あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

絵本 『たからものは なあに?』

2011-11-22 22:20:56 | インポート

この絵本のあとがきに、作者である あいだひさ さんが 次のように書いています。

……

「赤ちゃんの家から来た」 という事実は、3歳の誕生日に手作り絵本を通して本人に知らせています。私たちがどれほど待ち望んでいたか、親子になれてどんなに幸せかという想いは、何度聞かせても子どもがあきることのない一番のお気に入りの話です。

里親や特別養子縁組に限らず、家族の始まり方はさまざまであってよいと思います。そしてどんな始まり方でも、互いに心から思いやり、愛し合って築き上げてこそ家族だと信じています。家族の始め方には、こんな選択肢もあることを心にとめていただければと願っています。

……

赤ちゃんの家から引き取り、我が子として育ててきた あいだひささんのことについては、以前のブログでも紹介しました。この絵本に登場するなつかちゃんが、あいださんの最愛の娘さんのモデルでもあります。

幼稚園の先生から、「いちばんだいじなたからものをもってきてね。」と言われた、なつかちゃんとなかよしのたくやくん。二人は家で、たからものの見せ合いっこをします。なつかちゃんのたからものばこに、ピンクのぬのでだいじにくるまれたものがありました。なつかちゃんは「これ、なあに?」とママにたずねました。するとママは、「これはね、なつかが『どうじょ』ってママにくれたはじめてのプレゼント。ちっちゃな手でひろってママの手にのせてくれた小石よ。」と答えます。たくやくんもたくやくんのママにたずねたら、ママはピンクのしおりをつまみあげ、これがたくやくんが「どうぞ」ってくれた花びらの押し花だったと答えます。

たくやくんは、ママのおなかから生まれてきた赤ちゃんでした。たくやくんが生まれてきて家族になった日が、たくやくんのママの一番うれしい日でした。

なつかちゃんは、赤ちゃんの家からきた赤ちゃんでした。なつかちゃんがうちにやってきて家族になった日が、ママとハパの一番うれしい日で、それからは ずうっと毎日一緒にいることがとってもうれしいことでした。

二人とも、生まれてきたことを心から喜び 家族になることを待ち望んでいた、ママとパパが愛する子どもです。

なつかちゃんが、「ママのたからものは、この小石?」とたずねると、ママはこう言います。「ううん。もっともっといちばんのたからものは いま、ママのおひざのうえよ。」 もちろん、ママのひざの上にいるのは、なつかちゃんです。そういうと、ママはわらって とびきりやさしい ぎゅっ!をしてくれるのでした。

家族の始まりはさまざまであっても、互いに心から思いやり、愛し合って築き上げていくのが家族。あいださんの心を込めたメッセージが、温かくドンと心に届く絵本です。

血のつながりが家族をつくるのではなく、子どもをまんなかにした温かいつながりが家族をつくっていくのだということを、強く感じさせる絵本です。温かい家族の絆を感じさせる ほのぼのとした絵は、アメリカ在住の たかばやし まり さんが描いています。

◇絵本 「たからものは なあに」 作:あいだ ひさ 絵:たかばやし まり  偕成社:刊

 

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カウンセリングについて 2

2011-11-22 10:32:25 | インポート

昨日第2回目の研修があり、来談者「クライエント」に対するカウンセラーとしての態度(心構え)について学びました。

カウンセリングの方法については、以前は来談者の問題や生育史を分析し、原因と処方を指示しようとする方法がとられていたのですが、この方法をアメリカの心理学者・臨床心理学者であるロジャーズという人が批判し、新たに『来談者中心療法』という方法を提唱しました。これは、来談者の中に存在する成長ヘの力を信頼し、非指示的・受容的に見守る方法で、この方法や考え方に立ったカウンセラーとしての在り方を学びました。

求められる態度は、受容・共感的理解・自己一致の3点です。

受容とは、来談者の話すことに評価や判断を加えず、それをそのまま受け取る態度です。これには、<あいづち・うなづき>といった単純な受容 と 来談者の気持ちを受けるという深い受容 とがあるそうです。後者の深い受容とは、無条件に(評価や判断を加えず)来談者のすべてを肯定的に受け止める態度です。

なぜこういった受容が必要なのかというと、拒否的あるいは指示的な関係の中では自己防衛が働き、自己(自己概念:自分自身のことをどのように受けとめ、どのように思っているか)を見つめ変容することができなくなるからだということです。

共感的理解とは、カウセラーに求められる根本的な姿勢であり、来談者の私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じとり、客観的に理解する態度です。それは同情ではなく、来談者の身になり切実な心の声に耳を傾けその思いを理解するという態度なのではないかと思いました。言葉にするのは簡単ですが、実際に対応する場合にはその深みにたどりつくのはとても難しいことなのではないかと思いました。

資料には、共感的理解には、「打てば響く」といった感覚的側面と同時に、来談者の世界を正確に共有し言語化・象徴化していくという認知的な側面も含まれる と書いてありました。来談者の内なる世界を一緒に見つめなおし、言葉や思いを引き出す手伝いをしながら、来談者自らがその世界をとらえなおすことができるよう支援していくということなのでしょうか。

自己一致とは、頭で考えていることと体で感じていることが一致している状態を指し、来談者中心療法で目指される態度ないしは状態のこと。はじめは混乱した状態にあった来談者は、カウンセラーの自己一致した態度や受容・共感に触れ続けることで、次第に自己一致の方向に向かって変化していく。否認され歪められていた経験が自己の中に統合されていく ということなのだそうです。

頭と体が不一致になることで、悩みが生じ、そのモヤモヤや苦悩を解消するためには、その不一致を一致させなければなりません。そのための行動が話す・語るという行為なのかもしれません。そして、その行為を受けとめる行動が聴くという行為であり、よい聴き手に出会うことで話し手は自己一致という方向に踏み出せるということなのでしょうか。

カウンセラーとしての在り方を学ぶことで、話し手の話したいという思いと相手の心によりそって聴くということの大切さを改めて深いところで考えることができたように思います。日常の人とのかかわりの中で、コミュニケーションの中で、学んだことを実践できる自分でありたいものだと感じています。

学ぶことは、まだまだいっぱいありそうです。未知の世界をわくわくしながら探険するような若さを持ち続けたいものです。

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