体なのか数えてみたかったけど…さすがに、そんな元気はありません!

その横には、お堂も…

 

 

さてさて、この歳になると、何も受験するものなどないけど

「合格門」が…を使用して造られた門

合格門をくぐり…合格「まつ」…このブログのオヤジギャグのよーなものやないか!!

ましてや、狭き門ではありません!何人でも、一緒に合格門をくぐることが可能…ああ、18歳のときに、大学受験前にここにきたかった…

 

せっかくなので、合格した気分になって…

イエーイ!!合格だー!合格だー!!

こちらは、門にしがみついて、ギリギリ合格した図…

合格門の奥の石段を登って、晴明堂へと

その参道の途中にある

 

保田與重郎景仰碑

保田與重郎さんは奈良県桜井市が生んだ文芸評論家

私、文学部卒でありながら、存じ上げておりませんでした

早速ググってみました

日本浪漫派を代表する文筆家…戦後は、戦争に加担したということで、戦争責任を問われ公職追放の憂き目にも遭ったよう

 

為心願成就と思って…この石段をひぃひぃふぅふ……

展望台(広場)につきました…思いの外、たいした石段ではありませんでした…

 

ウォーナー博士報恩供養塔

安倍氏を祀るこの場所にアメリカ人の供養塔が建っているのか…気になる!気になるってことで、またまた早速ググってみました…

 

ラングドン・ウォーナー博士は、奈良や京都の文化財を戦時中の空爆から救った人物らしいんだな…

奈良や京都や鎌倉といった、日本の古都の文化財が守られたのはウォーナー博士のお蔭…そんな感謝の気持ちから、このウォーナー塔は建てられたそうだけど…本人はそのことを否定…

博士が古都への攻撃を回避するよう、米軍に働きかけたという伝説は偽りだったのか、後になって盛った話なのか…真相は闇の中…なんだとか…

いやあ、ググれば面白いこともたくさんでてくるねえ…

奈良や京都や鎌倉に空爆をしなかったということは知ってたけど、ラングドン・ウォーナー博士の名前はきいたことがあったような…なかったような…

ただ、その情報を日本が、どこからか手に入れて、ここは攻撃されないだろうと、太平洋戦争にて日本軍は沖縄の首里城の直下に日本軍司令部の壕を構築していたものの、そこは空襲を受けて破壊されたみたいな話を読んだことをふと思い出しました…

天文観測の地
安倍晴明が天文観測をしたと伝わる展望台

そんな展望台から文殊池に浮かぶ「金閣浮御堂・霊宝館」を見下ろす…

いやあ、秋にもう一度きてみたい…そう思える絶景

そして、そこに鎮座している

晴明堂

 

 

平安時代の陰陽師、安倍晴明が祀られていて

新しいのは2004年(平成16年)に安倍晴明の千回忌を迎えるにあたり、200年ぶりに再建したとのこと

阿倍晴明堂の拝み方

 

正面にある「如意宝珠」は、「いかなる願望も意のままに成就し、また悪を払い、災難を防ぐ功徳がある」と信じられている玉だそうで…

「如意宝珠」を撫で撫で…特に念入りになでなで…

この私の願いで、新型コロナウイルスが撲滅されることはまちがいないでしょう…なんせ、安倍晴明さまのパワーをいただいてますからね…

かつ万馬券を手に入れることもまちがいないでしょう…なんせ、安倍晴明さまのパワーをいただいてますからね…

もう一つ願ったこと、帰り道、渋滞しませんように…

さすが、安倍晴明さまのパワー、存分に発揮されていました…

 

 

 

その後は

白山堂へと

室町時代に建立…流造屋根柿葺の唐破風をもった社殿で、国の重要文化財…

御祭神は全国の白山神社に祀られる白山比咩神と同一神である菊理媛神で、当山の鎮守

白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の末社が勧請されたそうな

縁結び大神とありますなあ…

この歳になると「縁結び」よりも「円結び」

万馬券を手に入れることができますように!!

 

 

東古墳

飛鳥時代に造立

「閼伽井(あかい)の窟」とも呼ばれていて

閼伽井とは「閼伽水の井戸」の意で、羨道の中程に古来より枯れることのない泉があったことが由来しているとのこと…この泉の水は「閼伽水(智恵の水)」と言い、法要等に使う清浄な水として使用されていたそうな…

西古墳と違って、石室の中に入れる大きさではありませんでしたが…

感じたことは…お約束…

コフンだけにコーフンするねぇ

さてさて、ラストには、本堂の快慶作の文殊菩薩「渡海文殊菩薩群像」の拝観と双璧をなす…

「金閣浮御堂・霊宝館」の拝観…

 

文殊池に浮かぶ美しい「金閣浮御堂・霊宝館」は、安倍仲麻呂・安倍晴明が祀られているお堂

メチャ、文殊池にはが泳いでいます…まあ、エサを買ったから…笑…ですけど…

いいことが、やってこい!…なんてね!

この御堂は「七まいり」という魔除け・方位災難除けを祈願する願掛けの修行場とのこと…

古来より七難即滅七福即生、私達は一生の内に七つの思いがけない災難があると言われていて

「七まいり」は、そんな七難に遭わないために、どの方角に向かっても災難が起きぬよう、魔除け・方位災難除けの神仏が安置されている御堂の回廊を「おさめ札」を納めながら七回ぐるぐるまわる…お百度まいりの7回短縮版のようなものかな…七難を取り除き、堂内で福を得る参拝の方法でして

○○しないようにと否定形の願いをしながら回廊を周り
1周ごとに正面の賽銭箱に、7枚のおさめ札を右から1枚ずつ切り離し入れて入れていくといった参拝方法

○○しないようにの願い事は途中で替えてもいいとのこと

私の場合、結石ができませんように…とか

肉離れになりませんようにとか

細菌性大腸炎になりませんように…とか…

コレステロール値が増えませんように…とか…

なんだか、健康のことばかりじゃないか!!

お堂の回廊を時計回りにぐるぐると7周します…

 

回廊(かいろう)だからといって、途中で「かいろう(帰ろう)」とやめちゃってはいけません!!

お堂の裏側の通路は狭い…

太ってると、通れないかも…

もう一つ、願い事をば追加…太りませんようにと

おさめ札をおさめ

一周すれば、またやってくるこの狭さ…

 

ぐるぐる…○○しないようにと、願掛けしながら

最後のおさめ札を入れ終わったら堂内に入り参拝

これで七難が取り除かれた訳だー!!

その後、中に入って霊宝館を参拝…ここには、開運弁財天(大和七福神)、安倍仲麻呂、安倍晴明の御尊像、安倍晴明の御尊軸などが祀られていましたが…

それらの宝物と一緒に…なぜか、ここに故、安倍晋三さんの写真が…

う~ん、統一教会との結びつきがなかったら、あんな事件は起きなかっただろうに…

チョット気持ちはモヤモヤ…

でも、「もんじゅいん(文殊院)」「文句言いん」になってもいけないので…

 

しまった…「七まいり」に「文句をいいませんように」と願掛けしておくべきだった…

また「七まいり」しようと思うと、700円…

 

柵の外から

お札もないけど…

最後に願掛けを

「文句言いの爺になりませんように!!」

 



コメントを投稿