駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

お宅にはもう頼めない

2011年07月21日 | 世の中

 私の医院では月に一回全職員で意見交換というか、話し合いをした後、昼ご飯を一緒に食べるミーティングを開いている。年に一回くらい考え込む問題が出て、あまり昼飯が旨くないことはあるが、大抵は出前を和気あいあいと美味しく頂いている。

 十一時頃、先生今日は何にしますかと受付が注文を取りに来た。角の中華食堂が新装して洋食も始めたので、頼んでみようとオムライスを注文した。暫くして中華丼でも良いですかと内線が入った。どうしてかなと思ったが、忙しいので「ああ、いいよ」。と返事をした。

 ミーティングを終わって食事を食べようとすると、中華丼、炒飯と焼きそばが出て来た。なんだか彩りが淋しいなと妙な顔をすると、オムライス、酢豚ライス、生姜焼きとか色々注文したら、親父さんが怒り出して昼の忙しい時に色々作れない。炒飯、中華丼、焼きそばのどれかにしてくれと、言われてしまったという。出前しますと言っておいて、一時間前のオーダーに注文を指定されたんじゃあ、敵わない。

 もう頼めないなあと顔を見合わせてしまった。

 

 83歳のYさん(女性)が、医院に来るのが大変でとこぼす。ああ今日は雨だからねというと。そうではなくて、タクシーが近いからと嫌な顔をすると言う。「近くて申し訳ありません」。と言うと「じゃあ乗らなきゃいい」。と言われたと。まったく年寄りを苛めて、とんでもない運転手だ。何処の会社だと聞いたが、Yさんは言わない。確かこの間も同じようなことを言っていたお年寄りが居た。どうも会社を突き止めて、苦情を言った方がよさそうだ。MKの爪の垢を送ってやろうか。

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メモリアル メニューを

2011年07月20日 | スポーツ

 

 便乗値上げなどもってのほか、便乗何とかはさもしい行為と評価しないが、ナデシコジャパンワールドカップ優勝を記念した料理や祝うお菓子の出現は期待している。

 ありきたりのサッカーボールハンバーグや最中などは駄目、なるほどこれはという斬新で美味い料理を考え出せないものか。トンカツやハヤシライスを考え出した智慧者が居たのだから、ここでひとつ後世に残る偉業に相応しい料理やお菓子を考え出して欲しい。

 私が街角レストランの主なら、挑戦してみたい。結局、あなた一杯材料を使って何をしているのと妻に咎められて、あえなく沈没の可能性もあるが、「なでしこ」という料理を作り出せるかもしれない。これはできそうで、実は非常に難しいことなのだ。なぜなら飲食業界では自画自賛は通用しないからだ(どこやらを除いて全ての業界で然り)。燎原の火のように日本中(少なくとも県単位)に広まらなければ、新メニューとは言えない。

 残念ながら町医者には記念診療や、お祝い処方はない。「凄いねえ」。「頑張ったなあ」。と話題にするだけだ。勿論、それでだけで十分嬉しいし楽しい。

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孫氏は企業経営者

2011年07月19日 | 政治経済

 

 週刊誌の記事を読まず、見出しだけで論評するのはけしからんと出版社から言われそうだが、先頃、庶民には目の眩む百億の寄付をした孫氏に好意的でない記事(見出し)を目にした。

 寄付の時も、超大金持ちだから百億ぐらいなんでもないでしょと、MRや問屋の人達からやっかみ半分の批評を聞いた。

 よし、何らかの意図や伏線があっても、それだけの寄付をすることは立派な行為だと私は思う。小金持ちと見なされる町医者の私も百万の寄付となれば、躊躇してしまう。私よりも収入の多いK先生やO先生が多額の寄付をされたという話も聞かない(医師会で寄付を募り、団体で数百万単位の寄付はしている)。

 寄付金の多寡や勘ぐりは別にして、孫氏は学者や教育者ではなく企業経営者であることを喚起したい。とすれば自然エネルギー利用構想に起業家の発想が絡んでいても、それはむしろ当然のことで、下心というような非難には当たらない。

 勿論、菅首相のように渡りに船と別の思惑から太陽光発電飛びつくのは要注意で、きちんと技術的経済的社会的な裏付けを取ってから、国策とすべきだ。その事業に孫子が起業家として参入することは有り得ることと思う。

 断片的な知見(平均的な一般市民の情報レベル)に基づいて書いたので、事実の把握に不十分なところがあるかもしれない。しかし、細かな情報が入っても申し上げたいことが変わるとはないと思う。

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おめでとう、ナデシコジャパン

2011年07月18日 | スポーツ

 

 遂に金メダル獲得。おめでとうなでしこジャパン。ありがとうナデシコジャパン。柔よく剛を制した素晴らしい試合だった。何度駄目だと思っただろう。よく追いついた。諦めず、焦らず、粘り強く戦って得た笑顔の勝利だ。

 積み重ねてきたさまざまな工夫戦略努力が花開いた。私も明日へ踏み出す力を貰った。おめでとう、ありがとう。

 

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「さすけねえ」という人達に

2011年07月17日 | 世の中

  

 「さすけねえ」。というのは「たいしたはことない、心配することはない」という意味の福島弁だ。

 放射能の危険性について、さまざまな見解が飛び交っており、国民は戸惑うばかりだ。確かに今回の福島第一原発の事故による健康被害を正確に予言することは難しいのだが、ある蓋然性を示して冷静で息の長い科学的な対応は可能なはずだ。

 チェルノブイリの例も参考になるし、何よりも唯一の被爆国として蓄積されたデータがある。それらを参考にすれば、かなりの精度で物が言える。

 それなのにどうして今回の放射能汚染の評価が曖昧模糊と遠ざけられたり、あるいは瞬時に「さすけねえ」と判断されてしまうのか。それは利害と責任が絡むからなのだ。

 個人レベルの数百万、零細企業の数千万であれば責任追及の手は緩まないのだが、大企業行政の何千億、何兆となると口を拭い、下手をすれば借金棒引きとする構造が潜んでいる。下流域に生息しているのに中流意識を持ち、長い物には巻かれろという防御姿勢が、巨誤に対する制御不全を招いている。

 塵も積もれば山となる。実現は簡単ではないかもしれないが、原理は簡単なこと、フィードバックを働かせることだ。「さすけねえ」という人達には「さすけねえ」リスクを取って貰えばよい。放射能汚染肉を食べても「さすけねえ」という人達にどうだろう、二割引で放射能汚染肉を販売すれば三方一両徳になる。勿論、家族で食べて頂く。「お父さん!あるいはお爺さん!」。と家族の非難に抗しきれない人達に「さすけねえ」という資格はない。あるいは割安で、喜ばれたというならそれもよいではないか。

 私は勿論、今回程度のものであれば平気で食べるのだが、家族郎党には妻から禁止令がでるだろう。例えば浜岡原発から10キロに住宅地が坪一万円で五百坪売りに出れば、私なら太平洋を望む高台に喜んで隠居するのだが、当然妻からは見放され一人侘びしく住む羽目になるだろう

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