荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

冬晴れの「矢切の渡し」運休日

2024年01月31日 | 散文

冬晴で風が無い穏やかな日です。

 

江戸川は穏やかな水面です。

 

対岸の矢切の桟橋も長閑です。絶好の行楽日です。

 

でも桟橋が閉鎖されています。

 

営業中の旗が出ていません。運休日のようです。

こんな天気に勿体ない。けっこう覗いて帰る人が居ました。こんな日もあるんですね。

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千住「サンロード」のバナーは今年も格好いい

2024年01月31日 | 散文

国道4号線、日光街道千住寿町の交差店です。向かいに真っ赤なバナーが見えます。

 

「サンロード」商店街のバナーが今年も格好いいです。

 

ここの処ずっと、家紋を染め抜いています。何ていう紋だろうか?珍しいシンメトリーです。

 

通りが艶やかになります。

閉店する店もありますが、頑張っている商店街です。

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京島と押上を行ったり来たり2024年−3

2024年01月31日 | 散文

押上から京島の町を見ています。

 

京島の路地を歩きます。

 

ぐるりと回って踏切に来ました。

 

自転車が押上へ行きます。

 

私も押上へ行きます。

 

振り返って京島の町を見ています。

 

自転車がやって来ました。

 

遮断機が降ります。

 

電車が通過します。

 

電車を見送りながら踏切を渡ります。

京島の町を散策します。

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京島と押上を行ったり来たり2024年−2

2024年01月30日 | 散文

押上から京島に戻りました。知らないうちに建て替えが進んでいます。

 

ここには古いアパートが建っていました。新旧が共存する町ですが、建て替えが進んでつまらなくなっています。

 

今のうちに記録に残しておきたいです。

 

いつも、どこからでもスカイツリーが覗きます。下の家の壁には町内会の掲示板と時計です。

 

お約束どおり時計は止まっています。もう10年以上前から同じデザインの時計です。

 

京島の路地です。

 

踏切に来ました。また遮断機が降ります。

 

けっこう頻繁に東武電車が走ります。

 

押上の路地に西日が射します。

 

踏切脇にも防火用水です。

 

踏切を渡ります。

眩しい押上の路地です。

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京島と押上を行ったり来たり2024年−1

2024年01月30日 | 散文

何度目かの企画です。京島2丁目は木密度が高い町です。つまり、懐かしい景色が残る町です。よく来ます。

 

路地に有る瓶は防火用水です。京島ではよく見掛けます。

 

すぐ傍が東武亀戸線の線路です。向こう側は押上3丁目です。線路が町を分けています。京島2丁目と押上3丁目の間に、6つの踏切があります。双方を行ったり来たりの散策です。

 

路地を行きます。

 

踏切です。向こうの町は押上3丁目です。路地に西日が射し込むこの時間帯の散策が好きです。

 

押上は、スカイツリーが立つ町です。

 

線路を渡ります。

 

押上に来ました。

 

京島を見ます。夕映えの町です。警報が鳴って遮断機が降りました。

 

わっ!電車が近いです。

 

通り過ぎたら、いつの間にか向こう側に人が居ました。

 

踏切を戻ると空き地が在ります。

 

ここは昔、こんな家が在りました。<2013年の写真>

この散策、いつのものように長くなりそうです。

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ダブル優勝した伊勢ヶ濱部屋の翌朝風景

2024年01月29日 | 散文

早速やって来ました。バッチリのタイミングです。横断幕を張り出し中です。

 

私の予想どおり照ノ富士が優勝しました。出だしは負けて、相撲を取った後は息が上がっていましたが、後半は「強い!」の一言です。14日目の、豊昇龍との取り組みの不戦勝が大きかったように思います。あれで胸突き八丁を休養できて、相星決勝戦を取り切る体力が温存できました。

 

このお弁当屋がいつも出す優勝祝賀横断幕です。地元密着、地域に愛されている伊勢ヶ浜部屋です。

 

恒例の、優勝セールです。

 

伊勢ヶ濱部屋の向かいの家です。幕内と十両のダブル優勝です。「熱海富士」という大器が出てきたと思っていたら、「尊富士」も出てきました。来場所は幕内です。よく稽古する部屋です。当分この部屋の黄金期が続くと思います。

 

一方、部屋のベテラン力士「宝富士」が、来場所は12年ぶりの十両に陥落です。幕内連続出場記録は、989回でストップしました。あと1場所で1000回だったのに、、、残念ですが、本人は「返り咲いて、幕内出場1000回を目指す」と言っています。頑張れ!  隣りの家は脚立を置いて、「祝優勝」を貼り出す寸前です。  さて、さっきから左にトラックが停まったままです。後ろに回ります。

 

国技館から明荷を持ってきた処です。部屋から出てきたザンバラ髪の相撲取りの体格が良いです。まだまだ期待の若手がいるようです。

 

相撲取りが「重い」と言って部屋に運び込みます。

 

トラックの運転手がよっこらしょ!と降ろします。関取が多いと荷物が多いです。

一方、こちらも私の期待どおり、琴ノ若の大関昇進が確定的です。もう今から来場所が楽しみです。

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堀切氷川神社の小さな門前町

2024年01月29日 | 散文

堀切氷川神社の左に酒屋が在ります。

 

営業していません。

 

なんと、午後3時30分から、たった2時間だけの営業です。まあ酒屋だから、夕方だけでも用は足りるか?

