京都の《考える人》は何を考えているのか?
京都にもオーギュスト・ロダンの《考える人》がいます。
京都国立博物館にいます。
ここで疑問が湧いてきます。
まず、この《考える人》は本物か?
本当の《考える人》は何処にいるのか?
日本には《考える人》は何人いるのか?
そして、タイトル《考える人》は、タイトルはこれでいいのか?
そして、《彼は何を考えているのか?》
、、、、、。
ふむふむ、わからない。
写真は、平成知新館工事中時のものです。クレーンと考える人のとりあわせが面白いと思いました。
ロダンの《地獄の門》として制作され、1902年頃この人物だけが独立して彫刻作品として拡大、鋳造されたようです。
その頃に、日本にやってきて、現在、京都にいるということです。
初めて観た時は、かなり腐食が進みかわいそうなくらいでしたが、(酸性雨にやられたんです)
修復掃除がされ、
さらに耐震処置もされ、
今は素敵な青年?です。
で、これは本物かというと、本物です。
でも原型そのものではないということでは本物でない。
鋳造作品という性格からすればこういう説明になります。
同じたいやきがいくつもできるようなものでしょう。
(たいやきといっしょにするな!)
当然、最初の鋳造作品はパリのロダン美術館にあるんでしょうね。
(確認はとっていませんが)
日本のあちこちに《考える人》はいます。
ひょっとしたこれから増えるかもですが、
当然、工業製品でいう製造番号があるはずですから、
何番までが有効なんでしょうか?
(僕の知識外です。)
世界には20数体の《考える人》がいるとか。
APMoA館長による「ロダンのブロンズ作品について」:
http://togetter.com/li/260441
タイトル《考える人》ですが、
が、このひとの姿は、ほんとに考えるポーズでしょうか
ロダンという人はバロック調の劇的なポーズが好きなようですが、
どうかんがえても《考えているとは思えないのです》。
何をしているかは理解をこえています。
《地獄に落ちて行く罪人を傍観している男》と言われています。
ちょっとポーズを真似てみると、
背中や腰のスジが伸びて、ストレッチしている感覚です。
(この作品は斜めまたは後ろから観るといい)
そうか、かれはストレッチ運動の最中。
いままさに縮んでいるその一瞬を捉えた見事な作品です。
次の瞬間、大きく伸びます。
どんなポーズで伸びるんでしょうか?
大阪道頓堀のグリコ。
(はてしない夢想です)
アートは観る人が好きなように観ていいんんです。
何について考えているかについては、鑑賞者の自由な想像力にまかされます。
現代アートの本質です。
興味が湧かなければ路傍の石と同じです。
新参者
2015-02-01 | 本
本を読んだ。
★新参者(文庫本)
著者:東野圭吾
出版社:講談社
着任したばかりの刑事・加賀恭一郎、未知の土地を歩き回る。
人形町界隈が舞台だというので読んでみました。
人形町といえば、時代劇にもよく登場する地。
今も江戸情緒がほんのりただ酔う。
京都と東京のスキヤキ食べ比べということで、とある有名なお店さんへ行ったことがあります。
ゆらりゆらり辺りを散策した時、京都にも良く似た懐かしい雰囲気を感じました。
さて、お話は、
初めは、《これは推理物か?》と。
ミステリー物というよりは、江戸の人情物といったほうがいいような気がしたくらいです。
しかしさすがストーリーテラー東野さんです。
被害女性の人柄を少しずつ明らかにしながら、彼女に関わる人々の《想い》が語られます。
刑事・加賀恭一郎の眼は、東野さんの眼そのもの。
東野さんの人柄を改めて知らされる作品となりました。