駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

梅雨が明けた

2015年07月21日 | 人生

               

 朝から青空が見えているが猛暑ではなく風は比較的涼しく歩行者は助かる。蝉があちこちで鳴き始めている。一週間もすると耳をつんざく鳴き声になるはずだ。年々鳴き声が小さくなるように感ずるのは、私の聴力が落ちてきているからだろう。幸い低い音は良く聞こえるので仕事に差し支えはない。

 連休はのんびり出来るので心身が休まる。尤も四五日休むと登校拒否に似た症状が出てきて困る。出掛けるのがとても億劫になるのだ。家を出る最初の一歩がとてつもなく重く感じられる。一年ほど前から少しづつ仕事量を減らし始め、5%ほど減らすことが出来ている。毎年5%づつ減らせれば理想的で、父や兄の年まで働けると思う。

 だんだん大変になっているのは間違いない。たかだか二年だが、近くが見にくくなってきた。昔は聞き分けられた蚊かの泣くような声が聞き取れなくなっている。もの憶えや思考力も低下しているはずだ。唯、心だけはさほど年を取った感じがしない。これは錯覚なのだろうが、貴重な錯覚でこれがあるから未だ一人前の気がして、医師会などに行くと大きな顔で発言出来る。もう九割が年下だ。気をつけないと老害になる。

 妻も年下と言っても二才程だから、同じように年を取ってきているはずだが、亭主を注意することに関しては、返って口やかましくなっている。ちょいとした忘れ物で何度も・・・しないから等と言われるのでうんざりしている。まあ、BGMのようなもので「はい、はい」、{ああ、ああ」と答えていることだ。

 折角、梅雨が明けたので久しぶりに釣りに行ってみようかと思っている。思うだけで実行は心許ないが、アラジンのランプの魔王に聞かれればもう一度十一才の夏を所望したいところだ。

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カーヌーンの調べ

2015年07月20日 | 世界

                              

 今日も曇り空で夏の日射しはない。ただ蝉が鳴き始めている。思えば夏らしい夏は短い。八月も十日を過ぎればどんなに暑くても日射しに秋の気配が宿る。永遠を垣間見せる真夏の青空が待ち遠しい。

 今朝はカーヌーンの調べを聞きながらブログを書いている。カーヌーンと聞いてもご存じない方も多いと思うが、音色は聞かれたことがあるはずだ。ナイルの調べというCDを昨日買い求めたので聞いている。CDも古本と同じように古CDとして売られる途があるようで、林画伯の「やっぱり、本」展に寄る機会があり手に入れた。

 勿論、アラビアの映像の背景に流れているのを聞いたことがあるせいなのだが、弦の響きにアラビアの光景が浮かび上がってくる。私の脳の中ではナツメヤシ、砂漠、カーヌーンの響きがアラビアンセットになっているようで、アラビアンデイドリームに誘われる。不思議な異国には違いないのだが,どうしてもイスラミックステートとは結びつかない。恐ろしくても眼には眼には脈絡があるので了解可能な気もするが、蜃気楼の彼方に理解しがたい狂気も揺らいでいるようだ。

 尤も狂信は琴の音色を背景にした国にも宿り得るようで、心安らぐカーヌーンの調べを聞きながら複雑な気持ちにもなった。

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言葉の内容を吟味する

2015年07月19日 | 町医者診言

 

                               

 予報通り曇天の朝を迎えた。まあいいかという心境だ。天気に翻弄されるのには慣れているし、それが自然の中の人間の存在だから受け入れるしかない。地方新聞を読むのがその地方に行った時の習慣になっているので今朝は京都新聞を読んでいる。安保法制反対の狼煙が全国で上がっているように書いてある。今までの論調を知らないので、ちょっと証文の出るのが遅いのでは?という気もした。もう黙っていないという国民の多数に呼応した動きなのだろうか。

