荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

江東二十八湯ーⅢ

2014年11月29日 | 散文
膝を痛めてしまった。
歩くのが辛い。
当然、自転車もカヌーも医者から止められた。
従って、ブログの新ネタを拾えない。
撮り溜めしたネタを使って暫くお茶を濁す事になる。

では、3回目の銭湯巡りを。

<19.猿江1丁目「亀の湯」>
写真を撮ろうとしたら、おじいさんが自販機で飲み物を買っていた。

買い終わるのを待っていたら、彼はベンチに座って買った缶コーヒーを飲み始めた。
私は次の銭湯を探さなければならないので、失礼してそのまま撮ったが、これはこれで冬を感じさせるいい絵だと思う。

近くに小さな公園がある。

住吉という地名は各地にあるが、「住むに良し」が由来と聞いた事がある。


<20.森下4丁目「竹の湯」>

森下5丁目の交差点に看板があったので直ぐ分った。

ここもマンションの1階にある。



<21.常盤2丁目「常盤湯」>
この店はちょっと感動した。
広い敷地に大きな瓦屋根と高い煙突が、存在感たっぷりである。

私がイメージする「THE銭湯」はこれ!
まだ午前中なのに、開店を待っている人が居た。
この文化はいつまでも日本に残って欲しい。


すぐ近くに酒屋があった。

この雰囲気好い。
銭湯同様、酒屋も増える事は無いと思う。
そして、どちらも都心にはもう無い。
下町の文化だ。

近くには深川神明宮がある。
江戸開幕時に徳川家康が大阪から連れてきた人々が造った街の総鎮守である。

近所には伊東深水が住んでいた。
鳥居の右手に彼の紹介板がある。
鳥居の向こうはすっかり紅葉していた。


<22.亀戸3丁目「天神湯」>

屋根の向こうにスカイツリーが見える。

この辺りで「天神」と言えば、当然亀戸天神である。
今や、菊まつりの真最中である。

スカイツリー開業以来ツリーの菊人形を作っているが、年々似なくなっている。
地元のセンスが問われる。
先行き不安に思っている。


<23.亀戸5丁目「隆乃湯>
今回の探索行で多くあった見つけ難いタイプで、マンションの1階にあった。

ただ、この亀五中央通商店街は非常によく通る道であり、その存在に違和感があるこの銭湯は随分前から気になっていた。

前面の通りは、多くの寂れゆく商店街と違って、活気のある街である。
商店街の終点には東部亀戸線の踏切があって、下町雰囲気満載の、とても好きな街である。

5月には大量の鯉のぼりが商店街の中空を泳ぐ。


<24.大島2丁目「らかん湯」>

探し当てた時に数人の人が開店待ちで並んでいた。
写真を躊躇していたら開店して、慌ててシャッターを切った。
午後2時半開店である。

この銭湯は「大島銀座通り商店街」にある。
商店街とは言え、ご覧のとおり人通りが無い。

商店街の向こうにJR貨物線の鉄橋が見える。
下町らしく寂れた、好きな商店街ではある。


<25.大島1丁目「第二久の湯」>
同じく大島にある。

この辺りはマンションの谷間にある古い町で、銭湯の需要が多いのだろう。

直ぐ南側を流れる小名木川の南岸に「石田波郷生誕100年記念碑」が2、3年前に建てられた。
彼は愛媛県生まれの俳人で深川に住んだ。
毎日新聞のコラムを書きながら、小名木川界隈の写真と俳句を多く残している。

砂町文化センターに彼の業績を紹介するコーナーがある。
ずっと前から紹介したいと思っている人物だ。
いつかの機会に改めて取り上げたい。


<26.大島7丁目「竹の湯」>


とても繁盛している「サンロード中の橋商店街」にある。

ここもよく走る道でありながら、その存在を知らなくてちょっと探した。


<27.大島7丁目「春の湯」>
同じく大島7丁目にあって、立派な構えの銭湯である。
見るからに、ゆったりと入浴できそう。

近隣は、古い民家と団地と駄菓子屋がある、私の好きな街並みである。
この銭湯に入ってみたいと思う。

近くに東大島神社がある。

戦争で焼失した数か所の神社を統合して建設されたと聞く。
新しさは感じられない。
戦争が遠くなったと実感する。


<28.亀戸6丁目「富山湯」>
全店を巡ったと思って編集を始めたら、27湯しかない。
念の為に番号を振っておいて良かった。
「よっこらしょ」とママチャリを引っ張り出して探しに行く。

