《美術館ホームページより》
戦後間もない1946年7月、京都に「有限会社 七彩工芸」(現・株式会社七彩)というマネキンの会社が設立されました。ラバウル戦線から帰還した、向井良吉が社長でした。
向井は、戦後の彫刻界を代表する作家のひとりとして、常に現代彫刻を牽引した彫刻家でもあります。マネキン会社設立の裏には、その前身ともいえる島津マネキンの創始者、島津良蔵との約束があったのです。「生還の暁にはマネキン創作活動を復帰する」というものでした。
向井も島津も同じ東京美術学校彫刻科の出身でした。そのためか、戦後の混乱の中、七彩には彫刻家や画家、工芸家など多くの美術家が集まってきました。なかには社員になるものや相談役を務める作家もいました。
そんな芸術的な気風は、1959年3月に展覧会「火の芸術の会」として結集します。出品作家は岡本太郎、柳原義達、難波田龍起など、その後の日本美術を代表する作家たちでした。
このたびの企画では、当時の出品作、七彩工芸が顧客へ贈呈した作家による小品ならびにマネキン本体を展示し、京都で展開された戦後まもない美術家たちの活動の一面を紹介するものです。
美術館内のあちこちにマネキンが配置されていた。
受付のマネキンお嬢さんには、どきっとした。
ひと目を気にしながらも、しげしげと観た。
階段の踊り場にもマネキンが配置されていた。
ちょっと不思議な光景。
となりの京都市美術館では、《ダリ展》開催中。
ダリもびっくり???
《七彩工芸が顧客へ贈呈した作家による小品》
何ともオシャレで、可愛い。
これがほしい。