印象派の絵のピクニックを連想します。
皆さん楽しそうです。
中央広場の中を横切る小川があります。
小川の傍にテントを張ります。
木漏れ日が優しいです。
秋の空の下です。
水遊びも楽しいです。
印象派の絵画のようです。
印象派の絵のピクニックを連想します。
皆さん楽しそうです。
中央広場の中を横切る小川があります。
小川の傍にテントを張ります。
木漏れ日が優しいです。
秋の空の下です。
水遊びも楽しいです。
印象派の絵画のようです。
いつもの遊歩道を行きます。
早秋の水辺です。
景色を楽しみながら行きます。
いつも足を停めるノッポの樹です。
光と影の水辺です。
木漏れ日の下を行きます。
あれっ⁉ 好きな桜がすっかり葉を落としています。この水辺の遊歩道には桜が殆ど無くて、この形の良い木の花を見るのを春の楽しみにしています。
振り返る空は秋の雲です。清々しい空に裸です。不釣り合いな桜です。
この木だけ、一足飛びに冬支度です。
中央広場でのピクニック真っ盛りです。オープンスペースを求めて、結局集まりました。
初秋の休日です。
多くの家族連れが出て来ました。
コロナ禍の下で楽しんでいます。
空は晴れて、風が心地いいです。
やっぱりこの頃のピクニックにはテントが欠かせません。家族だけの世界を確保できて、ウイルスの感染を防止できます。ましてや、この広い草原です。
風が木々を揺らせます。
木漏れ日が心地良いです。
密を避けています。
草原の初秋です。
まだ光が眩しい秋の初めです。
先週シルバーウイークの写真です。水元公園の小合溜です。青空と雲が秋の景色です。
暑くて風があります。いつもの道を行きます。
メタセコイアの森に入ります。
休日なので家族用のテントが設置されています。
こちらにも。
楽しそうなピクニック風景です。
見上げる空が高いです。
再びピクニック風景を眺めます。
楽しそうで幸せそうです。
コロナ禍の空です。
木漏れ日と静寂の森です。
皆さん幸せそうです。コロナ感染が下火になっていますが、油断大敵ですよ。
尾久橋通りと尾竹橋通りが合流した三差路角が工事中です。
広い土地です。
やっぱりマンションが建つようです。
警備員のあの人に聞いてみました。「ここは『笹乃雪』が在った場所ですよね?」 「そうです」 「あの名店はどうしたんですか?」 「この土地を売ったようです。コロナ禍の影響もあったのじゃないですか?」 「あの宮様が名付けた豆腐はどうするんですか?」 「そうして聞いてくる人が何人かいます。どこかに店を出すように聞いていますが、まだ場所は決まっていないようです。このような大きな店はもう持てないでしょう。そんな空地は無いですよ」 こんな話です。諸行無常は世の常と言いますが、やっぱり残念です。
徳川幕府に変わった時に、上野寛永寺の住職として赴任された天皇の弟君(徳川家が天皇家から人質を取って(?)、自分ちの供養をさせ、以後幕末までの15代、天皇家の縁者が住職を務めた)が京都から連れてきた豆腐屋が始めた店です。 2度行ったことがあります。1度は家内と昼食で、もう1度は会社人時代に同僚と飲み会で。立派な大きな店でした。よく行っておいたものです。そして、皆さんよく付き合ってくれたものです。記憶に残っています。
<在りし日の笹乃雪です>
「笹乃雪」の店名は、宮さまがその豆腐の白さを「笹に積もった雪のようだ」とおっしゃったことからです。なお宮様は餡かけ豆腐がお気に召されて「以後2椀供せよ」と申され、以来ここの膳には餡かけ豆腐が2椀付いていました。
店頭には正岡子規の句碑がありました。「水無月や根岸涼しき笹乃雪」 子規もここの豆腐が好きだったようで、他にも詠んでいます。「朝顔に朝商ひす篠の雪」
あの句碑はどうしたのだろう? 「羽二重だんご」の句碑のように再会できるのだろうか?
