荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

正月準備の松山銀天街・大街道(2016年末)

2016年12月31日 | 散文
銀天街から大街道へ続く商店街は松山市最大の商店街です。
え!?
まだクリスマス??


暫く歩くとありました。
お正月っぽいです。


「盆と正月」ならぬ、クリスマスと正月です。


ありました!!
これがなければお正月ではありません。


見よ!


更にありました!!
お餅つきです。


お正月の準備万端整いました。


そのまま大街道を歩きます。


おお!!出ています。


お正月の風景です。


最後に高島屋の玄関先を見て。


皆さん良いお年をお迎えください。
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正月準備の子規堂(2016年末)

2016年12月31日 | 散文
世間的に慌ただしい年末に、のんびりと子規堂に来ています。




期待通りありました。


お正月のお飾りです。


子規のお墓にお参りします。
ここにもお飾りがありました。


あれ!?お墓に何か在ります。

行ってみます。

お正月のお飾りです。


コケています。


皆さん良いお年をお迎えくださいませ。
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正月準備の道後温泉(2016年末)

2016年12月30日 | 散文
帰省したら道後温泉です。


タイミング良く駅前のからくり時計が開く時間でした。

いつもより観光客が多いです。

道後商店街を行きます。


正月準備が整っています。




道後温泉が見えてきました。


あれ?いつもと変わらない風情です。






正月飾りがありません。


観光客は多いです。




いつものように裏へ(ある意味正面玄関)へ向かいます。


こちらに正月のお飾りがありました。
皇室専用の入口です。

安心しました。
良いお年をお迎えください。
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年末の頓田川河口(2016年)ー2

2016年12月30日 | 散文
前回の続きです。

干潟を更に沖へ行きます。






北風が強くて波が荒いです。


遠くにしまなみ海道と瀬戸の島々が見えます。


沖を見ます。


左に比企島、右に兵市島です。


今治方面です。


河口のマンションです。


世田山・笠松山を望みます。


いつまでも見飽きない風景ですが、


そろそろスーパーへ、晩御飯のおかずを買いに行きます。


今年見納めの、赤灯台と世田山・笠松山と潮干狩り風景です。
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年末の頓田川河口(2016年)ー1

2016年12月30日 | 散文
帰省すると干潮を見計らって頓田川河口へ行きます。
ショベルカーが動いていました。




まさか干潟を埋め立てたりはしないと思います。






干潟へ下りて行きます。






好い感じに干潟が現れています。




いつものように故郷の風景を眺めます。








次回に続きます。
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国民休暇村の遊歩道

2016年12月29日 | 散文
昨年末、生家の近くにある国民休暇村の遊歩道を自転車を押して踏破しました。
随分無茶をしました。
今年は別の遊歩道を徒歩で行きます。
あの展望台が目的地です。


坂道を行きます。




瀬戸内海を見ながら上がって行きます。


展望台です。


展望台から見る瀬戸内海です。
うん!?・・・。
前出の写真とあまり変わらないですね。


展望台のまだ上があります。

この斜面を登ります。
いつものように、「もう来る事は無い」精神で。

すぐ頂上です。


頂上からの景色です。






太平記の舞台「世田山」も望めます。


瀬戸内海も。




帰りは本館方面の道を選びました。




紅葉が残っていました。

やっぱり、山は自転車で登るものじゃないですね。
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2016年末の椀舟の港

