葛西臨海公園の午後です。
横断歩道の向こう側に「ニュー椿」が在ります。
この道路は白山通りです。左手に都電荒川線が横切っていて、背後は日本橋に繋がっています。
古来の銭湯の風情はありません。
4階まである立派な銭湯です。おそらく「椿湯」だったものを全面改造して「ニュー椿」になったのだと思います。
東京都はウクライナ戦争を受けて入浴料の値上げを認めました。
都電が横切ります。
ウクライナ色の電車も横切ります。
白山通り脇に在る新庚申塚の停留場です。早稲田方面へ行くホームです。
正面が「ニュー椿」です。
白山通りを渡ると三ノ輪橋行きの都電が停留中です。
停留場前から「ニュー椿」を見ます。
三ノ輪橋行きの電車が発車します。
「ニュー椿」前を横切ります。
早稲田行きが横切ります。
これが日常風景です。
大横綱白鵬が「宮城野部屋」を継承しました。墨田区東駒形を訪ねて行きました。勝手知ったる場所です。
この看板は、前宮城野親方時代に掲げられていたものです。新しく部屋を興した時に新しい看板を作る親方も居ますが、白鵬は継承を選びました。人の出会いと恩を大事にしているようで好感が持てます。
まだ引っ越し荷物が片付いていません。
部屋を眺めます。以前ここに在った部屋の佇まいと全く変わっていません。
郵便受けは「宮城野部屋」と「渡辺」さんです。
看板脇のインターホンには「渡辺大五郎」と有ります。ここは元関脇「高見山」愛称ジェシーが興した「東関部屋」でした。
高見山が定年引退した後、弟子の元潮丸が部屋を継承しました。やがて東関部屋は葛飾に移転しました。その後、ここは渡辺さんの居宅なのです。どういう経緯や計画か知りませんが、やがて移転する前提でしょうか?
人に歴史有りです。白鳳の宮城野部屋がここに至った歴史と、東関部屋の歴史を振り返ります。
白鵬が入門して横綱になった両国時代の宮城野部屋
高見山が経営していた時代の元東関部屋
潮丸が急逝して高見盛が継承した東関部屋
打水をする亀戸天神社大祭日の店員です。
くず餅で有名な船橋屋です。
「氷」の幟暖簾が風に踊ります。
藤棚の木漏れ日の下で揺れる「氷」の文字に惹かれました。
暖簾を潜ります。
注文札を貰いました。注文時に確認しました。「あまり甘くないのが良いです」「それなら『夏柑』か『藤』がお勧めです」「『藤』って何ですか?」「葡萄です」スタンプカードも貰いました。「後5回も氷を食べるのはしんどいですね」「溜まったら特製の氷を召し上がれます」「特製って?」「メニューに無いかき氷です」「ふうん」でも、もう夏が終わるなあ。
スタンプカードの裏です。表よりセンス良いです。
大きな氷が来ました。殆ど空気でふわふわでしょうね。
なるほど藤色のシロップです。葡萄です。
氷の底に何か覗いています。葡萄のようです。
シロップを掛けました。てっぺんにある緑の物体の正体が結局分かりませんでした。味を説明できません。
底に有ったのはやっぱり葡萄でした。皮ごと食べます。店員のお勧めどおり、あまり甘くありませんでした。けっこう、思った以上に氷の量が有りました。
冷たい口にお茶が優しいです。湯呑の底に船橋屋の家紋です。
藤棚の陰を振り返ります。
散策が続けられます。
3年ぶりの亀戸天神社の大祭に来ていますが、祭りの神輿も行列の居ません。境内の池を巡ります。
涼しい風景です。
猛暑に水辺は好いです。
料亭です。風に暖簾が揺れます。
お土産販売窓口です。奥の壁に貼られているシールはテレビの散歩番組のものですね。東京の各地で見ます。
梅の緑が濃いです。緑の水が涼しげです。
白加賀は清楚な白梅です。
見上げる空には入道雲です。
もうすぐ9月です。
コロナ禍で中断していた亀戸天神社の祭りが行われています。全国でも3年ぶりに実施したり、慎重を期して延期したりの対応のようです。見に来ましたが空いています。
ポツンと神輿が鎮座しています。子供神輿でしょうか?
