夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

新たな日本記録達成

2019年05月13日 13時20分58秒 | 釣り全般

 サニブラウンが9秒99で日本記録まであとちょっとで届かなかった昨日。4月4日に僕が2Lb(ナイロンの0.5号)で釣ったソウギョ(12.05kg)が日本記録に認定され、本日認定書が届きました。  大きくはないのですが、日本国内でこの糸の細さで釣ったソウギョでは最大ということです。  なんか、いつになく嬉しい感じに浸ってます。先日の世界記録の認定も“僕の釣り技術が世界に通用するレベルに達した”という意味ではそれなりに嬉しかったのですが、今回の記録は、何十回も切られに切られまくって(釣り仲間が同情してくれるほど)、やっと捕れたのです。その間、試行錯誤を繰り返し、対策を考え、それなりに釣り具を改良し(レギュレーション範囲内で)、それをもってしても切られまくり。そして練習を重ねてやっと取れた記録です。これで嬉しくないはずがありません。  これまで2Lbのソウギョの記録は空いていました。これは誰もチャレンジしなかった、はたまたチャレンジしても釣れなかったのどちらかです。いずれにしても空いていたその部門を埋められたという意味では価値があると考えています。  世界記録は17.35kgですので、まだまだ子供のソウギョです。で、この結果を見た人たちは“2Lbでも捕れるんだ”と思ってこれからどんどんチャレンジしてくると思います。そしてこの糸の太さの難しさを体感し、諦めてしまう人もいるでしょうが、12.05kg程度のソウギョは沢山いますので、大半は記録更新に燃えてくれるのではないかと思います。・・・これからいつまでもつか判らない記録ですが、記録は破られるためにあるので、その時はまたそれなりに頑張るだけです。


チン記録

2017年09月01日 12時26分48秒 | 釣り全般
昨日も釣れたんだけど。・・・しつこい・ってか?
(・・・てか、このくらいしかネタがない。)
8Lbで釣った16.70kgのソウギョ。
これって現在の日本記録と同じ。
ってことはタイ記録。
申請すればタイ記録で認定されるのですが、タイ記録で認定されるってあまり面白くないですよね。・・・で、申請しません。
 自分の中では、同じ重さのソウギョを同じ強度の糸で釣ったというチン記録ってことで認定しました。
 釣り上げた時に「同じくらいだなぁ・・・」と思ってはいたのですが、手で持っただけの計測ですから、もしかしたら超えてるかもしれないと思って自宅に持ち帰り計測し。上記のようにタイ記録だったので体長や胴回りなどは測らないですぐUターン。リリースしました。次お会いすることがあったらもっと大きくなっていることでしょう。

