鬼子母神の参道が色づいてきました。

お参りします。

みなさんにお詫びしなければなりません。上川口屋が営業していました。

経営者にもお詫びしなければなりません。閉店したと思っていました。→ こちら

ラムネを買ってお話しました。「ずいぶん長い間休んでいましたね」 「私が死んだとの噂が発っているようです」 ・・・すみません、私にも責任の一端があります。ラムネを飲みながら話を聴きます。「コロナが怖くて4ヶ月休んでいました」 話は続きます。

239年になる創業の始まりから鬼子母神社との関係で話は始まりました。先祖が加賀さまの許しを得てここで飴屋を始めた話。長いものに巻かれて生きる知恵の話。戦後国有地になって賃料を払いながら営業を続けた話。やがてバブル後に買い取った話。現在81歳の13代目で、結婚後神奈川から定期券を持って2時間掛かって通った話。通うのが大変なので今は長津田に住んでいるご主人とは別居している話。ご主人は養子に来た格好なのに頑なに姓を変えなかったけど、上川口屋の経営に協力してくれた話。今でも料理が下手な話。遅く帰って作る料理に一度も文句を言わなかったご主人の話。今ではコンビニの総菜を食べているご主人の話。息子さんは秋田に、娘さんは仙台に異動してしまった話。娘さんが14代目を継いでくれそうな話。息子さんの会社の話。この店と一緒に何度もテレビ・ラジオ・新聞・雑誌の取材を受けた話。客がコンビニの価格と比較して文句を言う話。子供がコロナ禍で駄菓子を買いに来なくなった話。新型コロナ対策の話。毎年の健康診断が優良の話。健康法の話。

境内にある菩提樹の花の話。椎の実の話。手紙の木の話。楠の枝が台風で屋根を破った話。毎年年末にはすぐそこに在った東京音楽大学の学生と「第九」を歌った話。やがて音大が移転した話。絶対音感を持っていた父親からヴァイオリンを与えられた話。調弦の際によくE線を切った話。飼っていた2匹の看板猫の話。今通ってきている3軒の家の保護猫「マイケル」の話。早朝にやって来て雨戸を引っ掻いて起こされる話、等々
「儲からないわよ。でもね、続けられているのはお金じゃないのよ。子供が母親に連れられて買いに来るのよ。七五三には着飾って『おばあちゃん一緒に写真撮って』と言うの。ピカピカのランドセル背負って見せに来るのよ。入学・卒業の節目に『一緒に写真撮って』と来てね、子供の買うもの好きなものは決まっているから、その時に瓶から出してお菓子をあげるのよ。そうしたら『私の好きなものを覚えていてくれているの!?』と喜ぶのよ。就職してから暫く来ないと思っていたら、生まれた子供を抱いてね、『おばあちゃんに抱いて貰いたくて』と抱かせてくれるのよ。お金じゃないのよ。」と話してくれました。

その間、数人の大人が買って行きます。お買い上げ額は数十円から多くても二・三百円程度です。二・三百円は観光のカップルです。数十円の客はオジサンたちです。子供のころからのお得意さんだそうで、作業着で2・3点買って行きます。彼らはおばあちゃんを気にかけていて、確認するために買いに来ているように思えます。馴染みの散策人も来ます。彼らも同様に、おばあちゃんの健康ぶりを確認しているように見えます。

こんなふうに1時間くらい立ち話をしました。そして別れ際に、今はプラスチック製になった瓶から取り出した3種のお土産を頂戴してしまいました。勿論固辞しましたし、お金を払おうとしましたが、「出したものは引っ込められません」と押し切られてしまいました。ラムネ代の140円では赤字でしょうに・・・

店の隣には東京都天然記念物の大銀杏があります。その黄葉真っ盛りの頃じゃなくて、今日みたいに客が少ない時期にまた来ます。そして、今度はラムネだけでなくお菓子も買いましょう。