端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

道 草

2005-12-17 | Weblog
私が小学校の一年生の夏に 日本は戦争を終わらせた。

足はわら草履 かばんは母の帯で作った手作り 洋服は母の
セルの着物で作ったもの。教科書は 黒めのわら半紙を五、六枚
閉じたものだった。
貧乏人も 金持ちも 欲しくても物のない時代だったので 大差の
ない 身づくろいをしていた。
焼け跡の商店街は 道路の両脇に露天が 隙間なく並び 近くの
農家の主婦は リヤカーに自家製の野菜や漬物を並べて 売っていた。
皆んな 生きていくのに精一杯の時代だった。

小学校は 我が家から十キロくらい離れていて 一番の繁華街を
通学していた。
小学校の低学年 帰りの道草には事欠かなかった。
今 思い出しても わくわくする。
学校の勉強はあまり記憶にないのに 帰りの
道草したお店は 今でもはっきり 思い出せる。

学校の門のそばの 二ノ宮金次郎に礼をすると もう門の外。
染物屋があり 大漁旗や 五月ののぼりが はためいていた。
その隣は 大きな釜にお湯がたぎり 蚕がたくさん浮かび 
糸繰り機 がまわっていた。
窓のガラスに顔をはりっけて 飽きず眺めていた。

その隣には傘屋があった。 今ではもう見ない蛇の目や番傘 日傘
竹を削って 紐で編んで和紙を張って 油を塗って 庭一杯に花が
咲いたように 干してあった。
あのときの 油のにおいは 未だ鼻の奥に残っていそうな気がする。

墓石屋 竹屋 鍛冶屋 仏具屋 表具屋 畳屋 アイスキャンデー屋
自転車屋 漬物屋 下駄屋 洋服仕立て屋 時計屋

とどめは 猪肉屋 寒い冬になると 捕れた猪を店頭で 
二、三人の男集が 小さめの牛刀で骨をはずしていた。
猪は 大きな牙をもち 口を半開きにして 解体の台に横たわって
いた。 怖いもの見たさに わあ わあ言いながら走って
通っていたが 今でも はっきり記憶にあるのは
しっかり見ていたのだろう。

大人になっても あの頃道草で見たり 体験したことが
役に立っている と思うことが たまにある。