父の見舞いに行って、千疋屋の木箱入りのチーズケーキを貰った。
フランスで個展をやった親の知人のアーティストが作品が高く売れたからといってくれたものを半分貰った。久しぶりに単価が高いものを食べた。
この前の休みは近くの街まで行って馴染みの店で野菜のケーキとブレンドコーヒーを食した。
コーヒーを飲むとちょっぴり気分がよくなる。そのことについて書いた寺田寅彦の「珈琲哲学序説」というのを読んだことがある。コーヒーを飲むと気分が昂揚する、この昂揚感を用いて哲学ができないかと論じた意欲作だった。
侯考賢監督の『珈琲時光』という映画も珈琲を小道具に使い、洪文也という台湾出身の日本にいた作曲家を一青窈が調べて行く小津風の映画で珈琲の醸し出す世界を掬い取っていた。
私もコーヒーを二杯ぐらい飲むと頭が調子よく動く。二杯以上飲むとだめだ。私は酒を友人と飲んだ後で酔い覚ましに喫茶店でコーヒーを飲んで余談を話すのが好きだ。主要な話は酒の席で終わっているので、喫茶店で話すのは思い出話やよもやま話である。けれどもそんな時間にふと悩みの出口が見えたりするからふしぎだ。
喫茶店で一人でいると、詩を書きたくなったりするのも面白い。
コーヒーが微妙に作用して人に疲れを忘れさせ、意外な思いつきを呼び込むことがある。
私の場合ビールを軽く一杯、そのあとにコーヒーを一杯飲むぐらいが気分が良い。家にいるとわざわざそんなことはしないから、ビールとコーヒーは外出用の組み合わせである。
「ともだちは海のにおい」という絵本ではくじらがビール愛好家で、いるかがお茶愛好家だった。そういえばミルクティーも独特の安心感を醸し出す。嗜好品はそれぞれ人の脳を刺激する面白い作用があって、憎めない。嗜好品のささやかな安心感や多幸感は厳しい毎日を送る私たちの、小さな救命ボートではないか。
珈琲を飲んで詩人の血が起きる 冷めると日々の泡が始まる