眼鏡は顔の一部ですと言うコマーシャルがあったと記憶する。ファッションというか容姿として顔の一部なのはよくわかるが、私のように11歳からの必需品の人間には眼鏡は眼の一部と言った方がしっくりする。一時悪友の勧めで大正時代のような円い眼鏡を掛けていたことがあるが、今はよくある四角の眼鏡を掛けている。そうして、常に二個持ち歩いている。一つは中近の仕事用、もう一つは遠近の外出用だ。もう一つ、眼鏡をはずすというのがあるから、実質三つの目を使い分けている。
眼科医に言わせるとメガネ屋は利の厚い商売のようで、一セット十万円近い眼鏡を買うお客が週に二三人いれば十分やっていけるそうだ。そう言えば確かに私は利用しないけれども一セット一万円の店もある。眼鏡屋も床屋と同じように、一度馴染みになると店を変えない客が多いので、馴染み客を大切にしてゆけばやっていけるのだろう。馴染みの眼鏡屋さんに行って不愉快な思いをしたことはない、サービスは行き届きいつも大切丁寧に扱ってもらえる。確かに眼鏡は高いけれども、顔の一部というか目の一部だと思うと、歯もそうだが、多少高くてもやむを得ないと思ってしまう。それにそれほどしょっちゅう買うものではないので余計に自分を納得させてしまう。
床屋や歯医者もそうだが眼鏡屋も私を見てすぐ誰だかわかり名前が出てくるから凄い。床屋は二か月に一回行くから当然か、歯医者も半年に一回行くから覚えやすいかもしれない。年に一度行くか行かないかの眼鏡屋がちゃんと覚えているのは凄い。申し訳ないが医者の私は年一回の患者さんは特徴がないと憶えていないことも多い。カルテを見てああこの人かと、素知らぬ顔で今日はどうされましたと声を掛けている。