2016年12月29日 | 散文
もうお馴染みの干潮の河口です。




「椀舟の港」碑の冬の風景です。


古く、小さく、低い防波堤の港です。


久し振りに降りて行きます。






古い石の間を新しい石で補強しています。


舟を繋ぎます。






防波堤を歩きます。




かつてここから漆器を積んだ舟が出て行きました。


この防波堤は満潮時に水没します。
棒は水没した際の危険防止の棒だと思います。


堤防から漆器の街方面を振り返ります。




漆器の街の年末の景色です。

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山谷が変わっていく。

2016年12月28日 | 散文
山谷は日雇い労働者の街です。
2015年2月、「日本キリスト教団日本堤伝道所センター」に垂れ幕が掛かりました。

再開発されるようです。
ここでは時々、労働者向けに「炊き出し」が行われています。
そして時々、労働者達が少ないお金を賭けて単純なゲームをしています。

時は遡って、2013年の6月に初めて山谷を訪問した時の様子です。


労働者が屯している伝道所の手前に、酒屋「野田屋」がありました。


景気が悪くなって、客である労働者が少なくなって、店は半営業状態でした。


2015年8月、久し振りに訪れたら、「野田屋」が無くなっていました。

マンションを建てるようです。

以後順調に工事が進んでいきます。


そして、2016年12月の姿です。




全容が現れました。




商店街は人が減っていきます。
いくら「あしたのジョーのふるさと」と銘打って集客を図っても、客がいなくなり店舗が無くなっていきます。
商店街の体を成さなくなっています。
再開発やむなし、でしょう。

今後も街が変わって行くと思いますが、一番変わったのは日雇い労働者です。
人数が激減し高齢化しています。
若い労働者が離れていきます。
行き先の無い老人がここに残されて、ここで死んでいきます。

冒頭の「日本堤伝道所」を初め、キリスト教関係者が支援を続いています。
この「山谷伝道所」の人達の活動も然りです。


ここは「神の愛の宣教者会 山谷の家」です。
日曜日には労働者達が歌う讃美歌が聞こえます。

多くの宗教家が人生を捧げて支援を続けています。

また、多くの医療関係者が身を挺して支援を続けています。
病気の労働者を治療し、その最期を看取っています。


多くの篤志家が支援を続けています。
吉原遊郭時代からの投げ込み寺「淨閑寺」に、昭和57年「山谷老友会」によって「ひまわり地蔵」が建立されました。

傍らに主旨を記載した案内板があります。
「山谷には、労働に生きて労働に老いて、ひとり寂しく人生を終わる人が多くいます。山谷老友会は、孤独の壁を越えて連携し、励ましあい、また支えあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働き抜いてきた日雇い労働者のシンボルといえます。
この地蔵尊は、倉田辰彦氏をはじめ、多くの方々のご好意と浄財が寄せられて実現したものです。」

個々の努力の結果を超えた格差が進んでいます。
こういった個人が身を挺し人生を捧げた活動に頼った支援で、進捗していく超高齢社会に将来はあるのでしょうか?
年末を迎えて「よいお年を」と言いますが、日本の社会に良い年が来るのでしょうか?

矢吹丈は言っていました。「明日はどっちだ?」
彼に明日はあるのでしょうか?
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鳩の街商店街を往く。

2016年12月28日 | 散文
生家でバタバタしていてあまり散策していません。
従って東京での在庫記録です。

墨田区の向島の東に「鳩の街商店街」があります。


年末セール開催中です。




この辺りは赤線があった所で、吉行淳之介や永井荷風等がここを舞台にした作品を残しており、多くの文人が出入りした場所です。


自転車でゆっくりゆっくり街を往きます。


一時期この街のレトロ感に惹かれた若者が閉店した店舗を借りて趣味的な店作りをしていましたが、買い物客の減少に歯止めが掛かりません。


古い建物が商店街の両脇に続いています。


商店の合間合間に閉店した店があります。






懐かしい雰囲気が漂います。


こんな商店街が好きです。






営業している魚屋さんがありました。
看板が立派です。
主人曰く、店舗の開店時に魚の卸し屋から貰ったものだそうです。
今はこの卸し屋も1/3しか残っていないとの事です。

店頭に並べられている商品は少ないです。
魚を食べる家庭が少なくなって、町の人口が減って、スーパーで買い物する人が多くなって、閉店する仲間が多いそうです。
この店が開店した時には墨田区に80数店あった魚屋が、今は13店しか残っていないそうです。
商店街よ頑張れ!!

