荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

紅白の彼岸花が咲いた。

2020年09月30日 | 散文

東京も朝夕は肌寒くなって来ました。彼岸花が咲きました。

 

紅白の群生です。最近白い彼岸花をよく見るようになって珍しく無くなりました。品種改良なんかしないでしょうから、突然変異種の増殖でしょうか?

 

むしろ毒々しくも艶やかな赤が好ましく思ったりします。

 

秋の風景です。

 

 

場所を移動しました。白い彼岸花の咲いている場所です。これはこれで清楚ではあります。

 

上からも。

実はここ、例の7月に咲いていた場所です。同じ球根からか、別の球根からの発芽かは不明ですが、2度咲きしました。

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ノーベル賞から5年の墨田工業高校

2020年09月30日 | 散文

あれから全然気にしていませんでした。突然こんな石碑に出くわしました。ノーベル賞受賞顕彰記念碑です。「2015年 生理学・医学賞」 「理学博士 大村 智 先生(本校元教諭)」 

「研究業績 天然物有機化学の世界的権威で、世の役に立つ新規天然有機化合物の発見を目指して独創的な研究を推進し、約500種の微生物由来の新規化合物を発見。それらのうち、26種が医薬、動物薬、農業用薬剤および生物化学研究用試薬、として広く世界で使われている。中でも抗寄生虫薬イベルメクチンは熱帯病のオンコセルカ症およびリンパ系フィラリア症の予防・治療薬として、また、沖縄地方および東南アジアに多くの罹患者がいる糞線虫病、そして有効な治療法のなかった疥癬の治療薬などとして年間約三億人に使われ、人類の福祉と健康の向上に多大な貢献をされた。

加えて大村教授の研究業績は生命現象の解明、有機化学の発展並びにバイオテクノロジーの発展に極めて大きなインパクトを与えるとともに、新しい微生物創薬への道を切り開いた。」

 

「墨工学友会」に依るものです。こんな記念碑が建立されていました。

 

見上げるとノーベル賞受賞の垂れ幕もあります。

 

学校を見ます。1900年ですから19世紀の創立です。

 

正門です。都立工業高校です。

 

歴史ある学校ですが、職業高校の志願者が減っています。受賞以降志願者は増えたのでしょうか?

大村教授のノーベル賞受賞は、その経歴からもインパクトが大きかったです。振り返り記事を参考に。

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9月場所千秋楽翌日の国技館界隈

2020年09月29日 | 散文

全く人通りが無いです。あの鮮やかな力士幟もさっさと撤去されています。

 

番付看板も撤去されました。正代の優勝で9月場所の幕が下りました。

 

皮肉なことに、このポスターに優勝力士は居ません。

 

国技館の入り口です。

 

柵から覗きます。闘いの跡はいつも寂しいです。

 

千秋楽のスケジュールが残っています。残された者の感情を置いてきぼりにして時は先を急ぎます。

 

両国駅にも人が居ません。電車がやって来て出て行きます。

 

国技館が残されます。

 

両国の歩道に力士像があります。

 

古代、大きな相撲取りは神の化身でした。お腹を撫でて行きます。

 

大鵬の手形がかすれています。

 

彼は昭和の少年の神でした。

 

春日野部屋です。

 

相撲協会理事長を排出した部屋です。

 

部屋を見上げます。青空にこの存在感で聳えます。

何はともあれ、開催中にコロナ感染も起こらず無事に興行を終えた安堵感があります。

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正代が優勝した翌日の時津風部屋周辺の風景

2020年09月29日 | 散文

9月場所で正代が優勝しました。部屋は何の変化もありません。

 

勝手口を通過すると本所松坂公園に行き当たります。秋の陽射しを受け白壁に囲まれた小さな公園です。「本所松坂町」の町名は無くなっていて、この公園に残っているのみです。

 

ここが吉良邸跡です。

 

門の正面には、吉良上野介像が鎮座しています。

 

