「ブッダの悟り33の物語(菅沼晃著)」を読んだ。
すでに知っている話も多いが、驚くのは紹介する場面場面の生々しさ、リアルさである。
仏陀は弟子に不浄観と言って、肉体が腐っていくようすなどを、繰り返しイメージして、肉体の虚しさを身につけるよう説いた。この荒療治が効きすぎた。
不浄観に明け暮れた弟子の一部は生きているのに嫌気が差して自殺したり、人に自分を殺してくれと頼んで死んだりした。そこで仏陀は、自殺してはならない、人を殺してはならないといさめた、とある。
また六群比丘と呼ばれる六人の悪党修行者たちは、他人の妻を横取りしようとして、病弱な夫に死を賛美し、死の甘美さを説いて夫に悪い食べ物を食べさせ、死へ追い詰めた。そこで仏陀は、「死を賛美してはならない、死を甘美だと説いてはならない、」といさめた。
この本は仏教の戒律ができていく過程を中心に初期経典を引いて書いているので、どうしても実例が具体的になり、思わず逃げ出したくなるような状況が数多く出てくる。
それでも、釈迦が「生老病死が誰にでも降りかかってくること」に悩んで出家した、とか、二人の行者に無一物の境地(無所有処の禅定)と無念無想の境地(非想・非非想の禅定)を教わっても満足せず、苦行生活に入り、苦行では道が開けないと気付いてスジャータの供えたミルクがゆを食べ、菩提樹の下で禅定して悟ったという基本線はきちんと描かれている。
仏陀の至った境地は、ベックの「仏教」に載っている、「ラリタ・ヴィスタラ」という私の好きな仏伝では、こう語られる。
生老病死の生まれるもとは迷い(無明)である。この世は無常で意のままにならないことを知り、感覚的なものへの執着を絶ち、迷いのもとを絶てば苦しみも滅する。生存の構成力の本性は無常である。このことを念頭に置いて正しく暮らすべきだ。
「無常迅速、生死事大」という遺言で入滅した仏陀であるが「人生は素晴らしく、この世は美しい」とも遺言したという。自分のわかったことを伝え続けた仏陀の旅は、あたかもロードムービーのようで、胸に迫るものがある。