駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ちくまを読んで脱線

2011年07月26日 | 町医者診言

 

 迂闊にしてまだこうした小冊子の呼び名を知らないのだが、出版社から出ている「波」、「本の窓」、「ちくま」、「図書」・・・を診察の間隙そして寝しなの友としている。

 数行読んで、読むか、読み飛ばすか、読まないか、適当に判断して楽しんでいる。そんじょそこらのベストセラー(殆ど読まない)よりも面白い。珠玉の小品からひりりの辛辣評まで飽きない。

 このところ気に入っているのが「ちくま」だ。青柳いずみこさん 斉藤美奈子さん 岸本佐知子さん・・、名前に感じるあの懐かしい感覚を思い出させてくれる女性執筆陣。おー痛い、私をお忘れと大年増の一撃を食らってしまった。

 それに佐野眞一、この人はどういうおっさんか知らないが、平気で本当のことを書く。秋元康をデブの女衒と言い得て妙の一刀両断。よく思っても言いにくいことをしれっと書くなあ。でも佐野さんさあ、目明き千人目・・千人の世の中ですぜと、私まで羽目を外してしまう。

 ところで放射線の心配と言えば、隣のおばさんが検査して貰ったから私も安心のためにと、大した症状もないのに真似をして健康保険を使ってCTを撮るあなた、どれだけ放射線を浴びているかどれだけ医療費を浪費しているか知ってるの?あなたの場合、セシウム肉より恐いんでないの。

 ところで、微量セシウム検出松阪肉の七割引売り出しというのはやらないものかね。手塩に掛けて育てた生産者、補償を要求される政府東電、旨い者を食べたい消費者の三方一両得になる。勿論、六十歳以上限定ですがね。100g1400円を400円の大売り出し、味は変わらない。

 今夜は松阪肉のすき焼き、旨いよ!、**の土産にどうぞ(CM提供は東京電力)。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のコレクション

2011年07月25日 | 趣味

 何かを集めるという趣味はない。子供の時、昆虫採集を始めかけたが、ある夏油蝉をおもしろがって何十匹と捕って、気がついたら箱一杯の死骸に、悪いことをしたと思ってやめてしまった。

 コレクションの趣味はないといっても絵は六十枚くらい持っている。十五年くらい前から求め始め、年に二枚程度のペースだから、購入したものが三十枚前後、自分の作品がおよそ二十枚、父が遺したものが数枚、戴いたものが数枚ある。

 なぜ絵を買うか。それは手許において鑑賞したいからだ。私には所有によって、絵の見え方が変わるということはない気がしている。繰り返し見ている内に飽きるものもあるが、そうした作品は少ない。絵の鑑賞には見る方の体調や気分が関わるから、殆どの作品に新たな発見や印象があり、飽きることはない。

 そこそこの値段の絵も数枚あるが、値段と絵の魅力は殆ど無関係だ。絵の値段は画商や制作者が付けるもので、希少価値や流通性が関係しており、私にはあまり意味が無い。勿論、高価なものは買えないという障壁にはなる。

 どちらかと言えば油絵が好きだ。水彩もいいが、水彩画は対峙するものでなく、それこそ風景のように眺める鑑賞が合っていると思う。どういうわけか油絵には、暫く見つめる鑑賞が向いている作品が多い気がする。その存在感に惹かれる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

果てしなき戦い

2011年07月24日 | 小考

  たかだか六十年前まで、死亡原因の断然の首位は感染症、なかんずく肺結核、であった。今でも肺炎は高齢者の死因として大きな位置を占めているが、癌や血管障害が死亡原因の首座を争うようになって、感染症の脅威は薄れた印象がある。

 現実は必ずしもそうではない。

 感染症の脅威は抗生物質の発見で、克服されたように見えるけれども、実は感染症が病原微生物の宿主への感染で成立するという病態概念が科学的に証明されたことが一番効いている。感染症の病態から考え出された対策(衛生思想の徹底、予防接種、消毒、隔離・・・)は未然に感染症を防ぐ手立てを生み、多くの流行性感染症を駆逐してきた。

 成立した感染症(主として細菌感染)には抗菌剤が特効薬として効果をもたらし、感染症を死因の首座から引きずり落としたのであるが、簡単には人類の勝利とはならなかった。すなわち病原菌も、自らが生き残るために防御策を講じてきたのである。つまり抗菌剤に耐性を獲得する菌が出現してきたのだ。中には新聞紙上を騒がす多剤耐性と呼ばれる、殆どの抗生物質が効かない菌まで出てきた。要するに、一筋縄では捕らえきれないことが明らかになってきた。

 病原菌が耐性を獲得するには、抗菌剤と何度も試合をする必要がある。何回も負ける内に孫菌や曾孫菌が対抗策(耐性)を身につけてしまう。伝家の宝刀は本当に必要な時に取って置く必要がある。

 だから、風邪を引いて、風邪はウイルスが原因で抗菌剤は無効(拗らせて細菌が重複して感染することは時にある)なのに、抗生物質を頂戴と言ったり、ああそうかいとすぐ抗生物質を投与するのは賢くないのだ。戦争に見立てれば利敵行為になってしまう。

 つまりは病原菌は生き残るのにそれこそ命がけで対策作戦を講じているのに、先のことまで深く考えない人間は素人の聞きかじった知識を振り回したり、とにかく売り上げが上がればよいと目先で動いて、オウンゴールを献上してしまう。勿論、それだけが原因というわけではないのだが、これからも果てしない戦いが続いていくのだ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風の朝応接室に

2011年07月23日 | 診療

 

