コンロン・ナンカロウのスタディーズ・フォー・プレイヤー・ピアノを聞いた。機械が弾くいかれたラグタイムみたいな曲が多い。基調はラグタイムやホンキー・トンク、ジャズなどのアメリカ音楽なのである。それを、霊長類には演奏不能な複雑怪奇な変則的リズムで自動ピアノに演奏させる倒錯した快感。ジャズっぽい曲ばかりでなく、タイプライターの音を拾ったような意味不明の非連続音とかいろいろヴァージョンはあるが、いくらグルーヴ感を出されても機械が演奏しているんだから不気味である。その種の倒錯を気持ちいいと感じるようになったら、ナンカロウと同じ自動ピアノおたくの酩酊のとりこである。質感はピアノだが発想がテクノである。逃げ出したくなるか、放心するか、賭けのようなものだ。
それからジェルジ・リゲティ・ワークスを聞いている。リゲティの基本ラインは首を締め付けるような怪音かぎくしゃくしたリズムとメロディの妙である。バルトークから引き継いだと言われる不協和音路線、同じフレーズを反復して重ねて行く解体した民謡のような声楽、これが異様でまた怖い。ボリュームが普段の倍になるぐらいまで合唱の音が大きくなってゆくので近所迷惑であわてて音を絞ったほどだ。
ピアノ曲はナンカロウの影響を受けている。複雑なリズムパターンのいかれた酩酊感。けれどもプレイヤー・ピアノではなく、人が弾く生ピアノなので有機的でナンカロウより近寄りやすい。現代音楽らしいが抒情的でもある名曲は多い。ほとんどぎくしゃくしたリズムとメロディの組み合わせで大作オペラを作ってしまったグラン・マカブルなど奇作揃いである。メトロノームを並べて鳴らした作品などは感心しない。アイディア先行音楽後付けである。
リゲティ・ワークスのなかでは分解した民謡のようなヴォーカル・ワークスや深みのあるキーボード・ワークス(ピアノも含む)がご機嫌で有機的な作品が多くお勧めである。バルトーク流室内楽もクラシックの延長線上で聞ける。ナンカロウはクラシックよりもラグタイムやジャズが底流にある現代アメリカのバッハだが、リゲティの本領はやはりクラシックに片足突っ込んだマッド・サイエンティストの時折見せる抒情にある。リゲティの実験精神はメカニカル・ワークスの方に色濃く出ているのだが、聞いていて心地よいのはキーボード・ワークスとヴォーカル・ワークスだった。ナンカロウの自動ピアノに始まって、奇才リゲティの音の劇場に足を踏み入れ、現代音楽の熊野古道をさまよった数日間だった。
ちなみにフィッシャー・ディースカウの無限連鎖のシューベルト歌曲集はまだ聞き切れていない。