・・・またネ!・・・

また1匹追加

2017年08月25日 09時10分10秒 | 釣り全般
JGFA(Japan Game Fish Associatin)という組織があります。日本で唯一日本記録を公認している組織です。かねてから大物を狙う僕ですから当然ここに所属しています。
 大物を釣るにはやはりそれなりの知識と技術がなければ釣れません(運も相当影響しますが運も実力の内と言われますので)。その中にも色々なカテゴリーがあって、一つはオールタックル部門。これは糸の強さに関係なく(とは言うものの130Lb以下と指定されている)とにかく大きいのを釣る記録です。大きいのを釣るには糸を太く(強く)すればいいわけです。極端な話、太いワイヤーで引き上げちゃえばどんな大きな魚だって釣れるわけです。僕の場合、このような道具の戦いはあまり面白くはありません。やはり釣りの技、つまり釣技に興味があります。そういう人用にJGFAではラインクラスという部門を設けています。これはある決められた強さの糸でどれだけ大物が釣れるか?というコンテストです。要はより細い糸でより大物を釣るコンテストです。この場合、いままで培ってきたその技術に総動員をかけないと糸はその限界を超えて切れてしまいます。つまり道具を駆使して、今までの経験を生かし、運までも総動員した結果その魚に勝てるわけです。
 現在ソウギョのラインクラスは2・4・6・8・12・16・20・30・50Lbが設けられています。ポンド表示は世界標準ではありませんので最近ではKgでやっているようです。例えば2Lbであれば1Kgです。要は1Kg以上力が掛かると切れる糸ということで、その太さや材質に規定はありません。同じように4Lbなら2Kg、6Lbなら3Kg、8Lbなら4Kg、12Lbなら6Kg・・・となっていくわけです。概ねポンド表示の半分がKgだと思っていただければいいです。
 この一定の力が掛かると切れる糸を使ってそれだけ大きな魚を釣ることが出来るかを競うわけです。簡単そうに思えますが日本記録となるとそう容易くはありません。容易い記録はすぐに更新されて徐々に容易くない記録になっていくからです。実際切られる事も多い(というより最初はまず切られます)のですが、経験を重ねることによりその対処法を考えますから自分の釣りが進歩して行くのです。そしてそれ(日本記録魚)が釣れたらその人の釣技は日本一(これは自称です)。そして公の組織(JGFA)が認定した時点で日本一だということが公式に認められたのですからこれは自分だけではなく、自他共に認められたということになります。
 もっとも自称の範囲内で満足できるのですが(自分には嘘はつけませんから)、公認されたらその満足度はより大きなものとなります。
 というわけで今回釣れた魚も記録更新の申請をする予定です。この魚は12Lbの糸で釣りました。現在の12Lbのラインクラスの日本記録19.70kgですから充分に超えています(今回釣れたのは24.10Kg)。ただ、仕掛けに不備があったり使っていた糸が6Kgで切れない糸だったりしたら申請は却下されてしまいます(そのために使った仕掛けと糸15mを申請書に添えて申請し、JGFAは破断テストをします)。かなりシビアに見ているようですが、前回の20Lbの申請は却下されました。書類不備によるものですが、その不合格通知にはとんでもないコメントが書かれていてビックリするとともにJGFAの審査員は審査員として以前に、人間としての資質に欠けていることを知り悲しく感じられました。ですからもう記録申請は辞めようと思っていたのですが、釣れちゃうとやはり申請するしかなくなってしまいます。JGFAだけが公認の記録を決めているのですから。
 話が逸れましたので元に戻します。今回のソウギョは実は事前に見つけていたものです。僕が釣っている場所は水深があまりないので、浅場に魚が出てくると水面に波が立つので居場所が判るのです。そしてある程度の大きさまで判ってしまいます。結構な大きさに見えたので(20Kgはあると思っていました)まずは他で12Lbで練習しました。実際にどのくらい引っ張ったら切れるのか?などとチェックするためです。そんな中、実際に数匹捕ったのですがやはり現在の記録である 19.70kgは超えませんでした。最初は今チャレンジしている20Lbで釣ろうかと思っていたのですが、現在の20Lbの記録は7.70Kgです。このサイズのソウギョならすぐに釣れるでしょうから、この魚は12Lbでチャレンジしたいと考えました。まずは20Lbで記録狙いをして前回の魚を捕りました。