 安倍首相は存在しなかった美化された過去の日本に戻そうという目論見を持っており、そのために巧みに戦略的に動いて来た。利益誘導、人気相乗り、敵愾心で紛らわす・・、どうすれば歓心を得、懐柔ができるかという戦略性は天才的だったと思う。しかし、六十日ルールを意識した強行採決をしておきながら、恰も六十日ルールを意識していないような芝居を始めては、その場しのぎ戦略の馬脚が現れたと言わざるを得ないだろう。

 日本を取り巻く環境が変化した・・と言うけれども、それがなぜ生まれいかに対応すべきかについては十分な多角的論議が尽くされていないと思う。疑心は暗鬼を憎しみは憎しみを生む。アメリカにとって日本がどのような存在か安倍首相がアメリカにとってどのような首相かなど、大切な問題が置き去りにされている。もう一つ、重大な問題は憲法というものの価値と意味がほとんど意図的に忘れられていることだ。

 それってどういう意味と、情報を集め考えに考えなければ、政治家の戦略的な言葉の中身は見えてこない。

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やろうと思えば出来る

2015年07月18日 | 政治経済

                    

 鈍足台風が日本海に抜けたが、台風一過の日本晴れとは行かず、高温多湿の大気が曇天の下によどんでいる。午後から一泊で出掛ける予定があるのだが、夏空は拝めそうにない。

 首相が新国立競技場計画を白紙に戻し、コンペからやり直す決断を下した。英断だと思う。やろうと思えば出来るんだ。類い稀な戦略家の首相だから、安保法制で陰りが見えた人気も意識してのことだと思うが、それでも貴重な税金を他人のお金だからとじゃぶじゃぶと使う体制にメスを入れたことは高く評価したい。懲らしめなければ責任拡散で知らぬ顔の組織の改善は出来ない。野放図に膨らむ資金を手をこまねいて見ていた監督不行き届きの責任を文科相には取って頂きたい。 

 何と言ってもいい面の皮は森元首相で、いろいろと本当に運の悪い人だと同情する。

 首相の英断ではあるがそれをさせた世論の力を自覚したい。ならぬものはならんと歯止めを掛ける圧力をかけ続けていきたい。

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台風の日の診療

2015年07月17日 | 診療

              

 今日も鈍足台風のお陰で、土砂降りの中を歩いてきた。思いがけない地方にゲリラ豪雨で被害が出なければいいがと心配している。日ハムの大谷なら跨いで渡れそうな小川が氾濫するから要注意なのだ。

 昨日は日中小降りになったせいか、結構患者さんが受診され通常よりやや少ない程度だった。午前早い時間に黄疸の中年女性が受診された。実家に寄った娘に言われて気が付いたそうだが、旦那に眼は付いているのだろうか、鏡は見ないのだろうか、目も身体も真っ黄色なのだ。そういえば数日前から尿が濃かったと言うが、暢気(過ぎる)な人も居るものだ。黄疸が強い割には元気なので肝炎ではなさそうだが、重大な病気の可能性が高いので、即入院を依頼した。

 あちこち連絡手配して送り出してから、看護師が本当はもっと前からあったんですよ、患者さんて中々受診しないんですよねと言う。確かに細かい徴候は数週間前からあった可能性が高い。患者さんにはというより人間には色々な人が居られ、針小棒大から棒大針小の人までグラデイションの幅が広く、前線の臨床医は細心の注意を払わねばならない。どちらかと言えば針小棒大の患者の方が多く、こういう患者さんはくどくどと話が長く手が掛かるので歓迎されない。幾つか医院を転々とされていることがあり、ここは話を聞いてくれるとわかると堰を切ったようにまとまりのない話をされるので困ることがある。それでもこうした患者さんの中に、希ではあるが珍しい病気や深刻な病気が隠れていることがあるので油断できない。

 人間の多様性を引き受けることなしに役立つ臨床医にはなれないと感ずる。

 

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