雲一つない空からの光が濃い影を落とします。永い歴史を連想させます。

 

「足利が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」との言が残る、源氏の名家です。空が抜けます。

 

時津風部屋に戻って来ました。この通りの向こうに工事中の建物が見えます。

 

秋の陽射しが涼やかに、明るい空の下は両国小学校です。

 

芥川龍之介文学碑です。鏡のように磨かれた石碑が両国の路地を映します。説明版を読みます。 「芥川龍之介は、明治二十九年(1892)三月一日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年辰の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後七ヶ月の時、母ふくが突然発病したために、本所区小泉町十五番地(現両国三丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、十三歳の時芥川家の養子となりました。 芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど江戸趣味豊かな家庭でした。本所は龍之介の幼児時から少年期までの大事な時期を育んだ場所で『大導寺信輔の半生』『本所両国』などの作品にその一端を見ることが出来ます。

龍之介は明治三十一年回向院に隣接する江東尋常小学校附属幼稚園に入園、翌年同小学校(現両国小学校)に入学しました。明治三十八年(1905)府立第三中学校(現両国高等学校)に入学、同四十三年成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。その後大正二年東京帝国大学英文科に入学、同五年卒業しました。東大在学中、夏目漱石の門に入り同人雑誌『新思潮』『新小説』に優れた短編を発表して文壇に華やかに登場しました。 この文学碑は龍之介の代表作の一つである『杜子春』の一節を引用したものです。この両国の地に生育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生観を学び、氏の文才を偲ぶものとして両国小学校創立百五十周年の記念事業として、平成二年十月に設立されたものです。」

こんな場所に時津風部屋は在ります。芥川龍之介の幼少期をもう少し知りたい方はこちら

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正代が優勝した翌日の時津風部屋周辺

2020年09月28日 | 散文

9月場所で正代が初優勝しました。そして大関昇進が決まりました。さぞや昨夜は賑わったことだろうと時津風部屋にやって来ました。・・・いつもと変わりません。玄関を閉ざしたままです。

 

部屋のマンションに横断幕が出ている訳でもありません。だって、初優勝だし、時津風部屋の優勝はいつ以来だか分からないくらいだよ!

 

勝手口に回りました。稽古後でしょうか?力士の声はしますが・・・

 

昨夜の宴会ゴミもありません。

 

墨田区の説明板です。読みかけて、あっ!時津風親方は、場所前に相撲協会が示達したコロナ対策行動規範に違反した為、謹慎中です。・・・そういうことでしょうか?正代可哀相に。

 

それではと、すぐ近くの出羽海部屋にやって来ました。玄関が開け放たれて、大きな扇風機が回っていて、作業員が出入りしています。前回も場所後にこんな光景に出くわしました。土俵を作り直しているのでしょうか?

 

沢山の自転車は弟子の多さの明かしです。

 

説明板を読みます。名門中の名門です。

 

場所前私は御嶽海に期待していました。彼は既に2回優勝しています。大関候補の筆頭でした。ところが今場所はやっと勝ち越しという成績です。仲の良い朝乃山に先を越され、今度は正代に大関になられて、さぞかし悔しいでしょう。

 

説明板の前のゴミが昨夜を物語ります。御嶽海はどんな打ち上げだったのでしょう?

 

すぐ近くの井筒部屋に来ました。墨田区の説明板がまだ残っています。「井筒部屋」の門灯の文字も残ったままです。

 

でも、ここに有った看板はもう有りません。

 

前井筒親方が亡くなって、鶴竜以下4人の弟子は陸奥部屋に移籍しました。既に新しい井筒親方は、昨日優勝した時津風部屋の部屋付き親方、元関脇豊ノ島に替わっています。

勝負の世界は非情です。感情を置き去りにして、淡々と時が進みます。

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深川かかし祭り/2020年・アマビエ

2020年09月28日 | 散文

さて、思っていたとおり有りました。アマビエです。最初にその存在を知った時、「甘海老」と言ってしまいました。

 

