荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

根津のバッターボックス

2015年01月31日 | 散文
池之端へ向かう路地にバッターボックスがあった。
新しいものではない。白いラインが所々消えている。

そればかりか、工事の後を補修したアスファルトが、右バッターボックスのラインの一部を消している。


通り過ぎて振り返って見る。
誰がこのバッターボックスで遊んでいるのだろう。

この辺りで子供が遊んでいるのを見ない。
今はもう誰も使っていないのだろうか?


行ったり来たりして写真を撮っていたら、通行人に怪訝な顔をされた。



介護老人ホームとうどん屋が同じ敷地内にある建物脇の路地である。
このうどん屋は美味しいと評判の店で、いつも行列ができている。
従って、初めて通る道ではない。

今日はうどん屋の定休日で人通りが少なかったから、バッターボックスの存在に気が付いたのだろうか?


池之端を散策しよう。
向かいの店の玄関に冬の日差しが当たって、ガラス戸の文字が暖簾に焼き付いたように写っている。
暖簾に描いた文字かと思った。

のどかな、のどかな午後である。


・・・!、やっぱり気になって戻ったら、郵便配達のバイクがど真ん中の直球ストライクだった。

次は、切れ味鋭いシュートかスライダーのストライクを見てみたい。
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野見宿禰神社

2015年01月24日 | 散文
初場所が大盛り上がりである。

早々と白鵬が優勝を決めてしまった。
新記録の優勝33回である。立派!


さて、国技館からすぐの所に野見宿禰神社がある。
野見宿禰は垂仁天皇の命により当麻蹴速と相撲を取って、腰を踏み折って(激しい!喧嘩である)勝った。
よって相撲の神として祀られている。
相撲ファンなら誰でも知っている故事である。

実はそれだけでは無い。
垂仁天皇の皇后が死んだ時、殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣の姓を与えられて土師氏の祖となった。
子孫は天皇家の葬儀を司ったらしい。


この神社の謂れは案内板を読んでください。



すぐ近くの国技館の賑わいとは全然違って、ここには誰も居ない。

鳥居前の「大日本相撲協会」の文字が歴史を感じさせる。


本殿である。
簡素な佇まいである。

左右の石柱には「日本相撲協会」とある。
時代の流れを感じさせる。


小さな境内に2枚の石板があって、歴代の横綱の名前が刻まれている。

手前の石板には、47代の柏戸以降の名がある。


奥には初代明石志賀ノ助から46代朝汐太郎の名が刻まれている。

この事を、いやこの神社の存在を、今国技館前に居る相撲ファンは知っているのだろうか?


さてこちらは、松の内が明けても参拝客が絶えない富岡八幡宮である。

煌びやかな本殿の右奥に向かう。


その先に相撲関係の石碑がある。

近年の相撲関係碑は、この神社に集中して建立されている。


中央にある横綱力士碑とその左右の石碑に、やはり歴代の横綱の名が刻まれている。



手前に「超五十連勝力士碑」が立っている。



いつまで経っても、白鵬の名前と記録が刻まれない。
どうしてだろう?
引退するまでは刻まないのだろうか?

人出が多いここでは、これらの記念碑を見ていく人が多い。
相撲に興味がある人達だと思うが、彼らの何人が野見宿禰神社の存在を知っているのだろうかと思ってしまう。








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初場所が始まった

2015年01月17日 | 散文
松の内が明けると初場所が始まる。
秋場所以来、久し振りの東京場所である。

白鵬の優勝新記録挑戦の場所であり、遠藤や逸ノ城人気と相まって大入り満員御礼である。


入場口も列を成している。



相撲協会も意識してか、角の目立つ所に遠藤の幟を出している。



これから十両の取り組みが始まる時間とあって、出待ちと入り待ちのファンで、国技館前の歩道が人で一杯だ。

この親近感も相撲の魅力だろう。


ファンは洋の東西も宗教の違いも無い。

イスラム教徒であろう女性が写真をねだっていた。


暫く佇んで、力士の入り待ちをしてみた。

誰?


周りの年寄のファンが声を掛ける。
「輝」とか「貴の○○」とか「○○の××」とか言っているのが聞こえた。
良く知っているなあ!

で、誰か判らないまま写真を撮った。
大銀杏を結っているので関取だと思う。






あ、彼は知っている!
臥牙丸だ!

上半身真ん丸だ!


さて、我が家から一番近い(と言っても随分離れているが、一番近いには違いない)伊勢ヶ濱部屋である。
成人の日を祝う国旗が掲揚されている。
今場所この部屋の勢いが良い。
いきなり宝富士が鶴竜を破って初金星である。
照ノ富士は2大関を倒し、安美錦も遠藤、逸ノ城をテクニック良く捌いた。
部屋頭の日馬富士も何時になく体調が良いようで、スピード豊かな相撲で安定感タップリに全勝である。
ひょっとしたら、この部屋が寄って集って白鵬の新記録を阻むか?

