遊んだ帰り路です。暮れかけた街を映しています。
もう一つの街が在るみたいに。
東日本橋近く、大和橋交差点に在るフコク生命ビルです。
根津神社の梅が咲きました!春の陽気の「谷根千」です。
「夕やけだんだん」から谷中銀座を見下ろします。
隣ではマンション建設工事が進んでいます。
七面坂下からも眺めます。地下室が見えなくなりました。順調に工事が進んでいるようです。
働くクレーンの向こうで「質屋おぢさん」が見下ろしています。
真っ青な今日の空です。
この踏み切りが好きでよく来ます。界隈の変遷を見てきました。
遮断機が上がって渡ろうとしたらすぐ警報が鳴って、渡り損ねました。
電車が来ます。春の風情です。
電車が停まります。西ヶ原4丁目の停留場です。
踏み切りの向こうで作業員が寛いでいます。新築住宅が竣工しました。
角の民家は最後の作業中です。
<ここは町中華「金華」でした>
こうして町が変わりました。都電が走ります。
変った町に春の景色です。
遮断機が下りて、電車が横切ります。もう看板も街灯も無くなった「お岩通り商店街」の路地です。春の陽射しです。
遮断機が上がります。渡る踏み切りの正面は、お岩さんのお墓が有る「善養寺」です。
すぐ北に「西ヶ原4丁目」の停留場が在ります。こんなに沢山の乗客を初めて見ました。卒業式だろうか?それにしては、父兄が居ません。単なる下校時間でしょうか?いつもこんなんだろうか?
早稲田行きのホームもこの状態です。
乗車中です。
三ノ輪橋行きもこの通り。半分以上が乗れそうにありません。
春らしい活気を感じます。
都電のカーブです。巣鴨新田停留場の北です。春が来ました!まあ、三寒四温だろうけど。
電車がやって来ました。
カーブの線路に乗って去って行きます。
早稲田行きがやって来ました。
停留場に停まります。
光注ぐ春の空です。
セピア色の記憶が蘇る路地です。先ず「さぼうる」です。
壁に対して斜めに付けたドアは、娼館に見られる造りです。そういう店じゃ無いですけど。
自転車で奥様も訪れます。昔の学生だと思います。
そして「ラドリオ」の路地です。
見上げるのは「三省堂」建築中のクレーンです。
そして奥には、昔「ミロンガ」が在りました。今は「ボロ」です。
ラドリオを眺めます。
三省堂を見上げます。
国旗はボロの隣の店です。
<在りし日のミロンガ>
もうすぐ3月なのに、今年最大の寒波が全国に居座っています。やって来たのは東京大学農学部キャンパスです。レストラン「アブルボア」が営業中です。
いつものように先づは、庭に下ります。
あの扉の先は、「異人坂」です。
アブルボアは真冬の景色です。
窓に景色を映します。窓枠の下側には人形が並んでいます。
寒いからでしょうか?テラス席が使われていません。
さて、
「定食メニューはしばらくお休みします。」です。
困ったな。暖かくなったら再開するのでしょうか?
1976年のお正月映画です。マドンナは樫山文枝さんです。
現在も変わっていないように見えますが、本堂に向かって右の石灯篭が無くなりました。
江戸川は、土手も河川敷の道路も数度の改修で姿が変っていますが、三角屋根の取水塔と、水戸街道及びJR常磐線の鉄橋の風景は変わっていません。
河川敷の景色が変っています。何より、当時平屋根の給水塔が、現在は丸屋根に変っています。そして、背後の三角屋根の給水塔を渥美清さんと枯れ草で隠れています。これは、わざとそうしたら演出でしょうか?
現在よりはるかに何にも無くて殺風景な渡し場でした。
何か名残りが無いかと探しました。そうしたら、画面右下の石が現場に残っていました。それによって、桟橋はもっと内陸に在ったと判断できます。護岸整備で拡張したものと思います。
サブ・ストーリーです。女学生(ゲストは桜田淳子さん)が、もしや自分の父親では?と寅次郎を訪ねて来ます。
「高木屋老舗」が健在な帝釈天表参道です。
江戸川の土手まで見送ります。背後の建物に注目しました。よく見ると時計が有ります。
土手の様子はすっかり変わりましたが、映画の時計は学校だと判断しました。映像の現在の風景です。
土手上から見る金町小学校の現在の姿です。
朝日印刷の工員達と、東京大学考古学研究所の学生達とがソフトボールに興じます。バッターはタコ社長です。当時は福利厚生の一環で、会社にチームがありましたね。ユニフォームを作ったりして。
現在も複数のグラウンドが在る広い河川敷です。
マドンナは東京大学で考古学研究所の助手を勤めています。
煉瓦塀は変わっていません。
約50年前の東京大学農学部の正門です。
正門周辺は殆ど変わっていません。守衛室や門扉がそのままです。
映画は晩秋の景色ですが、訪ねて行ったのは冬の盛りです。
この像は、当時無かったと思います。
学内から見た正門周辺です。
こんな探索になりました。
下落合の丘の上です。道路の真ん中に大木が立っています。
カンと晴れた冬の日です。左右に遮る物のない丘の上は日当たりが良いです。
道路の真ん中なので、当然迂回することになります。
通り過ぎて振り返ります。
こちら側には大きな反射板があります。こちらからの事故が多いのでしょうか?
