過ぐる土曜日は七夕だった。今年は生憎の雨と言うより豪雨で、彦星と織姫の逢瀬は成らなかったようだ。たった年に一度の逢瀬が雨で流れては辛かろうと思うのだが、多分地球のどこかには星の見える七月七日もあっただろう。それに日月の感覚では一年なんぞほんの一瞬、何十万年も続くお付き合い、年に一度が二年三年に一度となっても、さほど間遠には感じられないかもしれない。
十七、八年前まではいい年をして、七夕には笹の葉に願い事を書いた短冊を括りつけていた。不思議なことに願いが叶うことが多かった。それがあまりに酷い目にあって、願い事など虚しいものと止めてしまった。ご利益志向などと蔑むこともないのだろうが、はたと手が止まった。
今は不合理不条理の世界にあって、人が抱く願いは儚くも尊いものかもしれないと思いなしているが、夏祭りも七夕も遠くに感じられるようになった。中学生の時読んだ芥川のトロッコに少年の頃の思い出が色褪せてゆくと書いてあった。そんなことはないだろう、何だか寂しいと感じたのを思い出す。凡人ではあるが芥川の倍以上生きて、少年の記憶がセピア色に変わるのは致し方ないと実感している。
それでも、もし昔懐かしいアセチレンガスの臭いを嗅ぐことができれば、きっと鮮やかに十円玉を握りしめて出かけた水薬師や天神様の祭りの思い出が蘇るだろう。