 

隣は塩の看板です。昔は「専売品」で、許可を得た限られた家しか扱えませんでした。地元の有力者だったと思います。

 

でももう、営業していないようです。

 

その隣は米屋です。看板を見て気が付きました。電話番号が「082」です。2桁の番号を持っているのは、古い金持ちの証です。

 

3店とも、神社の並びで生活必需店を扱っていたのですね。

 

ちょっと周辺を散策します。

 

医院以外は営業していないように見えます。

 

ほとんどの商家が民家になったようです。

 

突き当りにカラオケ屋が在りました。ここは営業しているようです。

門前町として、往時は賑わった一角だったと思います。

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堀切で「氷川神社」に出逢った。

2024年01月28日 | 散文

堀切の路地を走っていたら、茅の輪に出逢いました。こんな時期に茅の輪を見るのは初めてです。旧暦で行事を行っているのでしょうか?

 

珍しさもあってお参りします。作法どおりにくぐります。

 

 

この界隈の紹介です。「江戸・東京の農業  下千葉小カブと糸ミツバ 」 へえ~、「下千葉」の 地名は初めて聞きました。興味を惹かれたので読みます。「下千葉は、かつて南綾瀬村大字下千葉(現在の葛飾区堀切周辺)と呼ばれ、小面積で短期間に多収穫をあげる、いわゆる野菜の集約農法の先進地として発展した所です。  なかでも、『小カブ』と『糸ミツバ』は肥沃な土地と大都市近郊という好条件に恵まれて、昭和年代前半まで当地の特産品として栽培され、江戸・東京の台所を潤してきました。 

『下千葉小カブ』の栽培起源は口伝によると、江戸時代中期の頃からといわれていますが、本格的な栽培は明治末期に入ってからで、以後『下千葉小カブ』の原産地としての生産が続けられる一方で、種子とりも盛んに行われました。この種子はやがて他町村に広まって行き、各地の産地形成に役立たれました。  また、糸ミツバは大正時代初期にはかなり作られていましたが、栽培起源は明らかではありません。一説には天保年間(1830〜44)の頃、南綾瀬村の相川喜衛門が旧砂村(江東区砂町)から導入したのが始まりといわれています。その繊細な品質は、東京の市場や料理屋から高く評価されていました。  平成9年度JA東京グループ  農業協同組合法施行五十周年記念事業  葛飾農業協同組合」

由緒も読みます。

 

神楽殿も在ります。ちゃんと施設が揃った神社です。

 

お参りします。

 

左手にも鳥居が在ります。

 

左手にしめ縄が有ります。何だろう?

 

区の天然記念物です。

 

上に島みたいな物が有ります。木の芯だろうか?と触ったら乗せているだけでした。何だろう?

 

八王子神社です。先ほど由緒にありました。源頼朝由来です。

 

氷川神社の拝殿と本殿の屋根を見上げます。梅はまだです。

 

拝殿から境内を眺めます。

当然、桜もまだです。

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やっぱり、「中川湯」解体

2024年01月28日 | 散文

ずっと気になっていました。燃料の廃材は在庫していたけど、営業している様子がありませんでした。今日訪ねたら、工事用シートに囲われています。

 

ショベルカーが動いています。もう住居も湯船も在りません。中川湯を解体した廃材がトラックに積まれています。

 

煙突は最後に解体するのでしょうか?

 

シャッターの場所が銭湯の玄関で、その右がコインランドリーでした。コインランドリーは銭湯休業後も動いていましたが、とうとう一緒に解体です。

 

ここだけでなく、今まで銭湯の燃料である廃材を沢山見てきました。ここの廃材も、銭湯で燃やされるんだろうか? ・・・それは銭湯として、究極の幸せな最期なんだろうな。

 

もう来ることは無いと思います。

 

在りし日の「中川湯」です。

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2度目の「寺島浴場」

2024年01月27日 | 散文

銭湯が廃業するケースが多いです。自転車散策ついでに、確認にやって来ました。東向島の銭湯です。

 

共同住宅1階奥に在ります。

 

共同住宅前には、住民とは別の自転車置場です。

 

看板が有ります。

 

まだ営業前です。

 

奥にはコインランドリーです。

 

裏に回ります。右下のあれが銭湯用のタンクでしょうか?

こういった形態が、銭湯の未来形でしょうか?

