映画を観た。
★ブラック・スワン
Black Swan
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演者:ナタリー・ポートマン、ヴァンサン・カッセル、ミラ・クニス、他
2010/アメリカ
オープニングはナタリー・ポートマンのダンスで始まる。
「ああ、ダメだ。これは踊りではない。こんなダンスをずっと見続けるの?」
のショックが襲う。
ところがだよ、そんなことを忘れさせるショッキングなことが起き始める。
舞台の役作りの困難さに押しつぶされ、少しずつ、自我が崩壊、幻覚症状が現れる。
その幻覚症状が、実はこの映画の重要なパーツなんだ。
これはサイコースリラー、いや、ホラー作品だ。
途中で気がついたが、もう物語は深く進行し始めた。
やばい、これはショッキングな顛末を迎えるぞ。
二度目のショックが襲うはめになった。
僕はこの手のカメラワークが苦手なんですよ。
「クオリティの高い作品である」
ナタリー・ポートマンの凄みある演技は、当然それにふさわしい評価をされていい。
しかしこの監督ダーレン・アロノフスキーの肉体を傷つける、
精神を極限まですり減らす手法が僕はどうも苦手です。
痛覚をあまりにも刺激しすぎるんです。
今回の《ブラック・スワン》は女性が主人公だけに、あまりにも生理的に痛々しい。
たぶんそこに彼の耽美的スタイルがあるのでしょうが。
一人の人間の《心の闇》に迫るだけなら、
あすこまでの生理的に刺激する小道具は使わなくてもじっくり表現できるものを、
敢えて使う。
しかも女性の性と絡ませるところは常套手段とはいえ、
手段が目的化しているような気がしないでもない。
でもそこに世の評価を得るのだから、商業映画としての成功のコツをしっかり掴んでいる。
かなりイメージが飛ぶが《ゴッホ》を連想した。
主人公ニナとゴッホのイメージを重ねてみた。
じぶんを傷つけ、なお《完璧》を目指す。
アーティストはぎりぎりのところでバランスを保ち、
一瞬のところで、生と死を判断している。
誰でも大なり小なりそういう判断をしているが、
しかし一度バランスが崩れると、自己崩壊は余りにも美しく哀しい結果になる。
ちょっとつらかったなぁ。