荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

浅草サンバカーニバル2014

2014年08月30日 | 散文
去年はゴール地点で見た。
今年はスタート地点で見る。

前のチームが通り過ぎてから5分程度の間隔で、彼女が持っているブラジル国旗を振ると、次のチームが出発する。

みんなスタートしたばかりで元気がいいが、緊張でちょっと表情が硬い。

以下、山車を紹介する。




アサヒビールはこの祭りのオフィシャルスポンサーである。
従って、唯一企業名が入っている。




海をイメージした山車。




アマゾンをイメージした山車。



大阪をイメージした山車。




お風呂をイメージした山車。


当然、パレードが続く。

以下、余計な説明を省いて写真を並べるのでパレードを楽しんでください。
















































楽しさが伝わればいいのですが・・・。
写真をアップするのに疲れました。
続きは次回に。
次回は、パレードとダンサーをアップします。
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富岡八幡(深川八幡)本祭り

2014年08月23日 | 散文




富岡八幡宮の氏子町内会で3年に1度開催される本祭りがあった。
江戸三大祭りの一つで、52基の神輿が参加する。
ここ東陽3丁目の交差点で、左折する神輿の行列を待つ。
向こうから、続々と神輿がやって来る。





この祭りは別名「水かけ祭り」と言って、見物人はこぞって水を掛ける。
この暑い時期の祭りに水は必要不可欠だろう。
そんな知恵から始まった風習だと思う。

家々ではタライやバケツを用意して、ひしゃくで水を掛けるのであるが、ここの交差点では、消防隊員がホースで水を掛ける。
消防隊員が待ち構えているところへ、神輿に先立って町内会長が「今年も宜しくお願いします」と挨拶して行く。





神輿を先導する役員や手古舞のお姉さん方には掛けない。
対象はあくまでも神輿である。





本物の消防ホースだから迫力がある。
嵐の中の神輿の様相を呈する。





神輿の担ぎ手はここぞとばかり、パフォーマンスを繰り広げる。
パフォーマンスは「差し上げる」「揉む」「回る」など、町内会ごとに振付けてアピールする。
観客がヤンヤの拍手を送って担ぎ手を盛り上げる。




大概は神輿を差し上げてパフォーマンスを完了し、ホースの下を通過して行く。




町内会の写真係も奮戦している。





見物場所を移動して、江戸資料館通りへ行く。
ここは道幅が狭いので神輿が近い。
女性神輿が居た。
女性だってグッショリ。
容赦無し!





道路いっぱいの行列である。
かなり迫力がある。




この通りに、よく行く蕎麦屋がある。
店の前はこの賑わい!
運良くテーブルが一つ空いていた。
当然座ってビールと蕎麦を注文する。





こうして蕎麦を食べながらの祭り見物は最高!
お父さんもお酒を呑んで幸せそう。

女将さんが言う。「担がないのですか?」
「よくこの辺りをフラフラしてますけど、氏子じゃないんですよ」
「あら、そうなんですか!?」





店の前では、この店のおばあちゃんが孫と一緒に水掛けをしている。




やがて神輿が通り過ぎ、ぞろぞろと担ぎ手が歩いて行く横で、おばあちゃんが後片付けをしている。

静かな深川の街に戻って行く。

















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江島杉山神社

2014年08月16日 | 散文





江東区千歳1丁目は一之橋近くに「江島杉山神社」がある。
苗字を2つくっ付けたような名前だが・・・?





若い女性が長い間お祈りをしていた。

由緒書きによると、ここは関東周辺の琵琶法師や鍼灸師、按摩などの盲人を統括していた総禄屋敷の跡だそうである。





由緒書きを続ける。
杉山和一は伊勢の国に生まれ、幼少時に失明した。
江戸の鍼灸師に弟子入りした後、京都の鍼灸師に師事した(この時代に、いや今でも盲人が故郷を出て江戸や京都で修業をするのは大変な事であると思う)。
厳しい修行の後、江の島の岩窟で7日間の断食修業を行った。
その満願の明け方、岩窟を出た時に岩に躓いた。
手に何か刺さるものがあったので確かめると、筒状に丸まった枯葉の中に松葉が入っていた。
これによって、いくら細い鍼でも管に入れれば、盲人でも的確にツボに打つことができるとの着想を得た(現在の鍼を打つ方法である)。