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「寅次郎サラダ記念日」の現場を訪ねて早稲田へ、

2024年01月27日 | 散文

第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」は、昭和63年12月公開、昭和64年のお正月映画です。俵万智さんの短歌集「サラダ記念日」が大人気の世相でした。

例によって、小諸で知り合った女医(マドンナは三田佳子)に惚れた寅次郎は、甥っ子満男の進学支援と称して、マドンナの姪が学んでいる早稲田大学を訪ねます。

大学へ行くには、都電に乗って終点で降りれば良い、と教わった寅次郎は早速電車で向かいます。

都電はこのシーンだけですが、観た瞬間場所が分かりました。巣鴨新田と庚申塚の間です。いつもの散策でよく写真を撮っている踏切です。私的には、都電を撮る絶好のカーブの有る踏切です。しかも背後に銭湯の煙突が有ります。

 

<現場>電柱に有る「質店 さのや」の看板も目印です。さのやは1度紹介した店です。

 

寅さんは、早稲田の街を歩いて大学へ行きます。

まさか今でも有るとは思いませんでした! 目印にした「ぷらんたん」です。

<現場>

お洒落な珈琲ショップです。

 

早稲田大学に来たものの、マドンナの姪(ゲストは三田寛子)が何処に居るか分かりません。

 

<現場>3号館は、当然建て替わっています。姪は文学部ですが、3号館は政治経済学部です。

 

寅さんは尋ねるように、大隈重信像を見上げます。

 

<現場>

 

擦った揉んだで姪に会えました。

 

とらやへの来訪を取り付けて帰ろうとしたら、先程姪を探して入った教室で講義していた教授が居ました。寅さんは「そこらで一杯やろうと」誘います。

 

<現場>いつの間にか階段が無くなってバリアフリー化しています。門扉も有りません。

 

意気投合して、教授と一緒に大学を出る寅さんです。

 

<現場>

こんな楽しい散策でした。早稲田大学は、私学で1番、一般に開放された大学だと思います。以前から、自由にキャンパスに入れる雰囲気があります。

・・・柴又にやって来たマドンナとゲストの映像の現場は、又の機会に訪ねて行く予定です。

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「日の出湯」健在なり!

2024年01月26日 | 散文

葛飾区堀切の路地を走っていたら、突然煙突が現れました。ああ銭湯だ!と思って玄関へ回りました。「この佇まいは『日の出湯』だ!」と思ったら、煙突が煙を吐きました。

 

日の出湯が健在です!こんな玄関だけど、営業しています。嬉しいです。

 

3回目の訪問です。勝手知ったる日の出湯です。煙突を近くで見ようと路地を入っていきます。湯船の窓を見上げたら、煙が黒く大きくなりました。本格的に火が付いたようです。

 

日の出湯の煙突です。冬空にスックと立って、頼もしく煙を吐いています。纏わりついた蔦が好いです。

 

湯船を見ながら表に戻ります。

 

煙を見上げます。

 

ここが燃料置場です。燃料は廃材だと思います。

「日の出湯」健在なり!

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寒くて定休日のあらかわ遊園

2024年01月26日 | 散文

観覧車を見上げます。回っていません。

 

誰も居ません。何も動いていません。

 

左は隅田川です。川風が強く吹いています。寒いです。堪らず移動します。

 

カンガルーは存外元気です。

 

グルリと園を回ります。

 

休園日の入場門に来ました。

 

入園者は少ないけど、「東京ディズニーランド」とはまた違った、ほのぼのとした家族の団らんが見られる遊園地です。

この寒さ下での開園風景を見たいです。

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「玉の湯」に遭遇した。

2024年01月25日 | 散文

「川の手通り」を走っていたら、銭湯に遭遇しました。綾瀬駅の近くです。足立区と葛飾区の境付近です。

 

あのビルの1階が玄関です。我ながらよく見つけたものです。

 

近くに行きます。

 

 

コインランドリーです。

 

最近多い共同住宅併設の銭湯です。

こうやって生き残りを図っているんですね。

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江戸川競艇場再訪

2024年01月25日 | 散文

約1年ぶりにやって来ました。

 

予想紙販売店前を通って観覧席へ行きます。

 

水面が光ります。真冬に似合わない、穏やかな好天です。

 

腰を下ろします。レース場は中川です。中空に首都高速中央環状線です。その向こうの水面は見えませんが、高速道路の向こうは荒川が流れています。

 

先程から掃海艇が行き来しています。

 

その向こうに艀が川を下って行きます。レースの合間に船舶を通しています。

 

レスキュー艇が所定の位置に付きます。いよいよです。

 

時計が回りました。

 

エンジン全開、爆音を轟かせてスタートしました。

 

・・・やがて決着が付きます。1号艇がぶっちぎりで1着です。

 

私はレースを見るためにやって来たのではありません。気掛かりを確認に来たのです。これです。

 

昨年11月、鷲神社「酉の市」の屋台での出来事です。いつもここ江戸川競艇場の熊手の注文を受けている屋台の人が、「今年は注文が無いのよ。昨年のを使うのだろうか?」「いやあ縁起物だもの、毎年買い替えないと駄目だよ。他所に注文したんじゃないの」なんて寂しい話をしました。

 

その時の記事です。

ホントだ、使いまわしだわ・・・⁉  江戸川競艇場さん、ご利益無いと思いますよ。

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