商店街の1本裏の住宅地です。


こんな路地も好きです。


路地の奥にはこんな物もありました。
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2016年末の漆器の街角

2016年12月27日 | 散文
漆器屋の街角です。


いつもながら整然とした街です。


こちら小谷屋。


勝手口にもうお正月の準備が整っています。


玄関先風景です。


さすが老舗の風情です。

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故郷の風景

2016年12月27日 | 散文
山里に生家があります。
二階の廊下から見える景色です。
まだ紅葉が残っています。
やっぱり四国は暖かい土地です。


三十年位前、父が突然二世帯住宅を建てました。
三世代同居に夢を持っていたのですね。
全然使っていないので、勿体なくて、帰省時に私が使っています。

子供の頃から全然変わらない景色ですが、Uターンした隣の息子一家を除いたら五十歳以下男子が居なくて、今や限界集落となっています。
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帰省しました(2016年12月)

2016年12月27日 | 散文
羽田を飛び立ちました。

冬らしくない空気が澱んだ空です。

西日を反射した海の横に江ノ島が見えます。


西日で湘南の海と相模川が光っています。


すぐに雲海の上に出ました。


今日はずっと下界が見られません。

瀬戸大橋もしまなみ海道も見えません。

1時間過ぎると、瀬戸内海上を降下して行きます。


思いっきり左旋回したので、飛行機の腹部に夕日が当たっています。


松山の空気も澱んでいます。


着陸です。
帰省しました。
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年末の佃煮屋

2016年12月26日 | 散文
佃島に冬の日差しです。


佃小橋から船溜りと高層マンションを見ながらゆっくり移動しています。




冬色の街です。




昔ながらの民家と高層マンションの街です。






今日の目的地はここです。

帰省土産の佃煮を買いに来ました。

「田中屋」と「天安」が並んだ一角です。
醤油の匂いが漂う街です。






店の前は隅田川。
その向こうは、堤防と佃大橋越しに聖路加タワーです。
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佃天台地蔵尊は工事中

2016年12月26日 | 散文
年末の佃島に来ています。








佃地蔵にお参りしようと思ったら、工事中です。

この路地の奥に在るのですが・・・。

隣の路地を抜けて、向こう側からお参りする事にします。

狭い路地です。
すれ違う事ができないくらいの路地です。

見上げると、佃地蔵の小さな小さな境内というか入口に鎮座している銀杏の枝が、民家を越えて張り出しています。




路地の向こうには高層マンションが見えます。

手前には、玄関先に消防隊のヘルメットが掛けられています。

数軒の民家の軒下を抜けて、反対側の参道に来ました。

幟があるのでこちらが表参道ですね。

あれ、こちらも工事中です。


参道には工事用のシートが敷かれています。


あの赤いコーンの所が佃地蔵です。

しょうがない。
銀杏の木を見上げて、お参りした事にします。


来た時とは別の路地を通って、佃小橋方面に戻ります。

ちょっと好い街でしょ。
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千駄木の「鶴の湯」が無くなっていた。

2016年12月25日 | 散文
文京区千駄木には古い家が沢山あります。


こんな立派な家(旧高村光雲邸)がある一方で、


こんな路地の奥に入って行くと、




意外ですが、銭湯があるのです。
「鶴の湯」です。

千駄木にも銭湯があります。

鶴の湯脇の路地を入って行くと、


大きな家や普通の一軒家だけでなく、この様なモルタル造りのアパートもあるのです。


鶴の湯はこのような住民に支持されています。


久し振りにあの路地に来てみたら、雰囲気が違います。

奥の空間が空いています。

鶴の湯がありません。




この路地の奥にある、


アパートの住人達はどうするのでしょう?
内風呂の無いアパートも存在が危ういです。
いずれ取り壊されてしまうのでしょう。

また街の景色が変わっていきます。
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