思っていた以上に有りました。深川かかし祭りは世相を反映します。

 

かかしは子供も作ります。コロナ禍が子供に与えた影響がいかに大きいかが分かります。

 

子供も随分我慢しています。

 

早く外で遊びたいよね。

 

近年こんなに何かに願ったことはないと思います。

 

各人それぞれ工夫を凝らしたアマビエです。

 

こんなカワイイのも有ります。

 

そういえば、怖いアマビエは無かったです。

 

悪疫退散を願って、こんに沢山のアマビエが登場しました。願いはきっと届きます。

 

オリンピックはできるでしょうか? その願いは叶うのか?

明るい世相になるにはまだまだ時間が掛かると思います。頑張ろうね。

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深川かかし祭り/2020年・コロナ禍

2020年09月27日 | 散文

かかし祭りは世相を反映します。予想以上に多かったのが、コロナ禍関係です。それほど庶民の暮らしへの影響が大きいことを表しています。そしてここでは風刺が利いています。コロナ禍に関するかかしを特集しました。

「ストップザコロナ」見物者もマスクで散策です。

 

 

これがコロナ禍の正体「コロナ星人」です。コロナ星からの侵略者です。

 

「コトミちゃんWITHコロナ」です。コトミちゃんは江東区のマスコットのカルガモです。「水彩都市江東」の水辺でよく見かけます。

 

やっぱりありました。「みんなのけんさん」 志村さんの死は衝撃でした。ただ事じゃないことを教えてくれました。

 

「マスク男アベノマスク」 政策の的外れのチグハグさが政治生命の命取りでした。

 

そして、出たっ!!「○○マスク」です。

 

「コロナと戦う」 医療関係の方々の奮闘に頭が下がります。

 

ソーシャルディスタンスかかしです。

 

誰もが知る中国寄りのWHO。そっくりですが、「リベンジ賞」です。審査員は誰かに忖度してる?

 

この人の真似をして、各地の政治家がフリップを振り回すのが流行しました。

 

「コロナを倒す!ひみつ戦士セイラ」 頼むよ!

 

渡さんもコロナじゃないけど今年無くなりました。世相を反映します。「こちら大門 密を発見」

 

「忍者がコロナを切る」

 

制作者は毎年ユニークなかかしを作る蕎麦屋ですが、ずっと店を閉めています。噂では、時々営業しているらしいです。

 

創業大正六年の老舗です。丼ご飯にアサリの味噌汁をぶっかけた、本来の深川めしを食べさせていました。ここの蕎麦も好きなんですが・・・、それでもかかしは作り続けています。

 

「コロナバスター」 強そうじゃないけど、頼むよ!

 

志村けんさん2体目のかかしです。コトミちゃんから「ありがとう」です。

この話、まだ続きます。

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深川かかし祭り/2020年ー3

2020年09月27日 | 散文

秋らしい気候になりました。かかし祭りは深川の初秋の行事です。散策が続いています。 

これは作品名を見なくても分かります。ピカチュウです。

 

「三太郎の金ちゃん」です。三太郎の?? 分かりません。分からない時は深く考えません。藤井二冠に目元が似ています。

 

これはねえ・・・? 牛です。

 

「クラゲのおなかでプーカプカ」です。なるほどね。銀賞です。

 

「らいちゅうくん」です。孫が言うには、変身してピカチュウになるそうです。

 

壁面アートビルまで戻って来ました。ホントに電柱の影が壁に落ちているようです。鳩も止まった影です。

 

「かぼちゃ姫」金賞です! これがぁ・・・⁉

 

瀬流モニカは深川出身の期待のパラリンピック選手です。カヌー仲間の期待の星です。

 

「パーパ パパ」手形は子供たちのものだと思います。パパにしがみつく手です。

 

「仮面ライダー ゼロワン」です。孫に教えて貰いました。強い!らしいです。

 

客待ちの店頭です。

 

ちょっと寂しいですね。

 

「木場の角乗り」です。深川の伝統芸能(?)です。

 

「たぬきちとかっぺい」らしいです。その話を知りません。

 

「ヨーダダヨーダ」

 

喫茶店が誘いますが、散策を続けます。最近の深川は喫茶店が多くなりました。

 

深川祭りは世相を濃く反映します。コロナ禍関係が無いな?と思っていたでしょう? 安心してください! あるよ!

