荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

日暮里・舎人ライナーを追ってみる-2

2016年09月30日 | 散文
前回の続きです。

急に緑豊かな場所に来ました。




舎人公園駅です。


広大で緑が多い清潔な公園です。


公園を縦断して線路は進みます。


舎人駅に来ました。


舎人が終点かと思っていました。
だって、日暮里・舎人ライナーですもの。
線路は続いています。

ここまで来たら終点まで行きます。

昼食にします。
コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりを食べた氷川神社です。

何の特徴も無い神社ですが、やっぱり外で食べるのは気持ちいいです。
偶にはこんな事もします。

食後すぐに見沼代親水公園に着きました。


駅の先の線路が途切れています。
ここが終点です。

線路の情況を見ると、この先にも延長の意志があるようです。

毛長緑道を帰ることにします。




すぐに毛長川に出ました。
対岸は埼玉県です。

日暮里・舎人ライナーはこんな所を走っていました。


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日暮里・舎人ライナーを追ってみる-1

2016年09月30日 | 散文
荒川河川敷を走っていて思い立ちました。
行ったことのない日暮里・舎人ライナーを追いかけてみます。

日暮里駅から熊野前駅までの間はよく知っているので、足立小台から先へ行きます。
この足立小台の駅は一見地上に在るように見えますが、荒川土手上から見た姿です。
河川敷の道路があって、この道路があって、その上に線路があります。


荒川を渡る扇橋の上に線路があります。


向こうに高速中央環状線が見えます。


荒川を見ながら扇大橋の左側を行きます。


線路を見ながら渡ります。


白い江北橋が見えます。


江北橋の向こうは江北ジャンクションです。


対岸に着きました。
橋を振り返ります。
橋桁と線路の間にスカイツリーを入れて・・・。


荒川右岸を振り返ります。


荒川を横切った線路は尾久橋通りの上を一直線に東に走っています。
足立区扇辺りです。


江北駅に来ました。


更に進みます。
尾久橋通りは交通量が多いです。


西新井大師西駅です。
とは言え、お寺から800mほど離れています。


ここは谷在家の駅口です。
駅の改札への出入り口が歩道の左側を向いてあります。


線路はずっと尾久橋通りの上を走ります。


次回に続きます。




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芭蕉が住んだ街

2016年09月29日 | 散文
ママチャリで走っていたら、「採茶庵跡」と書いてある石碑に出逢いました。

その先に、だれかが座り込んでいます。

近づいてみたら松尾芭蕉像ではないですか。
なるほど、芭蕉がお茶を点てていた場所らしいです。
案内板の矢印が川沿いを示しています。


そこには俳句が書かれた道が続いています。


沢山あるので、知っている句だけ読んで歩きました。


松尾芭蕉は江東区に住んでいたんですねえ。
この道も歩いたんだろうかと、しみじみと思ってしまいました。
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回向院ー実は動物供養の寺

2016年09月29日 | 散文
両国と言えば、江戸の昔から回向院です。
門を入ってすぐに力塚があります。

以前、ボランティアガイドが「昔は国技館へ行く前に手を合わせる力士がたくさん居たが、最近は見ない」と言っていました。
江戸時代は富岡八幡と同様に勧進相撲が盛んに行われ、相撲以外にも色々な興行、サーサス等も行われていた場所です。

今まで気にした事がなかったのですが、力塚の隣に「愛犬供養」碑がありました。

なかなか立派です。

改めて境内を巡ってみると、ペットの供養塔が多くあります。
そういうお寺なのでしょうか?


動物慰霊碑があります。


文字の記載は無いけど動物慰霊碑です。


これなんか随分立派な供養塔です。


犬猫供養塔です。


これも犬猫供養塔です。

やっぱりペットは犬猫が多いのでしょう。

このたくさんの卒塔婆全部がペットのものです。


その脇を大きな猫が歩いていました。
声を掛けたら無視されました。


小鳥の供養塔もあります。


圧巻はこれです。
ここ回向院以外、何処にも無いと思います。
何と、オットセイの供養塔です。

ここが昔のイベント広場であった事から、サーカスか見世物に居たオットセイのものでしょう。
立派なお墓を建てて、さぞかし儲けさせて貰ったのでしょうねえ・・・。

その向かい側に鼠の墓があり、多くの人がお参りしています。
江戸庶民のヒーロー鼠小僧が葬られています。

ちなみに、ここには処刑されて晒された首が祀られています。
体は小塚原にあります。

よく見ると、隣に「猫塚」がありました。


右の鼠は安らかに眠れているのでしょうか?




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西新井大師へ行く。

2016年09月28日 | 散文
9月最終週というのに、東京は猛暑日です。
すぐ向こうに唐門が見えます。
帝釈天の1/5くらいの小さな参道です。
信者は圧倒的にこちらが多いです。


門前町の店舗を覗きながら行きます。




平日なので参拝客が少なく、声を掛けても反応が今イチです。


もうすぐ参道が終わります。


門前には有名な2軒の草団子屋があります。


左手の店は休みです。


おや、右側の店も休みです。
競合店同士ですが、一緒に休むのですね。


唐門に着きました。


門を潜ります。


参道を振り返ります。


9月の最終週、猛暑日の午後の光です。


本堂へ向かいます。


信者の願いで真っ白になった「塩地蔵」です。


信者に撫でられてピカピカの弘法大師像です。


大きな本堂です。

お参りはしません。
信心深くありません。

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花を見ながら走った荒川で考えたこと。

2016年09月28日 | 散文
荒川河川敷を北上しています。
今日も蒸し暑い東京です。
秋の到来が例年より遅いように思います。
やっと彼岸花が咲きました。


河川敷が長い荒川ですが、花畑は案外少ないのです。


カンナは夏の花ですよね。


鉄橋に映えます。


荒川の上を走る高速中央環状線は渋滞しています。


高速向島線が見えて来ました。


いつものように、ここで休憩します。
堀切ジャンクションが見える隅田水門の橋の上です。


さて、平素の疑問がまたもや浮かびました。
いつも走る道路に書いているこの文字は何でしょう?
この写真でこの文字が読めますか?
「京成押上線」と書いているのですが、文字が大きすぎて読めません。


こちらは「東武伊勢崎線」です。
この他にも鉄道橋だけでなく自動車橋にも同様に書いているのですが、ここを歩く人や走る人には読めません。
電車に乗っている人は、自分が例えば東部伊勢崎線に乗っていると分かっています。
では、誰に教えているのでしょうか?

土手に上がると読める大きさです。
・・・もしかしたら、災害の時、出動した消防レスキュー隊等の為ではないでしょうか?
災害時は景色が変わるし、荒川に詳しい職員だけが出動している訳ではありません。
土手の上やヘリコプター等から位置を認識する為ではないでしょうか?
それにしては、文字が消えかかっています。非常時に役に立つのでしょうか?
う~~ん???

・・・それはさておき、ここの景色が好きです。



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9月場所千秋楽2日目の伊勢ケ濱部屋

2016年09月27日 | 散文
日馬富士が12勝止まりで優勝を逃しました。
照ノ富士、宝富士がどちらも4勝しかできませんでした。
誉富士は1勝もできなくて、途中から休場しました。


伊勢ケ濱部屋が優勝するといつも「優勝おめでとう」を貼り出す隣のビルです。

私からは何も言うことはありません。
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東京にも秋が来ました。

2016年09月27日 | 散文
荒川土手。
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梶原銀座商店街へ行く。

2016年09月27日 | 散文
商店街が好きです。
商店街に来るとワクワクします。
田舎の子供にとって、商店街はハレの場所でした。
その記憶が脳裏に染みついているのだと思います。

ここは都電の車窓からよく見ている商店街です。
先ず、商店街の突き当たりまで行きます。
左にも少しだけ続いていますが、ほぼ商店街の終点と言えます。


ここから都電の踏切に向かって行きます。






殆ど人と出逢うことなく踏切が見えて来ました。


踏切に遮断機が下りました。


駅に電車が停まります。

ここまで一連の風景に、私は郷愁を覚えます。
こんな商店街が好きです。

今日この「梶原銀座商店街」で見た最高のものは、これ!

マンホールの蓋です。
ノスタルジックなデザインと敷石とも調和のとれた色合。好みです。

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豪栄道優勝翌日の境川部屋風景

2016年09月26日 | 散文
カド番だった豪栄道が9月場所で初優勝しました。
しかも、カド番から史上初の全勝優勝です。
ちょっと遠いけど訪ねてみました。

場所は足立区の舎人です。
初めて行きます。
舎人ライナーの終点見沼代親水公園駅の近くです。
自転車で2時間くらい掛かりました。


この辺りかなと探し始めたらいきなり出くわしました。
「優勝おめでとう。写真撮らせてね」と断って、
「よくやったね。全勝は凄いね。次は日本人横綱を期待するよ」等々と言いながら撮らせてもらいました。
お祝いの胡蝶蘭が届きました。


玄関先に明け荷を置いたまま、慌ただしく出入りしています。




お祝い客に親方が対応しているようです。


道を歩いていた小父さんがとことこと上がって行って玄関で覗き込んでいます。
下町の小父さん、好いです。

このあと親方がお見送りに出てきました。
元小結両国は今でもも大きい!

玄関前で見守るファン。
先ほどの小父さんもフェンスにもたれて待機しています。

やっぱり「初優勝」です。
優勝し慣れた伊勢ケ濱部屋とは全く雰囲気が違います。
部屋も、近所の人たちも、喜びと活気と忙しさと物珍しさが一度に来て、沸き立っています。

玄関の右手に今日の祝賀会用でしょうか、ビールが積まれていました。
え~と、8箱ですから160本ですね。
力士たちが手際よく、あっと言う間に運び込みました。

昨日も今日も大宴会でしょうね。

ふれあい橋から見た境川部屋です。
部屋は毛無川のほとりに在ります。
川からあと200mほど行けば埼玉県です。


対岸からも見てみました。
思いの外草深い川です。
豪栄道の他に、妙義龍、佐田の海、豊響の幕内力士を初め、年寄り2人、呼び出し1人、床山2人、十両佐田の富士以下20人以上を抱える大所帯です。


部屋の敷地内に石碑がありました。
吉の谷は輪湖時代の関取です。
小さい体ながら、全身闘志の塊というほどに気合いの入った相撲を見せました。
なんといっても十八番だったのが足取りで、「足取りといえば吉の谷」と言われるほどでした。

引退後は出羽海部屋付きの親方として後進の指導に当たり、同じ長崎県出身の中立親方(元小結・両国)が中立部屋(現・境川部屋)を興すと、これに同行してその弟子の育成に尽力したそうです。
2000年多臓器不全のため、僅か50年でその生涯を閉じたそうです。
境川親方はその恩を忘れることなく、そして弟子にも人としての生き方を教育すべく、こうして石碑を建てたのだと思います。

帰る前にもう一度、部屋の玄関に行きます。


「看板を撮らせてね」と言って、働いている若い衆をどかせて撮った、忙しくて運び込めていない明け荷とお祝いの品が見える玄関風景です。

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都電/荒川車庫へ行く。

2016年09月26日 | 散文
「東京都交通局荒川電車営業所」の前に来ています。
いつもは車窓から見るか、自転車でちょっと写真を撮って通り過ぎる場所です。
定期券を買いに来たのではありません。今日は隣にある車庫をじっくり見るつもりでやって来ました。


都電からの引き込み線があります。


引き込み線は車庫へ続いています。
車庫から都電への引き出し線とも言えます。

早稲田方面からの連結線です。

車両が沢山停まっています。


正面に回り込んで、これから出庫しそうな車両を見ます。


更に展示コーナーに移動します。

レトロな車両が郷愁を誘います。

車庫と三ノ輪方面の連結線です。


三ノ輪方面へ繋がっているレールの向こうに停車している早稲田行電車です。


今春導入したレトロタイプの車体だと思います。


先ほど車庫の正面から見た電車が出て来て三ノ輪方面に向かいます。
追いかけてシャッターを切りました。

電光掲示の行き先案内が上手く撮れませんが、「貸し切り中」の珍しい車両です。
勿論、車庫から出たばかりなので客は一人も乗っていません。
多分、貸し切り客を乗せに、ノンストップで目的地まで走ります。

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葛飾北斎の墓に行き当たる。

2016年09月25日 | 散文
小名木川が隅田川と出会う所に万年橋があります。
葛飾北斎は三日月状の万年橋の中に富士山を描きました。
富嶽三十六景6番目の絵です。

北斎は本所の生まれです。
画号を変えるのが好きで、引越しと蕎麦が好きで、掃除が嫌いでした。
この程度の知識しか持っていません。

浅草から上野に向かって走っていると、偶然北斎を紹介する案内板に出逢いました。
フランスの印象派に大きな影響を与えたと書かれています


お寺の前です。


北斎の墓があるらしい。

当然行ってみます。

記念碑もあります。
「生誕200年記念」と書いています。

いつの生まれでしたっけ?
案内板を確認すると、1760年らしい。
と云うことは、これは1960年建てられたものか!?
50年以上も前のものにしてはモダンです。

銅像もあります。
こんな顔をしていたのですか?
年寄の姿です。

何歳の頃でしょう?88歳まで生きたと聞いた事がありますが・・・。

墓地に回るとすぐに分りました。
お彼岸の時期なので先祖の墓にお参りしている人が居ました。




国際的画家とあって、外国語の案内板まであります。
印象派に影響を与えた人です。

・・・これって、フランス語併記でなくていいのかなあ。

本件に関係ないけど、豪栄道が全勝優勝しました。
立派ですが、大関としての評価は来場所です。
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前二所ノ関部屋の閉鎖

2016年09月25日 | 散文
本件にYahoo検索が複数ありました。
消失した記事を再生します。

これは2012年の話です。
現在二所ノ関部屋は元若島津が名跡を継承して、親方が審判部長を務めています。
おかみさんは元アイドル歌手の高田みづえさんです。
時の推移が走馬灯のようです。

二所ノ関部屋が閉鎖する事を新聞で知りました。
明治42年に創設され、二所ノ関一門の頂点に立つ部屋です。
そして、大横綱大鵬やプロレスの父力道山らを輩出した超名門部屋です。
昨年の名古屋場所の際に、この部屋の稽古を見に行った事があります。
半田市の成石神社を宿舎としていました。

相撲部屋の朝稽古は早い、と聞いていたので頑張って早起きして6時前に行ってみました。
小雨が降っています。

神社の土俵には誰もいません。


もう稽古は終わったのでしょうか?
宿舎を覗いてみますが人の気配がありません。
その辺を歩いて時間潰しをすることにします。


神社脇の坂道を下った突き当りにちょっと風情のある酒屋がありました。当然のですが、まだ営業していません。

暫くしてから再度土俵に行ってみますが、やっぱり誰も居ません。
諦めて、朝食を食べに帰ります。
食後の7時過ぎに再度神社に行ってみましたがやっぱり誰も居ません。
せっかく来たのに、このままでは帰れないじゃないですか。
今日は稽古が休みなのでしょうか?
そんな事は無い、もうすぐ場所がはじまるのだから、普通はガンガン稽古をしている筈です。

諦めきれず、8時頃に、最後と思って行ってみました。
土俵をぼんやり見ていると、宿舎から人が出てきました。
3人の力士が土俵上で準備運動を始めました。
3人しか居ないのでしょうか?
名門の部屋の筈ですが・・・。


準備運動が終わると、1人の力士が宿舎へ帰って行きます。
裸足なので玉砂利が痛そうに歩いて帰って行ってしまいます。
体重が重いので、普通人より効くのでしょうが・・・。

後日知った事ですが、彼はちゃんこ専門の力士らしい。
そんな力士が居るのか!?

彼が帰った後、親方達が現れました。
稽古時間を知っている近所の人達が数人やって来ました。
残った2人が稽古を始めました。

その稽古を3人の親方が黙って見ています。
彼らは部屋付親方らしく、もう1人二所ノ関親方が居るのです。
つまり、稽古をしている弟子が2人で、親方が4人居る訳です。
親方の1人はずっと新聞を読んでいます。

土俵上の2人は黙々とぶつかり稽古を繰り返していましたが、数10分でハアハアと荒い息を吐いて稽古が終わりました。
柔軟体操から稽古が終わるまで1時間位でしょうか?

これも後日知った事ですが、二所ノ関部屋の稽古は短いので有名らしい。
もっとも、2人しか居ないのですから長時間の稽古は無理だと思います。
そんな経験があったので、湊川親方(元関脇大徹)が前代未聞の勝負審判誤審事件があった時、テレビの前で叫んでしまいました。
「あの時の親方だ!」

部屋閉鎖の新聞記事を読んだので、久しぶりに両国へ行ってみました。
ニ所ノ関部屋は名門だけあって所帯は大きいです。


部屋の前には案内板もあります。


この看板も無くなってしまうのでしょうか?


ついつい、気になっていた部屋にも行ってみました。
昨年(2011年)5月、初代若乃花や輪島らを育てた、これも名門の花籠部屋が閉鎖されたばかりです。


現在部屋がどのようになっているのか確認に行きました。
・・・部屋が無くなっていました。


敷地内に重機が入ってマンションを建設中です。

平成25年の初場所前日の光景です。
今になって思うと、成石神社で見たのは二所ノ関部屋最後の名古屋場所だったんですね・・・。

さて、9月場所は昨日で豪栄道の優勝が決まりました。
おそらく明日も勝って全勝優勝だと思います。
日本人横綱を待望しています。
彼はどうか?
鶴竜みたく、勝てない横綱はイヤです。
1度、境川部屋がある舎人へ行ってみましょうか?
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曇りの日の日比谷公園に似合うBGMは?

2016年09月24日 | 散文
9月の東京は日差しが乏しい日々が続いています。
日比谷公園に来ました。


晴れでも曇りでもこんな景色が好きです。
雪が降っていたらもっと好きです。

BGMはサイモンとガーファンクルでしょうか。

場面は変わって、今日の松本楼の佇まいです。



空気がしっとり纏わります。


そして、今日のフェリ-チェガーデンです。




公園の南側に、栄枯盛衰の記憶が蘇ります。
在りし日の長銀ビルです。


リーマンショック後、解体中の長銀ビルです。


建設が進む、今日見た新ビルです。

ビルの名前は知りません。
BGMは何がいいですか?
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幕下優勝/山口と序ノ口優勝/枡ノ山

2016年09月24日 | 散文
終盤に来た大相撲9月場所です。
幕下の優勝が決まって、好い表情でインタヴューを受けていたのは宮城野部屋の「山口」です。
東幕下2枚目で7戦全勝です。

彼はかつて幕内力士で、「大揮鵬」の四股名で相撲を取っていました。
バセドー氏病で「三段目」まで落ちてからの復帰です。
来場所は十両復帰で、「関取」復帰です。
嬉しさが伝わってきます。
四股名はかつての番付に戻るまで「山口」のままで相撲を取るそうです。
福岡出身との事ですので、来場所の九州場所は地元のファンも楽しみだと思います。

序ノ口優勝者に懐かしい顔がありました。
千賀ノ浦部屋の枡ノ山です。
彼も幕内経験者で、母親は明るいフィリピーナです。

心臓の持病で30秒しか全力で相撲を取れない力士ですが、心臓ではなく右膝の大けがで最下級まで落ちてからの優勝です。
最下級でも優勝は格別のようで、やっぱり好い顔でインタヴューを受けていました。
二人の復活を期待します。

豪栄道、何があったか強い!
今までこんな強い彼を見た事ない。
日馬富士にも勝った。
TVの前で、思わず「よし!」と叫んでいました。
全勝優勝間違いなし!
さて、稀勢の里は、ここぞの勝負に必ず負けます。
関西の某球団みたいです。
私は、また来場所も応援するのでしょうね・・・。
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