天神の象徴、牛の周辺も賑やかです。
が、他の神輿は見当たりません。出払ったようです。
境内の周辺は、祭りらしくはあります。
牛の背中から気になるものを見つけました。
これは、祭りの行列がお祓いを受けるときに並ぶ場所ですね。
ここもそのようです。
猛残暑の陽射しが照りつけます。祭りの行列は何処へ行ったのだろう?なにぶん氏子の範囲が広い天神様です。清澄通りから明治通りの地域迄あります。何処に居るのか分からない祭り行列を、暑い中探す気にはなりません。
太鼓橋に提灯が飾られています。
ちょっと涼しげで祭りらしくはあります。
都電庚申塚停留場に都電が停まります。お婆ちゃんと孫が乗ります。夏休みならではの光景です。
都電が行きます。
かき氷が呼びます。
入りました。茶店から見るホームです。
メニューに「夏はやっぱり氷です」と書いていました。今日は「抹茶」を注文しました。「わあ、多い!」思わず声が出ました。お婆ちゃんが答えます。「ふわふわです」
抹茶かき氷を食べながらホームを見ます。好風景です。
よし、停車して発車するまで撮ってやろう、と待ちます。
電車が来ました。
停車して乗客が降ります。
電車が出て行きます。
ホームに風が渡ります。
都電庚申塚停留場の上下線(三ノ輪橋行きと早稲田行きのどちらが上りかは知りません)停留場の間には路があって、踏み切りが在ります。この路は「庚申塚商栄会」です。そして奥には「お婆ちゃんの原宿」と呼ばれている「地蔵通り商店街」です。
早稲田行きの停留場です。
私は三ノ輪橋行きの停留場に居ます。
踏み切りを乗用車が渡ります。
眼の前の弁当屋さんが賑わっています。この路は旧中山道です。
早稲田行きが停車して遮断機が降りました。
発車を待ちます。
早稲田行きが発車します。
遮断機が降りたまま三ノ輪橋行きが横断します。
いつも変わらない旧中山道の風景です。
梶原銀座商店街に向かう都電の踏み切りです。
踏み切りの左手へ行きます。
やっぱり閉鎖されていました。
悲しい光景です。
梶原書店閉鎖です。
全体像です。
ホームから眺めます。
都電が停まります。
都電が行きます。
改めて眺めます。
ホームにくっついた梶原書店です。
見納めになるかも知れません。
6月に帰省したときこの書店の閉鎖を知りました。こんな話です。
キバナコスモスとミツバチです。
いつもの都電脇の路地です。
ランタナも咲いています。
西が丘4丁目に都電が停まりました。
早稲田行きが来ました。
晩夏の光の中です。
寅さんが潜ったガード下です。マドンナは十朱幸代さんでした。今も変わらぬ景色です。
今日は往来が多いです。
「氷」の幟暖簾が出ていました。毎年いつも遅いです。
金八先生の撮影時に休憩所兼食堂になった「日の出屋」です。
「氷」が揺れます。
玄関を開けると、息子が「約1年ぶりですね。『まだ来ないね』と噂してたんですよ」「何言ってんだよ。今年は6月末から、『まだやらないのか』と覗いていたよ。いつも遅いんだから」こんな会話で始まりました。
「ミルクイチゴ」です。
親父は元高校球児です。野球の話、腰痛の話、コロナに感染した話等々、氷を食べ終えても頼みもしない水のお替りを2杯飲んで、お腹がじゃぼじゃぼになりながら話し込んでいました。
私が提案します。「『レインボー』をメニューに加えたら子供に売れると思うんだけど」親父が答えます。「この間、夏休みに遊びに来た孫に作ってやったのよ。『わあ、きれい』と大喜びで食べてたのよ。ところが食べ進んだら、混ざったシロップが黒くなってね、孫は『汚いからもう要らない』っていうのよ。絵の具混ぜたら黒くなるよね。あの状態よ」
こんな小1時間を過ごしました。
噂を聞いてやって来ました。「宮城野部屋」の看板が有りませんし、片付けられた感が漂っています。
玄関に貼り紙が有りました。ファンへの挨拶かと思ったら、
コロナ対策でした。これも片付ければ良いものを。
白鵬が引退して「間垣親方」株を取得して、ここで後進の指導にあたっていました。石浦等、白鵬がスカウトした力士も居います。先日宮城野親方が定年を迎えました。二人が親方株を交換して、白鵬が宮城野親方になって部屋を継承し、前宮城野親方が間垣親方となって、宮城野部屋の部屋付き親方になるそうです。
相撲界は、親方が変ったら部屋を引越しすることは珍しくありませんが、行先も賃貸物件です。
近くの「下町人情キラキラ橘商店街」です。宮城野部屋がここに引っ越して以来、あんなに何度も白鵬が優勝してくれたのに、それを優勝記念バーゲンとか、販売促進に利用しない対応だから客が増えないんだよ!
だから白鵬が出て行っちゃうんだよ!
仲が良くなかったのかなと、勝手に思っています。
晩夏の公園です。まだ向日葵が元気です。向日葵と観覧車を眺めます。
色々な種類の向日葵が咲いています。
空は晩夏の色です。
向日葵と観覧車を気の向くままに撮りました。
真横からも。
向日葵畑も。
夏の終わりです。
暑くうだって、大雨が降って、コロナウイルスが蔓延した今年の夏休みが終わろうとしています。どうなっているのだろう?と見に来ました。
モノレール駅へ行きます。
ディズニーランドホテル前の入場口です。
閑散としています。
振り返るホテルはキンキラキンで眩しいです。
例によって、トイレを使った後、モノレールの駅に来ました。
ここからディズニーランドを眺めます。
遠くの入道雲が夏らしいといえば、夏らしいですが、見覚えがある夏休み風景には程遠いです。
百日紅が夏の終わりを告げているようです。