駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

気付かぬ障壁

2012年03月06日 | 町医者診言

       

 言うは易し行うは難しと言う。一般には口で言うのは簡単でも実行するのは難しいという意味で用いられるが、なぜ実行するのが難しいかをもう少し掘り下げる必要がある。

 多くの場合いざ自分がやるとなると面倒だとか、負担が大きいとか、継続できないとかといった意味合いのことが多いと思う。例えば5kg痩せなさいと言うのは簡単だけど、いざ実行となると食欲に負けてしまうとか、三十分早く起きてラジオ体操をと勧められても、もうちょっと寝ていたいといったことだ。

 こうした気持ちと言うか精神の問題以外に、実は判定が微妙だからあるいは費用が掛かるから行うは難しということが世の中には多い。

 例えば、医院の初診料がある。初診料は一律だが、実は風邪のような簡単なものと心筋梗塞のような緊急性のあるものでは、数倍の手間と負担(緊張して頭を使う)が違う。それに同じ風邪でも若い物分かりの良い患者さんと認知の始まったお年寄りでは倍以上手間が異なる。しかしこの手間の掛かり具合を判定するのは微妙で、医師によってさまざまな請求が予想される。それでは実際にどの程度の手間を掛けたか個々の医院を調べようとすれば、患者側の意見も聞かねばならず、莫大な調査費用が掛かってしまう。つまり判定基準が微妙で、個々の調査には費用が掛かるので一律になっているわけである。

 現在、生活保護を受ける人が増加し、なんであの人が生活保護なのかけしからん、ちゃんと調べろという声が上がっている。確かにそう感じさせる生活保護の患者さんも居る。しかしこれも判定基準が微妙で調査権限も限られ、実際に調査するとなれば大変な費用が掛かるので、行うは難いのである。

 世の中には当然と思われて出来ないことの陰に、判定基準が微妙で単純化できない、実際の調査に手間と費用が掛かるという二つの障壁が隠れていることが多い。

 公平と正義を実現するための判定基準(の曖昧さ)と手続き調査(の費用)が、実は公平と正義の実現を阻んでいる様にも見える。

 

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