「ブルネイ・ダルサラーム国大使館」
港区から品川区に渡ったすぐの所に、南の国らしい白い建物があります。
この季節には見た目寒いです。
東南アジアのイスラム教国で、イギリス連邦加盟国です。
ボルネオ島(カリマンタン島)北部に位置し、北側が南シナ海に面するほかは陸地ではマレーシアに取り囲まれています。
首都はバンダルスリブガワンで、元首はハサナル・ボルキア国王(スルターン)です。
石油や天然ガスなどの資源を多く埋蔵しており、ASEANの一員になっています。
環太平洋戦略的経済連携協定の原加盟国でもあります。
波乱の歴史を持っています。
1660年代、王室で起こった内紛を鎮圧し、援助したスールー王国へサバ州の大部分を割譲しましました。
1775年からイギリス東インド会社がブルネイのスルタンと貿易交渉をします。
南京条約の1842年、ジェームズ・ブルックによるプランギン・ウソップの乱鎮圧をスルタンが評価し、サラワクを割譲します。
3年後、トマス・コクランがサバ北端を根城にもつ海賊を掃討します。
ブルネイの財政基盤である奴隷狩りがイギリスの奴隷貿易廃止方針と利害衝突し、1846年にスルタンが親英勢力の排除を命令します。
門扉の隙間から覗いてみます。
1888年、サラワク王国と北ボルネオがイギリスの保護領となります。
1906年に補足条約締結、イギリスが駐在官を設置し、国教に関わらない限り駐在官の意見を全て飲まなければならないと定めました。
開発が進められ、初めプランテーションを軸としていたものが1929年からセリア油田にシフトしました。
1941年、太平洋戦争の勃発に伴う日本軍の侵攻により1945年まで日本の統治下となり、サラワクとブルネイの国境線が無視される形で行政区域が定まります。
日本はスルタンを現地勢力として支援しました。
隣には大使公邸があります。
1947年、香港上海銀行の開いた支店が国内初の銀行となりますが、1985年に取り付け騒ぎが発生します。
1959年、条約改定、イギリスの自治領となり、駐在官制度廃止、高等弁務官が常駐します。
1962年、ブルネイ人民党内の急進派によるブルネイ動乱があり、1963年、石油法および石油関連所得税法を制定し、1967年、シンガポールとの間に通貨等価交換条約を締結しました。
1971年に条約を改定して完全自治達成し、1975年、ロイヤル・ダッチ・シェルの国内部門で株式の過半数を取得します。
1984年、イギリスより独立し、国連などに加盟しました。
きっかけはクラウン・エージェンツのスキャンダルです。
2008年頃より、王族の一人Pengiran Karamul Bahrinにより日本人を始め、台湾人、韓国人、中国人が被害者になる詐欺が発生しています。
被害者はいまだに救済されずBahrinは逮捕されていません。
(ウィキペディアより)
凄い歴史ですね。
この話、続きます。