多くの弟子を集めて盲人教育の場とし、職業の確立を進め検校の位を受け、更に総検校の位に進んた。
日増しに名声が高まる中、5代将軍綱吉の治療を行った際に褒美を求められた杉山は「ただ一つ目が欲しゅうございます」と答えた(盲人の切なる気持ちが伝わって来る)。
それを聞いた将軍は、一つ目(本所一之橋隣地、つまり此処)と関東総禄検校職を与えた(願いを叶えてやりたいが、いかな将軍でも目は与えられない)。

(時代劇で検校と言えば、強欲悪徳人としてよく描かれている。検校は将軍の体に直接触れることが許されたので相応の地位が与えられた。そして、将軍と密室で話ができることによって政治力を持つようになる。その権力をカサにきた悪徳検校の話を読んだ事がある・・・。彼の事か?いや、こうして祀られているのだから、別人だろう。)

神社の名前は、土地の拝領者と彼が修業をした地の、江の島弁財天を勧進した事による(なるほど、名前の由来が分かった)。





ここには鍼治療所も合わせて建てられたそうである(現在も本殿の隣りに「杉山鍼灸治療所」がある)。




神社の右側に、彼が断食修業をした江の島の岩窟を模したものがある。
覗いてみる。





入って行くと正面に検校像があって、右に祭壇がある。




更に進むと、左奥にも灯りが灯っている。




よく見ると、陶器製の白蛇がいっぱい供えられている。
なるほど、白蛇は弁天様のお使いである。





どこの神社でも石柱に寄付者の名前を刻んでいる。
ここにも多くの名前が刻まれている中で、「昭和21年12月結婚記念」の文字があった。
太平洋戦争が終わって僅か1年半後である。
平和の到来と自分達の人生に期待を込めて、結婚の記念を刻んだのだろう。





近くにかき氷屋があった。
真夏の午後である。

杉山和一の努力精進とその業績に触れ、長い間お祈りをしていた若い女性の切なる願いに遭遇し、結婚記念を石柱に刻んだ新婚さんの喜びと希望に出会って、・・・満足度の高い一日でした。




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カヌーを始める

2014年08月09日 | 散文




旧中川と小名木川が合流する所に「中川船番所資料館」がある。
小名木川は、大消費地の江戸に向けて北関東から米などの物資を運ぶ為に、徳川家康が造った大動脈である。
当然入口に番所を置く。
その歴史的資料を展示しているのであろう(入った事が無い)資料館前でカヌーを始めました。





ママチャリで走っていた時、たまたまカヌーで遊んでいる一団が居て、やってみたいと思った。
思い立ったらもう我慢できなくて、押し掛けて行って参加させて貰った。
ただ、まだメンバーにならせて貰っていない。
現在の立場は、勉強させて貰っている「体験希望者」である。

船番所資料館前の淵でチャプチャプ遊んでカヌーに慣れた頃(4回目)、みんなとスカイツリー見物に行ける事になった。
ママチャリで走っていた頃カヌーでスカイツリーを見上げたいと思っていた夢が、もう直ぐ叶うぞ!






さくら大橋・もみじ大橋に向かってパドルを漕ぐ。
カヌーは不安定な乗り物である。
従って、初心者が船上で写メを撮るのは非常に危ない。
第一、 ひっくり返ったらガラ携がダメになる。
でも、撮らずにはいられない。
今回は、ガラ携の命を懸けた撮影である(ライフジャケットを着用しているので、私の命は心配ない)。





直ぐに先輩の女性に抜かれる。
次々に橋を潜って行くのが楽しい。
この季節、橋の下は涼しくもある。




しばらく漕いでいると、ふれあい橋の向こうにスカイツリーが見えてきた。
左側が江東区、右側が江戸川区である。

両岸で散歩やジョギングをしている人が多い。
仲間や家族とバーベキューをしている人も居る。
我々が近づくと、みんな笑顔で、注目してくれる。
きっと、カヌーののんびりさが共感を呼ぶのだと思う。
私がそうだったように・・・。
手を振ると、手を振ってくれる。
楽しい!





