昨日は、カウンセリングについての研修会に参加してきました。2回予定されている理論研修の1回目の研修でした。大学の先生の講義を久しぶりに聴講し、学生に戻ったような新鮮な気持ちで学んできました。
特に印象的だったのは、『カウンセリングとは何もしないことです』という言葉でした。
人は誰でもその人なりの考えで生きている。悩みを相談したとしても、どんなにその答えや助言が正しくても、他の人から押しつけられたり、指示されたり、教えられたりしたのでは満足できない。むしろその説教や助言が、かえって相談者の自主性や主体性を阻害し、悩みを深刻化させてしまう場合がある。相談者の不安を軽くするようにと かけた 「大丈夫だ」 「心配するな」 という言葉さえも、かえって不安や心配を増大させる場合がある。
具体例として提示されたのが、自分が病院で患者のカウンセラーとして対応した例です。
手術を受けた患者が、手術は無事終わり大丈夫だと医者が何度も語っても、手術は失敗しもうすぐ自分は死ぬのだという恐怖感にとらわれていました。その患者との対話が例として取り上げられていました。以前のブログでも紹介した対応と同じように、ひたすら患者の深刻な悩みを確かめ、受け止め、共感するばかりで、助言や「大丈夫だ」のような言葉のない対応に終始していました。しかしこういった対話を2日続けることで、患者の顔色は変わり態度は一変して素直になってしまったとのこと。医者もどんな魔術をつかったのかと驚いたそうです。
人間の本当の不安や心配は、他の人がそんな不安をなくしてやろうと働きかけてもなくなるものではない。かえって「大丈夫」ということは「そんな心配必要なし」ということになり、抑圧されて、不安の感情は強まりこそすれ、なくなることはない のだそうです。
以前いただいた研修資料の中に、次のような一節が書かれているのを思い出しました。
~ 暗い穴の中に落ち込んだ人に、穴の上から「どうしてそんなところにいるの。そんなところで 上をながめているからくらくなるのよ。」と声をかける人がいたとします。下の人は、今の自分の状態を分かって、助けてくれる人が上にいると思えるでしょうか。
~ もしその人が下りてきて自分のそばに座り、一緒に周囲を見上げて、「ここから見ると、このように見えるんだね」と言ったとするとどうでしょうか。
講義を担当した先生が、娘さんにカウンセリングの本質を教わったと語っていました。
娘さんが小さかった頃、大工仕事をしていたそばにいて、ハンマーで指をたたいてしまったことがあったそうです。先生は、それを見て娘さんに「どうして指をたたいたの?」と言ったところ、「どうして、痛くないのって聞いてくれないの」と言い返されたそうです。相手の痛みを知るということに、カウンセリングの本質があるということを、娘さんは教えてくれたのだそうです。
次回の講義では、カウンセリングを進める上での具体的な対応<態度>について学ぶことになっています。また、その内容について紹介していけたらと思っています。