すぐに見付けた。
店名が見当たらないが、お風呂屋さんだと一目で分かる。

1軒だけ撮影しての帰り道。
昨日も走った仙台堀川公園の桜がすっかり紅葉している。

以上で、思い立って始めた銭湯の探索行が終了です。
ママチャリ号、お疲れ様。







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江東二十八湯-Ⅱ

2014年11月24日 | 散文
先週に続き江東区銭湯巡りです。

<6.大島7丁目「竹の湯」>

立派な煙突が立ったオーソドックスな銭湯である。

斜め前に治兵衛稲荷があって、下町の風情がある商店街だ。

近くの砂町銀座に客を取られているのか、人通りが少ない。


<7.北砂4丁目「桜湯」>
八百屋にくっ付いたマンションの1階にあった。

こんな商店街に銭湯があるのが凄い!

銭湯の前の通りは有名な「砂町銀座」で今日も沢山の人で賑わっている。



<8.北砂4丁目「亀の湯」>
ここは随分探した。
清洲橋通り沿いにありながら、ビルの谷間に埋もれていた。

銭湯は新規客が殆んど無い商売だから、人目について分かり易い場所に構える必要がないんだろうけど・・・。

砂町中央公園脇、亀の湯の一軒隣に小さな交番があった。
暇そうだった。

交番は暇が良い。
平和のありがたさをしみじみと・・・。


<9.南砂4丁目「喜楽湯」>

ここも煙突が無くマンションの一階であるが、元八幡通りにあったのですぐ分かった。

左隣りに曹同宗中央寺がある。



<10.南砂2丁目「松島泉」>

よく見るとコインランドリーの奥に銭湯の入り口がある。

葛西橋通りに立派な煙突がある。
よく走っている道なのに分からなかった。
気にしていないと記憶に残らないものだと、改めて思った。

手前にマンションを建設中。
マンンションが出来たって銭湯の客は増えない。


<11.南砂1丁目「久の湯」>

立派な煙突がある。
この辺りは住宅が密集していないので、煙突を探したらすぐ分かった。

すぐ近くに富賀岡八幡宮があった。
南砂7丁目の分社だと思う。

日光の加減もあって輝いている。
ご利益ありそう。


<12.三好1丁目「辰巳湯」>

ここも煙突が無い。
煙突が無い場合の多くと同じく、マンションの1階にある。

近くに霊厳寺がある。


ここには寛政の改革の推進者松平定信の墓がある。

この辺りは松平家の所領だったこともあってか、近くには、大阪冬の陣の後淀君を説得して大阪城の堀を埋めさせた阿茶の局の墓もある。


<13.牡丹2丁目「第二和泉湯」>

牡丹は小津安二郎の生誕地である。

近くに住吉神社がある。

佃島にも住吉神社があって、徳川家康が江戸幕府を開くにあたって、大阪から連れてきた漁師が大阪の住吉大社を分社して持ってきたものだと聞く。
ここもそうなのだろうか?


<14.枝川1丁目「白山湯」>

ここも煙突が無い。

近隣は運河とマンションと倉庫である。

倉庫で働く人の需要があるのだろうか?

立地的に高層マンションが沢山ある豊洲に近い。
ここが江東区の銭湯分水嶺である。

近くの食堂の幟に出ていた「豊洲丼」って、どんな料理だろう?


<15.東陽1丁目「金春湯」>
この銭湯の玄関を随分探した。

小さな公園との間のホントに小さな路地にあるマンションの1階にあった。
営業していないので暖簾が出ていないこともあって、煙突を見つけても容易にたどり着けなかったと言うか、玄関前を通り過ぎてしまった。

近くに洲崎神社がある。

今日が七五三で、来週は二の酉である(訪問は11/15)。
江戸の年末風物詩が始まると、そろそろ来年の準備が始まる。


<16.東陽1丁目「第一弁天湯」>

上記金春湯と同じ町内にある。

この辺りはかつて「須崎パラダイス」と言う赤線があった場所である。
東日本大震災後、僅かに残っていた娼館全てが解体された。
葛飾北斎が描いた「須崎」の地名も無くなってしまった。
跡地にはマンションが建って、かつての面影が微塵もない住宅街になっている。
そんな歴史を知らない人々が新たな住人となっている。

写真は代表的な娼館「大賀」の在りし日の姿である。
負の歴史を無かったことにするのではなく、石碑くらいは設置して、そこに生きた人々の痕跡を残してもらいたい。


<17.東陽3丁目「ニュー松の湯」>
煙突が無くマンションの1階にあって、暖簾が出ていないので、随分探した。

周辺はマンションを中心とした住宅街である。
需要があるのだろうか?