と思ったら、日馬富士が金星を配給した。
う~ん。

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軍馬盛敬号

2015年01月10日 | 散文
深川の蕎麦屋に行く道をちょっと逸れた所に、宇迦八幡宮がある。

前から気になっていたので、何度目か前を通った時に訪問してみた。


境内の隅に大きな石碑がある。

何んだろうと見ると、軍馬の記念碑である。
馬の石碑は初めて見るかも。


この八幡宮とどんな関係があるのか分からない。何か書いてあるだろうと石碑の裏側を覗いて見た。
難しい字を一所懸命呼んだ。
見え難い字には、手袋を脱いだ指に唾を付けてこすりながら。

「軍馬盛敬号は元騎兵伍長榊原平三氏の乗馬たり。
同氏は明治二十七八年日露戦役中選ばれて永沼騎兵挺進隊に参加す。
挺進隊は特別任務を帯び敵線内を潜行、遠く敵の背後に侵出。
明治二十八年二月十一日夜、長春南方新開河の鉄橋を爆破し第一の目的を達成し得たるも、大砲二門を有する敵の急追を受け、二月十四日夜張家窪子付近に於いて之を逆襲し月下に格闘戦を開始した。
盛敬号はこの戦闘中鼻頭に大傷を蒙りしも屈せず奮戦中腹部に敵弾を受け遂に斃したり。
軍馬と雖も長期の劇しき行動に堪え困苦欫乏を忍び、能くその任務を全うし君国に盡せる霊を慰むる為、明治四十一年十月有志相謀り碑を御影堂境内に建立せり。
大正十二年九月大震災の際破壊したるに依り、戦役当時の挺進隊長永沼秀文閣下に題字を請い茲に復旧せるものなり」

これは司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれた、主人公の一人である秋山好古が率いる騎兵隊が、当時世界最強のコサック兵団と戦った話ではないか!


私は少々競馬をやる。従って、競走馬の「モリケイ」号の事は良く覚えている。
現役の競走馬でありながら、子供を生んだ牝馬である。
子供がお腹に居ながら、レースに出続けて何勝かした。
凄いとしか言いようがない。

ある朝厩舎に仔馬が居るのを見た厩務員の驚きは想像しても楽しい(不謹慎か)。
調教師と厩務員はレースに向けて体重を絞る為に飼葉を減らすが、どうしても体重が減らないと悩んでいたそうである。
競馬界は大騒ぎになった。
競走馬は人間が血統を考えて種付けして生産するものである。

デビュー前の牧場で自由恋愛してできたその仔馬は、血統不明の為競走馬として認められない。
日吉丸と名付けられたその仔は乗馬として貰われて行った後、暫くして死亡した。

その後モリケイ号は更に何勝かして競走馬の任務を全うし、無事繁殖馬となって、今度は堂々と血統の分る子供を産んだ。
その馬の馬券を買った事がある。
確か「アスリート」みたいな名前だったような・・・。
モリケイの馬主は軍馬盛敬号の事を知っていたのだろうか?

結局、ここに軍馬盛敬号の碑がある理由は分らない。
榊原伍長がここ宇迦八幡宮の氏子だったのだろうか?

ところで、石碑に刻まれている軍馬の名前は「モリケイ」と読んでいいの?


コメント (2)
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石田波郷

2015年01月03日 | 散文
信号を無視して走って行くバイクの向こうは、下町の超賑わい商店街「砂町銀座」である。



相変らずの賑わい、人混みである。

この商店街をひょいと脇に入った所に小さな公園がある。


その公園の隣りに「砂町文化センター・砂町図書館」がある。



建物の中に入ると奥にある図書館の手前に階段があって、その手前に案内板がある(ブロンズ像を撮ったものではありません)。

その案内板には「石田波郷記念館」の文字が見える。
階段を上がってみる。


2階の隅に展示室がある。
この建物唯一の展示室であり「石田波郷記念館~江東区を愛した俳人~」との看板がある。



石田波郷は大正2年四国松山生まれの俳人である。
30歳で太平洋戦争に召集されて胸を患った彼は、入退院を繰り返しながら12年間江東区北砂に住み、ここを第2の故郷と呼んだ。

『惜命(しゃくみょう)』は、同郷の先達子規を先駆とする療養俳句の最高傑作と位置付けられている。
新聞のコラムも書きながら、多くの俳句を残すとともに多くの写真を残した。


展示室の中央には、下町の風俗を捉えた彼の写真の円柱がある。



下町風俗だけでなく、自身や家族写真も多く撮っている。
家族を愛した人だと分かる。
彼を描いた絵も飾られている。

好い雰囲気の油絵である。
この絵好きだなあ。


彼の写真に俳句を添えて、いくつかの作品が展示されている。












近隣には地場産業の「江戸切子」の工房があって、



彼の記念碑がある。

砂町銀座を冷かして歩くのも楽しいですよ。

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