ギュンター・ヴァント・ライヴというボックスセットが出て魅かれるのだが、私はギュンター・ヴァントのライヴ盤をこつこつ集めて結構持っている。
北ドイツ放送響のブルックナーの代表曲のライヴ盤も持っている。
そんななか久しぶりにブルックナーの交響曲第九番を北ドイツ放送響盤で聞いてみた。
緻密だが雄大な巨匠感覚のブルックナーである。
ブルックナーの交響曲では九番四番五番七番が好き。八番は一枚なら好き。
最近許光俊と鈴木淳史のクラシック名盤バトルを読んだ。やはりヴァントとチェりビダッケは別格だという。ブルックナーの交響曲では鈴木淳史がシノーポリの選集を挙げていたのが意外だった。
シノーポリのブルックナー選集が少し前再販されたときに、シノーポリのブルックナーは余り良くないと評判だった。
だが鈴木淳史はマーラーの精神病理をじわじわと解剖して聞かせたシノーポリのブルックナーが、意外といいと言う。これが嫌いならブルックナーが嫌いなのではと思ってしまうと言う。
シノーポリのブルックナーは聞いてないので何とも言えないが、ブルックナーなら私はギュンター・ヴァント。他にオイゲン・ヨッフム、ベルナルト・ハイティンクなどが好きである。
デフォルメの激しいフルトヴェングラー盤も聞けるし、ハンス・クナッパーツブッシュのライブ盤もいい。シューリヒトのライヴ盤にも一時期凝った。シューリヒトの昔のライヴ盤は何じゃ?こりゃーという
怪物的な演奏が聞ける。バランスのとれた深みのある録音にリッカルド・シャイーの全集がある。録音はこれがぴか一だろう。古い録音ではフォルクマール・アンドレーエとウィーン響の全集が厳格な音を聞かせる。これがモノラルながら結構美しいのである。
マーラーが対位法の絶壁を苦労して登っている一方、ブルックナーは絶壁の上で花に水をやっている、ぐらいに対位法の習得度がブルックナーは高いと誰かが言っていた。
私はブルックナーの深淵を覗いてしまった感覚、聖なるものに触れた畏怖の感覚が好きで、ブルックナーをたびたび聞いている。大げさと言われようと冗長と言われようと、構わない。大のブルックナーファンである。
深淵を覗いたような感覚が臓腑に沁みる天の恩寵