近所には紹介できるような建物等は無いが、深川八幡祭りの際、富岡八幡を出た神輿がこの東陽3丁目の交差点を大量の水を掛けられながら左折する場所で、祭り見物の有名ポイントである。



<18.住吉2丁目「日の出湯」>
この銭湯も煙突が無い。
四つめ通り沿いにありながら、見つけるのに苦労した。

・・・ここまで多くの煙突の無い銭湯に遭遇したが、どうやってお湯をわかしているのだろう?

近くには伊勢ケ濱部屋がある。
部屋頭は言わずと知れた日馬富士である。

九州場所が終わった。
白鵬が32回目の優勝を達成して大鵬の記録に並んだ。立派である。
日馬富士は怪我の影響もあって、優勝争いできなかった。
元気でも、幕内最軽量は辛い。
格闘技は体重が大きなアドバンテージになる。
玄関脇のカタツムリは、親方が弟子に伝えたい力士の生き様だと思う。

・・・写真をアップするのに疲れました。
続きは次回に・・・。
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根津、本郷の色付き具合

2014年11月22日 | 散文
TVで絵画館前のいちょうが色付いたと言っていた。
例年、根津、本郷界隈のいちょうは1週間遅れる。
ママチャリで確認に行った。
先ずは、根津神社へ。

鳥居周辺は随分色付いている。

期待して奥へ進むとこのとおり、随分紅葉している。


光と影のコントラストも綺麗!

来週が見頃だね。


東京大学へ移動する。
正門前はこのとおり。

でも、正門前だけである。
奥はまだ青い。

工学部前の名物いちょうもこのとおり。

農学部のいちょうもまだ青かった。

三四郎池へ行く。
今、朝日新聞で連載している夏目漱石の「三四郎」を読んでいる。

ここからは水面に映る景色も綺麗で秋には必ず訪れるポイントであるが、ここもこのとおり。
見頃は再来週以降かな。

そうこうしていたら人がやってきて橋を通り過ぎたり、佇んだりしている。
その姿が水面に映って、これはこれで楽しい。
それぞれの絵にドラマがある。






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今年の酉の市

2014年11月22日 | 散文
今年は二の酉迄である。
好天に誘われて、今年も出掛けた。

大変な人出である。向こうが見えない。
昨年は三の酉まであったので、人出が分散されていたのだが。

善男善女の列に並ばない。
お参りしない。

並んだら1時間以上は掛かりそう。
行列の脇をすり抜ける。

お守りは買わない。
店頭をすり抜ける。
信心深くない。

じゃあ、何しに来たの?とツッコミが入りそう。

目的は熊手屋である。

参道脇には有名どころ御用達の店があるが、目的地は1本裏の路地である。

路地といっても普段は何もない広っぱに屋台を並べて通路を作ったものであるが、奥の方がよりごちゃごちゃしていて、裸電球が灯って、お祭りらしく断然楽しい。
あちこちで、熊手お買い上げの客に対して、商売繁盛の口上と手拍子が賑々しく行われている。

熊手はそれぞれの店が趣向を凝らしているが、この熊手が今年一番の迫力だと思う。

お多福熊手の脇をすり抜ける。

輪の中心で、口上と手拍子の音頭を取っているのが、10数年来の馴染の店の若旦那である。
親父さんはここ数年、屋台の上にじっと座っているだけである。
若旦那は今日の0時からずっと立ちっぱなしで商売しているのだろう、随分疲れた顔をしている。

「どう、今年は?」
「天気がいい事もあってか、人出がいいね。景気が良くなったのか、会社関係の熊手がよく出るね」
「儲かっているの?」
「うん、去年より良いよ!」

お互い元気に過ごして、また来年会いましょう。

江戸の年末を呼ぶ風物詩酉の市が終わると、年末行事が本格的に始まる。
再来週はもう忘年会第一弾だ。
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江東二十八湯-Ⅰ

