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映画、読書などのメモ

死神の精度

2017-09-04 | chinema(日本映画)

映画を観た。

★死神の精度
監督:筧昌也
キャスト:金城武、小西真奈美、富司純子、光石研、石田卓也、他
2008/日本

人気作家の作品の映画化にあたり、製作チームは、イメージをどの方向に広げ、原作にない、あるいは足りない何を加えようとしたのか。

原作「死神の精度」は六話の短編で構成されているが、実質的にはそれぞれが繋がった連続性のある物語といっていい。伊坂さんのミステリーの魅力は、フャンタジーなイメージの連続性、コミックな会話、何気なく張られた伏線が最後になって見事に読者を欺くところ。非日常的な視点から人間社会を見ることによって、人間の生の面白さを見つけ、新しい物語を描こうとする意欲が感じられる。この手法自体は特に新しい試みではないが、見慣れた日常を再構築するうえで効果的やり方である。

読んでいると、この表現は新鮮だよねと思わせるフレーズがあちこち出てくる。時々思わせぶり表現だなと感じないわけでもないが、明らかに著作権は彼にあるなと感心する。「村上チルドレン」とよばれることもあるようだが、これも現代人気作家稼業の証である。

さて映画の話。「アヒルと鴨のコインロッカー」はかなりミステリアスでポップな物語展開に釘付けされ、最後のオチにストーンと解放された。今回はどちらかといえばいまいち陳腐な物語展開で、登場人物もどこか堅物で一昔前の人物像だった。昭和演歌の世界かと懐かしく感じたほど。しかし、じっくりと物語テーマを追いかけ、生きることの意味を問いかけることに一歩近づいている。原作では、不器用にうそぶく死神に焦点を合わせ、人物の細やかな表情や感性を描くには不十分だった。映画では死神に取り憑かれた?3人の人物にうまく焦点が合い、役者さんの演技力で真剣に生きようとする姿が描き出されていた。でも、ちょっと現実感が乏しい。

死は誰にでもやってくるので特別なことではないけれど、ひとり一人にとってはとても大切な事。生きる時間のリアリティを醸し出し、「生きる精度」もしくは「生きる純度」を描きたかったんだろうと思う。原作に不足な分、映画ではその方向で役者さんはがんばっていた。

死神は言う。「人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ。」人間が哲学するようになってから、いまだに人を引き付けてやまない魅力的な言葉である。

死神役の金城さん、主役なんだけど、物語の進行係みたいでした。
ワンちゃんは大当たり。  



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