この話、まだ続きます。

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深川かかし祭り/2020年ー2

2020年09月26日 | 散文

深川かかし祭りには、楽しいかかしを観に普段より多くの人が集まります。コロナ禍で外出を我慢していた今年はいつもに増しての人出です。かかしを観ながら散策して楽しみます。店も商売のチャンスです。

 

「ちゃぴいの水あそび」、作者は「まつりとママ」です。微笑ましいです。「ちゃぴい」はペットでしょうか?

 

これは知っています。元気な「ピカチュウ」です。

 

「江戸深川江戸資料館」です。この祭りの通りは「江戸深川資料館通り」です。今日の人通りは多いです。

 

向かいの賑わいは「深川めし」の老舗が営業中です。

 

本店は「富岡八幡宮」の境内に在ります。

 

「ライダー参上」

 

「まごのこもり」です。昨今のコロナ禍では嫁が孫を触らせてくれません。

 

「にんじゃでにんにん」 凛々しいです。

 

「霊厳寺」です。寛政の改革推進者(現在では「失政」との評価ですが、)「松平定信」の墓があります。他に、松平家及び徳川四天王のうち「本多家」と「榊原家」、そして故郷今治の城主「久松家」の墓はこんな通り沿いに在ります。

 

「禰豆子まじょ」 作者は「れいがんじ幼稚園」です。

 

「はーとりぼんちゃん」ですが、ハートリボンと読むのですね?「ハー鳥ぼんちゃん」と読んでしまって首を捻りました。後ろは前出の「深川めし」前面は「江戸深川資料館」です。

 

人の出入りが多い「江戸深川資料館」です。かかし祭りの通りを引き返してきて、反対側のかかしを観ています。

 

最近剣士が人気のようですが、・・・全く分かりません。

 

「未来を変える取り組みSDGs」作者は「障碍者福祉センター 第一作業訓練室」です。銅賞です。

 

この行列の「深川めし」も人気店です。TVにも紹介されています。この界隈に複数の深川めし屋が在って、夫々特徴のある飯を提供してます。

 

休憩用の縁台脇に喫茶のメニューです。

休憩なしで散策が続きます。

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深川かかし祭り/2020年ー1

2020年09月26日 | 散文

恒例の深川かかし祭りです。毎年世相を反映したかかしが注目を集めます。では順番に鑑賞します。ほぼ全部のかかしを網羅しました。先ずは「ねずみ男と目玉のおやじ」から。

 

「ありがとうシャンシャン」です。パンダはいつの世も子供の人気者です。さて、何が「ありがとう」なのか小父さんには分かりません。

 

「スティッチ」と書いています。・・・見たことはあります。

 

豆腐屋の出し物は「はにわ」です。

 

祭りだから、当然商売に精を出します。本屋です。天気が良いので歩道に展示でします。

 

「園長とラテちゃん」 園長と言われても分かりません。「ラテちゃん」とは腰に付いている人形だと思うけど、ラテちゃんを知りません。園長のとぼけた味が好いです。

 

この足つぼマッサージ店は毎年愉快なかかしを出しますが、「金賞」には至りません。

 

やっぱり、この人のかかしが有りました。

 

秋の陽射しがビルに影を落とします。って、嘘です。壁面アートです。

 

「今日から俺は!」

 

「タヌキンス」??です。銅賞です。

 

「侵略者」の後ろは親子連れです。東京をも対象にした「GOTOキャンペーン」が始まります。人が外に出てきている東京です。

 

呉服屋「玉起屋」の出し物は「清澄白河のねず子」です。

 

店頭の様子です。

 

祭りを待ってバーゲンセールです。

 

「ピカチュウ」かと思いました。

 

ここ最近は素朴なかかしばかりになりました。以前は玄人裸足(玄人だろう!)の作品があって目を引いたものです。

(以前に出品されていた玄人さん?の作品)

 

 

 

この話、続きます。

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白い彼岸花 二度咲き?