2014年11月16日 | 散文

農家生まれの私は自宅に内風呂があったので大きくなるまで銭湯の体験が無かった。
家を出た学生時代の4年間が銭湯体験の時期である。
あの頃はもう銭湯の数は下り坂だったと思う。
かぐや姫の「神田川」が街中に流れていた頃である。

さて、江東区に28軒の銭湯があると聞いた。
但し、オリンピックを控えてマンション建設が急ピッチで進む豊洲や有明には無い。
江東区の東、下町に存在するのみである。
もう増えることは無いであろう日本の文化である。
普段は利用することが無いので殆ど気に留めていなかったのだが、この際訪ねてみようと思い立った。
いざ探してみると結構難しい。
営業時間外なので暖簾が出ていなくて他の家と区別がつき難い上に、煙突を探せば簡単に行き当たると思っていたが、住宅密集地帯なので煙突が見え難い。
また煙突が無い銭湯が多くあり出発前の思惑と違って探すのに随分苦労したが、初めて走る道が多いのに伴って発見も多く、楽しい探索行である。
では、ママチャリで探し当てた順番に紹介します。

<1.東砂8丁目「不二の湯」>


向かい側に江東東砂八郵便局ある。


並びに豆腐屋があって、ちょっとした商店街にある。



<2.東砂7丁目「旭湯」>


左隣に大きな駐車場を持っており、奥に煙突が見える。


右隣にはボーリング場がある。

こんな所でボーリング場を発見してちょっと嬉しい。

<3.東砂3丁目「藤の湯」>

T字路の正面にあった。
この店は午前7時から営業している。
早朝からの需要があることが、ちょっとビックリ。
どんな職業の人が住んでいるのだろう・・・。

斜め前には城東消防団第六分団機具置場がある。



<4.北砂6丁目「丸八湯」>

名前のとおり丸八道路沿いにある。

路地を覗くと煙突がそびえている。

下町の銭湯らしい光景である。


<5.北砂6丁目「文化湯」>

丸八湯と同じ町内にある。
いまどき2軒が並び立つのかと思って周辺を走ってみたら、それなりに需要がありそう。
この銭湯は煙突が無い。

近くの北砂五団地の雑木林に「我が国製糖発祥の地」の碑があった。

へえ、そんなものがあったの。
団地は工場の跡地に建設したのだろうか。


投稿してみたら目的地の周辺情報が多くなってしまった。
28軒完了するまで時間が掛りそう。
まあ、ゆっくり探索して行きます。

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祭りのあと

2014年11月15日 | 散文
久し振りに深川の蕎麦屋へ行ったら、この秋のかかし祭りで特別賞を取ったこの店の作品が立っていた。

9月15日に終わったのに、随分お気に入りなんだねえと感心した。


かかしの立っている路地の向かい側を観たら、・・・このとおり。

例の「テリー伊藤かかし」も居る。
「ワンピースかかし」も居る。
何だか寂しい。
見なければ良かったなあ。


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勝海舟と妙見山別院

2014年11月08日 | 散文
有名な勝海舟の像である。
何を指差しているのだろう?
黒船か?アメリカか?日本の将来か?
この銅像は水上バスの吾妻橋乗り場の近くにある。

あまり知られていない(たぶん。ひょっとしたら、知らなかったのは私だけかもしれない。)が、他にも彼の像がある。


ここ本所4丁目高砂部屋の近く妙見山別院にもあって、こちらは功成り名を遂げた後の、明治時代の姿である。

彼はこの近くの生まれである。
両国公園内に、時の法務大臣・西郷吉之助の手によって「生誕の地」の題字が書かれた記念碑が建立されている。

少年の頃犬に股間を咬まれて死にそうになった時、母親がお百度を踏んで快癒を願ったと聞いた。
ひょっとすると、此処か?
それ以外に、ここに銅像がある理由に思い至らないのだが・・・。


実は、道に迷って偶然行き当たった場所である。
方向音痴で随分苦労しているが、こんな巡り合いがあって、方向音痴もまんざらでもない。
想定外のハッピーが、・・・時々ある。

入口脇の寄付者を見ると、下町らしく、両側に納豆屋さんの名前がある。


お寺の佇まいにちょっと違和感がある。

扉にあるのは十字架のようにも見えるんだけど。
家紋なのかなあ?


中に入って見回すと、狭い敷地内にお寺とお稲荷さんが並んでいる。
いわゆる明治政府が発した神仏混淆の結果か?

そこに明治の元勲勝海舟の像があるという事か?