2週間前に比べて黄色が増した銀杏並木です。両国国技館にあの華やかな幟が無くなりました。一夜明けると何にもありません。あの興奮の舞台が嘘のような静けさです。
場所が終わったのに力士が国技館に向かいます。あの浴衣は浅香山部屋のものです。
またやって来ました。相撲診療所へ行くのでしょうか? 相撲には怪我がつきものです。
スカイツリーが見通せる路地にやって来ました。
伊勢ヶ濱部屋です。昨日の千秋楽で照ノ富士が優勝しました。
玄関前は打ち上げの名残りです。
斜め前の家です。「横綱」の文字が増えました。
商店街の弁当屋です。いつもの横断幕です。
伊勢ヶ濱部屋周辺は思ったより静かです。大関や横綱に昇進したわけじゃないけど、新横綱の初優勝です。新横綱で優勝したのは史上9人目です。やっぱり快挙です。
昨日の優勝インタビューに感心しました。前回の大関時代と比べると人間的にずいぶん成長したように思います。念願の大関に復帰しただけでなく横綱に昇進し、昇進場所初優勝までしました。その、「一生懸命やって、良かったなと思います」の言葉に感動しました。あの辛口評論家の北の富士氏も、彼のインタビューを評価していました。
場所終盤は膝が良くないようでした。彼が一番、もう長く相撲を取れないことを知っています。もう、相撲取りとして望むものは無いように思います。いつ引退しても良いとの心境ではないでしょうか? そんな心境も忖度して、改めて「おめでとう!」です。
白鵬が引退するらしいです。その件で、国技館前でTBSのインタビューを受けました。一時代が終わります。
「日暮しの里」の団子屋です。
店脇の上野のお山に向かう坂は、芋坂です。戊辰戦争で彰義隊が武具を店の屋敷庭に投げ捨てて落ちて行った坂です。大河ドラマの渋沢成一郎もその一人だったと思います。
全面道路は王子街道です。彰義隊達はこの道を北へ逃げて行きました。この道は、正岡子規葬送の道でもあります。
「いも坂」と「王子街道」の道標です。
正岡子規の句碑があります。夏目漱石や森鴎外などの文人に愛された団子屋です。「芋坂も団子も月のゆかりかな 子規」
店の歴史を語ります。
この店がすっかり風景に馴染みました。人間って、違和感を覚えても、その状態が続くと受け入れてしまうものですね。もっとも、建て直しに際して上記の説明板や道標や子規の句碑など、店の雰囲気を醸していたそれぞれを元の位置に復元しました。そんな配慮も馴染み易さに貢献していると思います。
もう、「氷」の幟暖簾も見納めですね。
この看板は変わりません。そう、現在の「羽二重だんご ここ」です。
立派な銭湯に出くわしました。
場所は「金町末広商店会」の通りです。
玄関に「金町湯」の看板が有ります。
綺麗な建物です。新しく感じます。
看板がお洒落です。看板も新しいです。
改めて見る軒下の看板も新しく感じます。
料金表が出ていました。けっこう高いですね。
このお知らせを見ていた中年夫婦に聞きました。やっぱり最近リニューアルオープンしたようです。
改めて全体像を見ます。好いじゃないですか! 後ろは線路です。
銭湯脇の道路の先にガードトンネルが有りました。
チェーンの場所が金町湯の駐輪場です。振り返りつつ行ってみます。
狭くて、以外に長いトンネルです。
出口です。
振り返ります。利用者が多いです。
秋の空が広がっています。天気も良いし、なんたって、銭湯の復活が嬉しいです。
こんな立て看板が出ていました。「どんと市」らしいです。商店街組合のイベントのようです。
1000円一口で抽選できるようです。賞品はこの商店街で使える商品券のようです。こんなに人だかりがするのは、緊急事態宣言前の昼呑みのもつ焼き屋以来です。こんなに・・・? そう、こんなに。
新装開店した店です。この商店街は閉鎖する店が殆どですが、新規参入店です。頑張って貰いたいです。
「どんと市」らしく、この商店街の中心地から駅迄の店が開いていて活気があります。そう、いつもと違います。
餃子屋さんにおでん屋さん。買物客が来ています。
昨年末に買収オープンした八百屋にも客がいます。
麺屋も、
まぐろやも、いつもと違います。
駅前に横断幕が張られて祭りらしいです。
駅前から振り返ります。初めて見る人は感じないでしょうが、いつもに無い人出です。やっぱりイベントは効果があります。普段から見ている私にはその変化がよく分かります。
アーケードの屋根に錆が浮いています。
その向こうは青空です。秋なのに、真夏日の青空でした。
柴又駅前広場です。見送るさくらの背中です。
振り向く寅さんが見づらいです。
柴又に人が増えました。
本来の人出には遥か遠い景色ですが、緊急事態宣言中でもあります。
皆さんの目的は帝釈天です。
私は素通りして京成金町線沿いを行きます。踏み切りを渡ります。
柴又方面のカーブです。
金町方面の直線です。
彼岸花が咲いています。彼岸の風景に似合います。
彼岸花は一番秋の訪れを感じさせる花だと思います。
どうして「秋の七草」に入っていないのでしょうか・・・?