2020年09月25日 | 散文

白い彼岸花が芽吹いて咲き始めていました。

 

 

 

でもこれって、7月に咲いていた場所なんです。彼岸花って、二度咲きするんですかね? 初めての体験です・・・?

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イタリアンレストランで、

2020年09月25日 | 散文

父方の叔父の墓参りに来ると最近はここで昼食にします。東京勤務になった時、母から「親兄弟と離れて遠くで亡くなった人だから、おばちゃん達は遠くてお墓参りに行けないのだから、アンタが親戚を代表してお墓にお参りしてね」と言われて始めた彼岸の習慣です。

 

春秋の年2回、もう30年を過ぎました。墓前で一度だけ叔父の息子すなわち従兄弟に出会ったことがあります。そんな薄い親戚関係ですが、父母が亡くなってからは、ここの墓を故郷の墓の代理のようにして墓前で手を合わせています。

 

とても繁盛しているレストランで、毎回1時間くらい待ちます。最初はたまたま入った店ですが、以降待ち時間があるのを承知で年2回来ています。ある意味ここでの食事を楽しみとしている墓参です。煙突を見上げます。ピザ窯がフル回転しています。

 

秋の風が煙りを曲げます。

 

見上げる秋の空です。

 

順番が来るまで庭の花を眺めます。

 

名前は分かりません。草花に疎いです。

 

今の時期の花だと思います。

 

こんなふうに草花を眺める時間がたっぷりあるのは久しぶりです。

 

暖かくもあり彼岸でもあって、ホンワリ子供の頃を思い出しています。

 

マツバボタンです。この花の名前は知っています。

 

子供のころよく行った母の実家にいっぱい咲いていました。

大事にして貰っていました。帰省したいなあ・・・

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蔵前橋の「首尾松」

2020年09月25日 | 散文

蔵前橋の西端です。いつもは素通りするのですが、古い石碑に興味を引かれました。

 

「首尾松」と読めます。

 

石碑の奥に説明板が有りました。更に植栽の奥の読みにくい位置です。読んで貰いたい意思が感じられませんが、興味が消失しないので読みました。

 

「首尾の松」です。由来については三つの説があります。三代将軍家光が絡む説。吉原での「首尾」を語った説。「ひび」が訛って「しゅび」となった説。江戸っ子は「ひ」と「し」の発音が混同するので、案外「ひび」説かな? いずれにしろ、何度も植え継いだ松は枯れてしまって無いそうです。

 

橋へ向かいます。そもそも蔵前は、江戸時代に蔵が集まっていた場所からできた地名です。

 

上流側にスカイツリーが見えます。

 

隅田川を覗きます。向こう岸は墨田区本所・駒形・石原界隈です。手前の階段から隅田川テラスに下りられます。

 

テラスに行く階段脇から橋を覗きます。隅田川を行く芸者を乗せた船の透かしがありました。上方には松でしょうか? これは先程の「首尾の松」でしょうか?

 

蔵前橋の欄干にも透かし絵があります。横綱土俵入りです。

 

先程の屋形船と芸者と首尾の松です。多分・・・

 

隅田川とテラスを覗きます。先程の説明板によると、100m程下流に首尾の松が有ったそうです。あの辺りでしょうか?