 台風の吹き荒れる朝六時に電話で起こされた。流れが悪く、7時に患家に到着する。いつもより青白い顔で呼吸が不規則だ。手足が冷たい。「夕方でしょう」。と、家族全員に連絡するように告げて帰る。昼前、呼吸が止まったと連絡があった。思ったより早い、と言っても94歳余力の有り様がない。

 母親似の容貌の息子さんと言っても白髪で、多分私よりも年上だと思うが、「長い間、お世話になりました」。とお礼を言われる。「いいえ、・・。こんなに頑張られるとは思いませんでした。奥様は本当によくやられました」。と感じたままを申し上げる。涙や悲嘆はないが、表の雨風と隔絶された静謐な空気が漂う応接室をお暇する。

 さほど使われることがない様子ではあるが、日当たりが良く庭の見える応接室を思わず長期に占拠されたわけだ。寝たきりの高齢者の寿命は世話をされる人の能力と姿勢に左右されるところがある。寝たきりになられてから数週間と思ったのだが、もうすぐ一年まで長らえられた。元気な時は診察室で天下国家を論ずる異色のお婆さんだったので、容易なことではなかったと推察するが、見事な介護だったと思う。お嫁さんはそんな風に微塵も思っておられない様子に感服した。

 お婆さんの資質は私の見るところ隔世遺伝したようで、お孫さんは難関の大学を出て東京で活躍しておられると聞く。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋風に同感

2011年07月22日 | 政治経済

 今朝は秋風が吹いた。台風一過の秋風はまるで八月の後半のようで、異常気象を切々と感じる。目を転じ異常国政に自然な感性からの適切な評価を見付けた。

diamond online 政権ウオッチ 田中秀征 を丸ごと引用する。田中秀征氏は私が評価する数少ない政治評論家だ。

{ “なでしこ”の壮挙が国内だけでなく、世界中に大きな旋風を巻き起こしている

 なでしこの活躍には、私もこの10年ほど目が離せなくなっているので、深夜の決勝戦もつぶさに観戦した。

 アメリカが先行し、宮間選手が同点ゴールを決めるまでは、もう私は早々に勝利を諦めていた。「負けてもよい」というのではなく、「決勝まできたから立派」という気持ちであった。また、逆転の期待が強いと彼女たちに負担だろうという妙な心境でもあった。

 延長戦でまたアメリカに加点されて後半戦になると、またもや「無理しなくていいよ。よくやった」という気持ちになっていた。

 だから、残り3分そこそこで澤選手が同点ゴールを決めたときは信じ難い気持ちになった。

 そして、その後は、あの世界最強のアメリカチームがなでしこの勢いに押されて茫然自失になったように見えたのである。それは、そのままPK戦まで続き、アメリカはなすところなく敗れ去った。

 それにしても、澤選手の同点ゴールはどうだろう。私は映像や写真を何度も確認し、専門家の解説を聞いてもなかなか理解できない。一体どんな経路を辿って、ボールがゴールに入ったのか。後ろ向きで後ろに蹴ったに違いないが、あの土壇場で、そんな奇跡が起こるのか。澤選手が言うように、サッカーの神様の仕業としか思えない。

 選手たちは、大会前には、「なでしこの活躍が少しでも被災者の皆さんを勇気づけることができれば」と語っていた。

 しかし、優勝後の感想はかなり大きく変化していた。

 「被災者の皆さんが頑張っているので、その勇気をもらったから勝つことができた」

 被災者の人たちは、後者のコメントのほうがはるかにうれしく元気も出るだろう。

 多くの人たちが、歴史に残るコメントを発したが、私が特に気に入ったものを挙げると次の2つである。

 まずはアメリカの美人GK(ホープ・ソロ選手)の試合前の言葉。

 「日本選手は、試合より何か大きくて高潔なもののためにプレーしている」

 そして、敗れた後、彼女はこうつぶやいたという。

 「何か大きなものが彼女たちを引っ張っていた。私たちは、素晴らしいチームに負けた」

 このコメントはたまらなく感動的で涙さえ出てくる。

 もう1つは、三浦和良選手の言葉だ。

 「日本の良さは1つにまとまれることと自己犠牲できること」

 そしてカズは、澤選手を「ゴッド」と呼ぶことを提唱した。

「なでしこの粘り強さ」に自らを重ねる
菅首相の途方もない勘違い

 さて、優勝直後に、私はふと1つの不安に襲われた。

 それは、菅直人首相が、なでしこ人気に便乗しようとするのではないかということ。もしそんなことをしたら、壮挙の後味も悪くなるし、何よりも世論から総スカンに合うだろう。

 菅首相には、人気ある人に対し先頭に立って拍手し、不人気な人に対し先頭に立って石を投げる周知の性癖がある。それによって政治家として生き抜いてきた印象が強い。

 案の定、彼は、なでしこの壮挙に満面の笑みを浮かべて「粘り強く諦めないで頑張ることが大事」とコメントした。自分も、どんなに叩かれても諦めないで頑張るということだろう。困ったものだ。

 これは途方もない勘違いである。

 なでしこが一丸となって、自己犠牲もいとわず奮闘したのは、佐々木規夫監督を心の底から信頼しているからだ。

 菅首相は政権の監督だが、チームの選手(閣僚や党役員)からも強く辞任を求められている。もしも菅首相がなでしこの監督なら、チームがバラバラで大会の予選リーグにも出られなかっただろう。

 菅首相がなでしこの壮挙の本質を真に理解するなら、彼女たちに国民栄誉賞を贈ったら直ちに退陣するはずである。}引用終わり。

 まさに同感である。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする