江戸川の土手から「小岩菖蒲園」を眺めています。菖蒲はまだです。
背後に、菖蒲園から江戸川の土手を上がった所に、商店街への入り口が在ります。菖蒲見物客を相手に左右に店が出て、往時はさぞかし賑わったと思います。
降りた所が商店街のメイン通りです。鉄道の高架下です。
ここは京成江戸川駅です。東京の東端の駅です。
駅前の道は昔の街道でした。ここに商店街を造りました。
すぐに商店街が終わります。
と思ったら、角を曲がった突き当りの土手の下にも商店街看板が有りました。江戸時代には、この左右に旅籠や料理屋などが軒を連ねていたそうです。
説明板です。「御番所跡 ここは旧伊与田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵国風土記稿』の伊予田村の項にも関所は『江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云、対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所と云』と書かれています。 御番所町は『徳川実紀』延宝二年(1674)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるものと考えられます。
かつては旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられています。街道の江戸川に突き当たる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に『御番所町の慈恩寺道石造道標』が望めました。今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。
そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、ゆかりのある旧跡がよく残っています。 江戸川区」
江戸川土手に向かいます。この付近に関所が在ったようです。
土手を上がります。
振り返る旧御番所町です。
土手上にも説明板が有ります。
鉄橋の下に堀切菖蒲が見える場所です。
説明板です。
ここに渡しが在って、川向うのあの辺りに「市川関所」が置かれていました。
今は、川下のすぐそこに、「市川橋」が架かっています。
対岸へ行ってみようと思い立ちました。