「一本松の渡し」説明板に記載されていた「庚申塚の上に立つ一本松」を探しに来ました。これのようです。ここ記憶があります。この近所に鉛筆工場跡を探しに来ました。昔は隅田川の水運を利用して木材の搬入が盛んでした。この界隈に鉛筆工場が沢山在りました。
西日が反射して見づらいですが、「一本松グリーンスポット」との記載が有ります。平成6年に造られたようです。
公園に入って見ます。後ろ側が先ほどの「一本松の渡し跡」ですが、ちょっと遠いです。300m程離れていますが、小さな丘の上に立っていたので、渡しへ行く良い目印になっていたのだと思います。右手の道を行くと渡し場です。
説明板です。
文字が読めませんが、庚申塔のようです。
庚申塔と現在の一本松の正面には母子像「愛」です。この先が「一本松の渡し」です。
母子像から一本松を見ます。
なかなか往時の面影を偲べません。
こんな説明板に出くわしました。たったこれだけの記載ですが、対岸の千住緑町には寂れた商店街が今でも残っています。往時は賑わったのでしょうね。
「町屋1丁目の庚申塚の上に立つ一本松」に興味あります。後で探します。
案内板は団地の前に立っています。
正面には「土地区割整理記念」碑が立っています。昭和10年に完成したようです。「暴れ川」と言われた隅田川が、大正15年に荒川放水路が完成したお陰で落ち着いて、護岸が完成して土地の流失の心配が無くなって区割りができたものと思います。
揮毫は、候爵「西郷従徳」です。おそらく、西郷隆盛の弟従道の子孫だと思います。
自転車を停めて裏を覗きます。区割りに尽力した町役員の名前です。最近はこうして名前を残す手段が無いです。神社やお寺に寄付するとかしか方法がありません。氏神も菩提寺も遠い東京に住んでいると、そんな機会もありません。別に名を残したいとは思いませんが、、、
斜め前は「荒川病院」です。町の重要ポイントですね。
で、「東へ60mほど行った」あそこが渡し場だったようです。行ってみます。
隅田川の土手につき当たりました。柵に鍵が掛かっていて土手には上がれません。周囲を見回しましたが、説明板のようなものは有りません。あの説明版に出くわさないと、そんな歴史に気付かないまま行き当たって、戸惑ってしまいます。
「矢切の渡し」は歌になり今でも営業しているので有名ですが、時々こうして渡しの記録に出くわします。でも、名残りも記録も残っていない渡し場が沢山有ったのでしょうね。
大塚で「いろはにほへと」を見ました。「と」の角を曲がると「ちり」です。小さな店が2軒並んで、と思ったら、「唄い処タオパイパイ」は2階です。
「良心的、低料金のお店」です。1階は、「餃子楼」です。この店「は」にもありましたね。こちらは点心です。
「ち」と「り」の全体図です。色使いが好いです。
「ぬ」に来ました。
「うな串 焼鳥 う福」です。1階の真ん中に長くぶら下がった白黒は、ウナギですね。
アップで見ました。周りに黒色が多くてこれでも見づらいです。
さて、「る」です。この日は見過ごしたので後日やって来ました。2日掛けての訪問は曇りの日です。都電の線路の向こうに「る」が在ります。
「スシエビス」と書いています。「寿司恵比寿」でしょうか?
緊急事態宣言中ですが、「酒やってます」です。 最近都の要請を無視してアルコールを提供する店が目に付くようになりました。
客の落ち込みが続いていて、経営的に開き直らざるを得ないのでしょうね。「つまんで飲める酒場な寿司屋」です。「お料理ほぼ299円」は安いです。こりゃ、アルコールが出ないと収益が上がりませんね。
賄い付きのアルバイト募集中です。飲食店はスタッフ集めも大変です。
坂の向こうが大塚の中心地です。
都電が横切ります。
こんな「いろはにほへとちるぬる」でした。