 

橋を行きます。上流にはスカイツリーです。

 

川面には作業船が下ります。

 

はしの2ヶ所に展望のスペースがあります。ここにも相撲取りの透かし絵があります。

 

真ん中の相撲取りを何かの資料で見た記憶があります。確か、大きな童子の絵だったと思います。成人後相撲取りになったけど、弱かった人だったと思います。間違っていたらごめんなさい。

 

蔵前橋から三角形の国技館の屋根を望みます。ここにある相撲取りの絵は、蔵前国技館時代の絵ではないかと思います。

両国国技館では9月場所の終盤戦です。朝乃山の逆転優勝に期待しています。

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復活した場外馬券売場の周辺

2020年09月24日 | 散文

錦糸町のJRA場外馬券売場が復活しました。国のイベント自粛解除を受けての対応です。

 

隣のパチンコ店に国旗が出ているのは場外馬券売場が復活したからではありません。敬老の日です。

 

でも、こちらは国旗を掲揚したい気分でしょう。場外馬券売場の客を相手に商売していた飲み屋です。客は朝から飲みながら、店内の競馬中継を見ながら、一喜一憂して一日を過ごすのです。

 

でも、殆どの店が閉まったままです。コロナ禍で、もう半年以上場外馬券売場が閉鎖されていました。国の経営助成金を貰っても、普通半年以上も客が来なければ倒産します。時すでに遅しか?

 

開いているのは数件です。

 

チェーン店ばかりのように見えます。そしてこれらは、飲みながら一日遊ばせてくれる店ではありません。

 

振り返るシャッター街です。

競馬場に人が来なくても、場外馬券売場が無くても、今年のダービーは前年比約9割の売上を確保しました。ネット投票の時代です。やがて場外馬券売場そのものが不要になります。

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がんばれ!山響部屋

2020年09月24日 | 散文

荒川の土手に近い街です。こんな幟が出ていました。ちょっと驚きです。誰が出したのでしょう? 後援会か?地元民か?

 

幟の脇の八百屋では、地元民が座り込んで井戸端会議中です。

 

屋上にマワシを干している、あれが山響部屋です。北の湖部屋の部屋付き親方だった山響親方は北の湖理事長の逝去に共なって独立し、旧北の湖部屋の間借りからこの地に移転して部屋を構えました。彼は大恩ある北の湖が応援していた貴乃花の後を追って、彼の近くに移転したのです。彼は小部屋ですが、師匠北の湖の引きもあって、相撲協会の理事です。相撲協会の理事長選には貴乃花に投票していましたが、貴乃花最後の理事選には投票しませんでした。その直後貴乃花は引退しました。そんないきさつがあります。

 

山響部屋前から向かいの八百屋を見ます。井戸端会議の最中です。気になります。

 

部屋前に彼が居ました。「看板を撮らせてね」と断って、黙って背を向けた彼の背中と共に撮りました。本場所中のこの時間に居るのは十両未満の力士です。彼らの取り組みは7日間なので、今日彼は出番が無い日のようです。部屋には十両に北はり磨が居ます。この部屋初めての関取です。その他は幕下以下に14人の力士が居ます。

 

部屋の看板です。旧北の湖部屋間借り時代は横書きの看板でした。引っ越した時に、その看板が玄関先に投げ出されていたのを覚えています。たまたま今日のようにそこに居た力士に「捨てるの?」と聞いたら、ムッとした表情で「あげる先が有ります!」と答えていました。

 

窓が空いていて土俵が見えます。この部屋には、旧北の湖部屋の看板が土俵に掲げられていると聞いています。

 

金網越しの土俵です。北の湖部屋の看板はここから見えません。

 

斜め前には先程の八百屋です。まだ会議中です。道路を渡ります。

 

八百屋の脇の路地は下町の風景です。

 

振り返る山響部屋です。

 

気になります。この幟は誰が出したのでしょうか?

店舗が無くなっていって名ばかりの商店街ですが、彼らがこうして応援しているのでしょうか? こんなに応援している街はありません。ホントに頑張れ!

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