小泉元首相の脱原発発言に対し、その真意は何かという見出しの報道がある。政治的野心か憂国の情かなどという捉え方は小泉発言を誤解していると思う。十年以上も小泉さんを取材してきたであろうジャーナリストが小泉さんを理解していないとはどうしたことだろう。勿論、私にはよくわかるとまでは言わないが、平均的で素直な理解を代弁できる気がする。
小泉さんが売名や今更政治的野心で動く人ではないのは、多くの国民が知っている。深い教養や学識はないかも知れないが、優れた政治的勘と決断力を持った人なのも周知の事実だと思う。ワンフレーズポリティックスと批判された。ワンフレーズを裏打ちする次のフレーズを持っていなかった可能性が高い。小泉さんはディーテイル理論の人ではないからだ。尤も、小泉改革を批判をする側も格差社会を生んだというワンフレーズで小泉改革に蓋をして、本当の検証総括をしていない。
小泉さんは首相時代には原発の原理をよく理解していなかったのだが、今回の福島原発事故で学ぶ機会があり、原発は安全ではない、低コストでもない、放射性廃棄物の最終処分の目処も立っていないことに気が付いて、これは継続危険というワンフレーズが閃いたのだろうと思う。憂国の情に近いかも知れないが、憂いのようなポーズで留まる柔な人ではない。突き進むだろう。
原子力発電に利権があって、それに群がる人々によって安全神話が作り出されていたのが明白になった今、小泉脱原発に正面から反論するのは中々難しい。煙たいと感ずる再稼働派は、横から後ろから変人扱いを試みるだろう。
小泉さんの真意は原発は危険で割高、放射性廃棄物の最終処分の目処も立っていない。地震、津波の起こりやすい島国日本では廃止すべき装置だ、裏で原発のために費やされようとしている莫大な費用を非核エネルギー開発に回せということだ。
マスコミが真意と問うのは真意が分からないのではなく、こうした問いであたかも別の企みがある主張に見立てようとするからに他なるまい。浅薄な山本太郎のことなどを書き立てるよりも、正面から小泉元首相の主張に対抗する論陣を整え、問題点を浮き彫りにして議論を深めさせるのが、真っ当なマスコミの仕事のはずだ。