まるで御神木みたいな扱いです。
昔は「目白近衛町」という地名だったのでしょうか?
この木は旧近衛邸の車廻しにあったそうです。あの、戦争犯罪人として起訴されて、裁判前に自殺した近衛文麿元総理の邸宅跡です。
「車回し」なので、周囲は旧邸宅だった思います。
近くには学習院が在ります。私の感覚では、「お公家さん」を連想してします。
春待ちの景色です。
立石の路地の突き当たりです。2度目の登場です。よく前を通りますが、今日は久しぶりに入ってみます。
裏塀いっぱいの恐竜です。およそお寺らしくありません。
正面に来ました。屋上のドームはプラネタリウムです。
そしてスペースシャトルです。やっぱりお寺らしくありません。
門の絵です。最初に見た時と同じ推理です。経文を持って帰る時に鼠が紙を食べて困りました。そこで、被害を防ぐために猫を一緒に持って帰りました。これが本邦の猫の始まりです。こんな古事に因んだ絵だと思います。当時の貴族は、背中が黒くて腹が白い猫を好んだそうです。
「證願寺」です。
入りました。
前回と何ら変わっていません。向かって左にライオンで、右にトリケラトプスです。何でこの取り合せなんだろう?ライオンと虎とか、トリケラトプスとティラノサウルスとかならまだ分かるのですが、、、
近づきます。ライオンです。その足元には、賽銭の代わりに砂利石です。檀家衆も変わっています。
本堂の階段途中には犬です。
そしてトリケラトプスです。
社務所前には、猫です。
と思ったら、この猫が動いたのです!?他の動物と同じく置き物だと思っていたのでびっくりしました。
トリケラトプスを眺めます。
隣りで猫が鳴きます。私が真似すると、応えます。可愛いです。何か餌になる物は無いかと見回しました。
餌椀と水椀が置いてありました。飼い猫ですね。私に何度も「ニャア」と呼び掛けます。可愛い声です。空腹か?餌椀は空です。・・・何かないか?
辺りを見回したら、玄関の貼り紙に気付きました。「ひっかきます!」だって!?「声はかわいいけど」だって! また可愛い声で私に鳴きました。手を差し出すところでした。引っ掻くのか!?そして大きく「のら猫注意」だって! えっ、餌をやっていて「のら猫」なのか??
こちらの猫科の王者は寡黙です。その向こうで「タカラトミー」の本社が見下ろしていました。
全然お寺らしくない寺です。
深川の、創業大正6年の蕎麦「日吉屋」の開店を待ちながら、向かいの「田巻屋」を眺めています。
・・・蕎麦を食べ終わりました。店頭を眺めます。
元は着物屋なんでしょうが、今は雑貨屋の様相です。
田巻屋は創業100年らしいです。
今日の暖簾は「さぐれみす」です。鮮やかなすみれ色です。
日吉屋は今日も満席です。
松尾芭蕉が暮らした街です。
夜は光溢れる路地だと思います。
人は居ないけど、夜の風景が想像できます。
上野二丁目です。
この猥雑さが飲食店街の魅力です。
路地を1本北に出ると、そこは不忍池です。
野外ステージではイベント中でした。「無敵の日本製スポンジラケットその破壊力をとくとご覧あれ!」とか書かれた幟も有ります。「ロックウェル硬さ」って工業材料の硬さの尺度らしいです。
格闘技の大会とかアイドルのコンサートでは無いんですか??
京成立石駅前の再開発が粛々と進んでいます。殺風景な工事フェンスに水彩画が展示されていました。今は「キャプテン翼」ですが、カメラにこの水彩画が残っています。相変わらず絵の現場を探していますが、今回はもう訪ねられない現場です。
<在りし日の現場>
沢山の酒場が在りましたが、水彩画の店「しらかわ」と「ことぶき」の在りし日の姿です。
もう戻らない世界です。
矢切の渡しです。
とうとう「営業中」の印である旗を掲げる竿が折れています。これじゃあ客にはアピールできません。後で思いました。折れたんじゃなくて、倒していたんですね?
<営業している時の旗>
旗を掲げます。何度も旗竿が折れて短くなってしょぼいですが、、
桟橋を見ます。
あれ!? これって、、
「矢切の渡し」の旗じゃないの?!ここに置いておけば忘れないし、誰も盗らないし、営業するときは掲げるんだろうけど、これはちょっとなんだかなあ・・。
冬季の平日は営業していません。
春まだ遠い江戸川です。誰か長い竿を寄付しませんか?