北十間川との合流地点で息を整える。
向こうに目的地のスカイツリーが見える。





北十間川を入って行くと、新小原橋と東武亀戸線の鉄橋が見える。
北十間川は幅の小さな、川と言うより堀である。
スカイツリーの下を通って隅田川に続いている。

・・・すっかりみんなから遅れてしまった。
急ぐ。





福神橋を過ぎた辺りで休憩している(待ってくれていた?)みんなに追い付く。
初心者や女性や高齢者が多いので休み休み進む。





横十間川との合流地点。
向こうに十間橋が見える。
この十間橋上から何枚もスカイツリーを撮った。
工事が始まってから、完成した後も・・・。
十間橋から逆さツリーを撮るのだが(逆さツリー撮影の名所である)、時々船が通って水面を揺らす。
そうなると、水面が落ち着くまで暫く待たなければならない。
それが忌々しかったのだが、今日はこちらがその立場になる。





仲間たちに追い付く為に(写真を撮る時には止まるので)、風景を撮影する余裕が無い。
一所懸命漕いで、やがて到着!!
あっけなく夢が叶う。

スカイツリーを仰ぎ見るが、道路から見上げる絵と何ら変わらないなあ・・・。





スカイツリーの下で暫く漂っていると、橋の上から、川の両側の歩道から、多くの人が覗いて行く。
時々声が掛かる。
手を振って応える。
興味を持って話し掛けて来る。
出発地や、目的地や、楽しいかや、カヌーで遊ぶのに必用な費用や、その他云々カンヌン問い掛けて来る。
質問者の「乗ってみたい感」が伝わって来る。
「楽しいですよ!」





旧中川船番所資料館前の淵で多くのカヌーが練習している。
カヌーのタイプも多く、一人乗りから二人乗り、四人乗りまである。
そして、手前(一番手前のオヤジは我々のメンバー)の青い船は、カナディアンカヌーと言うらしい。
立って漕ぐタイプである。





彼らは、中川大橋下から東大島駅(川の上にある)下の200mほどの距離を何度も何度も全力で漕ぐ、インターバルトレーニングを繰り返している。

彼らの体力と操る船の速さに感心していたら、前出のオヤジメンバーが教えてくれた。
彼らは東京都代表の国体選手だそうだ。
なるほどね・・・。

















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日比谷公園超お祭り(松健サンバ)

2014年08月02日 | 散文





帰宅すべく地下鉄の入り口を下りようとしたら、日比谷公園が派手である。
お祭りみたいだ。
基本、祭り好きである。





まだ時間が早いのでちょっと寄ってみよう。
チラシと団扇を配っている人が小父さんで、祭りらしくない。





提灯で作られたゲートの向こうに行ってみる。
この提灯、何て書いていたのだろう?
今改めて見ても、よく分からない。






勤め帰りの人たちが歩いている。
客は多くない。





屋台が沢山出ているが、客足が鈍いぞ。
と言うか、客が居ない。




店の兄ちゃんも手持ち無沙汰である。
まだ明るいし、人出も少ないし、盛り上がるのはこれからだね、きっと。





突然、一般的な盆踊りの曲が「松健サンバ」に変わった。
やぐらの上では若い女の人数人が、あの振り付けで踊っている。
その前で、祭りの関係者も踊り出した。





懐かしい!
私も踊った事がある。
特約店会の宴会を盛り上げる為に、箱根でやった・・・。

JTBの営業(女性)から「松健サンバは誰がやってもハズしません。今最高の宴会芸です。大ウケ間違いなしです!」などと言われてその気になって、2週間位練習して、同僚達と10人位で・・・。
超ウケた!





この人も同じような思い出があるのだろうか?




周りを見回していたら、屋台の向こうに解体中の旧長銀本社ビルが見えた・・・。




家に帰って玄関前で貰った団扇をみたら、「これがプロのお祭りだ!」と書いてある。
そお?
松健サンバ以外に感動したものは無かったけど・・・。
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