地主(状況からしておそらく)の妙見山別院の向こうにスカイツリーが見える。

新旧の文化がゴチャっと集まった下町らしいお寺で、勝海舟が難しい顔をしてスカイツリーを見ている。
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神田藪そばの風景

2014年11月03日 | 散文
数年前の神田藪そばの風景である。

ハイヤーを待たせてそばを食べている人が居た。


火災後、再開9日前の神田藪そばの風景である。
玄関先の庭と店内で、店員さん達が忙しそうに開店に向けて準備をしていた。
前回掲載した店の写真を撮っていたら、タクシーが止まった。
上記とよく似た風景である。
中年のおばさんが降り立って、スタスタと「開店準備中」と張り紙をしている門の中に入って行って、写真を撮り始めた。
店員さんが「オープンはまだなんですよ」と言ったが、「ちょっと見せてね」とさらに玄関を入って、店の中の写真も取り始めた。
暫くして、礼も言わないで待たせていたタクシーに乗って去って行った。

あれはナニ?
前回、どうしようかと迷っていたけど、いつまでも気になるので載せてしまいました・・・。

さて、今日(11/3)の神田藪そばの風景である。

長蛇の列ってこういうのだろうと、只々感心した。
1時間以上の覚悟をして並んでいると見た。

こちらはどうだろう?と近くのライバル店「まつや」を覗いてみた。
藪そば程ではないが、こちらもこのとおり小1時間は待つ覚悟である。

一方、私は今日も週末の日課どおり根津の「よし房凛」でそばを食べた。
よし房凛も行列であった。
日本人はそばが好きなんだねえと、つくづく思ってしまった。

余談になるけど、こちらも気になったので・・・。
藪そばの前面の路地を入った所に、寄席「連雀亭」ができた。

この界隈は老舗の店が多い。
寄席が似合いそうな気がする。
神田須田町に落語を聞かせる文化が定着するかもしれない。
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30年振りのお初天神

2014年11月01日 | 散文
大阪への出張ついでにお初天神を訪ねてみた。
30年位前、この近くで仕事をしていた時期があって懐かしい。
この通りをちょっと左に入った所に職場があった。

お初天神への入り口は沢山あって、右手にあるのもその一つである。

正面からの入り口には「露天神」との記載がある。
こちらの名前が正式名称である。

「お初天神」の呼び名の由来は後ほど分かります。

厳かに佇む本殿がある。

ちょっと大阪らしくない静かさである。

ここは近松門左衛門作「曽根崎心中」の舞台である。

だからか?
「恋人の聖地」との幟がある。

徳兵衛お初の絵もあって、芝居小屋の入り口の雰囲気がある。

この色使いは、やっぱり大阪らしい。
よく見ると、絵馬がハート型だ。

さて、本殿に向かって右手にも出入り口と言うか通路があって、呑み屋街に続いている。
よく呑み歩いた街である。

当然入って行く。

狭い場所に呑み屋がぎっしり並んでいる。

この近くで働いていた頃に聞いた話しだけど、戦争で焼け出された人が露天神の境内に住み着いたのが始まりとか。
その後ずっと住み着いて、居住権を勝ち得たらしい。

右手は、昔よく行った小料理屋である。

入口の戸が少し空いていたので覗いてみると適度に混んでいた。

この右手にあるのが夕霧そば瓢亭。
柚子の表皮を細かくおろし、石臼で挽いたそば粉に混ぜた香り豊かな変わりそばを出す。
生卵入りのつゆで食べる。

昔よく行った店であり、当然今回も入った。

洋食店やスナックも並んでいる。
ラブホテルもキャバレーも、何でもある呑み屋街である。

余り人出が無いように見えるが、まだ21時過ぎなので、今は店内で盛り上がっている時間である。
もう少しするとはしご酒が始まって、帰宅する人と混み合う。

昔よく行ったスナックへ行ってみたら、店があったビルそのものが無くなっていた。

30年振りだから想定の範囲内ではあるが、ちょっと寂しい。

露天神の境内は抜け道であり、通勤の近道でもある。

ビルの間の小さな通路を抜けると、

先ほどのお初天神通りに出る。


帰りを急ぐ人と、そぞろにもう一軒呑み所を探す人が居る。

今夜の宿泊先はこの先の左手、昔の職場の隣である。
まだ寝るには早いので、もう少し歩いてみる。
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