そしてやっとヤツと勝負する時が来ました。ヤツはちょっと釣り辛い場所にいつも居ます。釣り座に高さがあり、両脇に立ち木があって川に迫り出し、その枝を水面に付けていますのでそこに入られたら厄介なことになります。というより糸が切れるでしょう。そうしたらもうヤツはどこか別の場所に移動してしまいますので、もう二度と出会えないでしょう。一発で仕留める必要があります。だからいままで練習してきたのです。そしてチャレンジが始まりました。ヤツはいつも見えていましたがまったく僕の餌を喰って来ません。大物はタイミングが大切です。脅かしてしまうと移動してしまうので、(今後の事を考えて)あっさりと攻めて、ダメならこちらがサッと移動してまたチャンスをうかがうということを繰り返し、4度目に来ました。予想通りの強い引きでしたが沖に向かって泳いでくれたので慌てずにすみました。手前の岸は葦が生えていてその中に入られたらアウトでしたから。対岸にも葦は沢山生えていますが、対岸なら糸が寝ていますので比較的安全です。すぐにドラグを緩めてできるだけ沖に泳がせました。上手い具合に対岸まで行ってくれたので対岸の葦が被い繫っていないところに行った時だけ勝負に出ました。これを繰り返していたらだんだん岸から離れて来始めました。ヤツが弱ってきた証拠です。しかし、まだそちらで遊んでもらわないと困るのです。こちら岸は先も言いましたように葦が多く、その上僕が立っている右には大きな木があってその枝を水中に入れています。ここに入られたら最後なので、できるだけ沖で疲れさせてこちら岸に来た時には一発でタモ入れしなければなりません。一人で釣っている時、一番難しいのがこのタモ入れです。30分弱沖で疲れさせていましたので、どうしても遠くに泳がなくなってしまいました。しかし大事をとってもう少し泳がせたいところです。このために色々とやってきたのですから。一発で決めるためには出来るだけ相手の元気を殺しておきたいのです。そしてとうとうその時が来ました。ヤツがこちらを向くようにしてテンションをかけながら水面を泳がせ、充分引き付けてからヤツの顔先50㎝にタモを突っ込みました。この時点でヤツがタモを交わして逃げるには急ブレーキを掛けるかタイトターンを決めるしか逃げる方法はありません。ソウギョは後ろ向きに泳げない魚ですから。ヤツは急ブレーキを選びました。体が半分入ったところで止まってしまってのです。そこでタモをちょっと引き上げてタモの枠でお腹を突っついてやりました。慌てたソウギョはタモに向かってダッシュしてくれすっぽり入ってくれ、大きな水飛沫を上げて・・・すぐにタモを持ち上げて脱出できないようにしました。これでキャッチしたことになるのですが、記録申請するためには岸に上げて色々と測らなくてはなりません。しかし長時間のファイトで僕の腕もパンパンで持ち上げられません。何がなんでも持ち上げなくてはならないのです。渾身の力を込めて何とか持ち上げました。体長はそれほどではありませんが今まで見た事もないような超おデブ。これは重量がありそうです。しかしこれで疲れ果ててしまった僕はこれを車の荷台(釣り専用に軽トラを使っています)に持ち上げる事ができません。この車の荷台の枠を始めて外しました。そして何とか乗せて自宅へ。ここからは大急ぎです。早くしなければ死んでしまいます。何とか元気なままリリースしたいですから。大急ぎで計測して写真を撮って、再び荷台に乗せて釣った場所に戻ってリリース。しばらく腹を見せて横になっていましたが、徐々に自分で立つようになったので放したらゆっくりと泳いで深みに帰って行きました。

 あとはJGFAの審査が通れば日本記録になります。しっかりとした審査を望むばかりです。


久し振りに

2017年08月17日 21時55分36秒 | 釣り全般
渓流釣りの友達が他界してからどうしても渓流に足が向きません。
僕のお気に入りの竿は彼が監修したものですし、タモ網も餌入れも彼が自作したものをプレゼントしてくれた物。釣り場にしたって、僕が好きな場所はほとんど彼に教えていますので何処に行っても彼の姿が浮かんでしまうのです。そのたびに目頭が熱くなり視界が悪くなって釣りどころではなくなってしまいます。まだ彼の影が僕の脳内を占拠しているうちはこの状態が続くでしょう。正直言って辛いです。僕がいくら悲しんでも彼は喜ばないでしょう。彼が逝く前のように真剣に、かつ楽しく渓流釣りを楽しむ事を彼が望んでいることは解っているのです。しかし、この気持ちはどうにもなりません。この悲しみはどんな素敵な言葉をいただいてもなかなか克服できる物ではありません。唯一克服できるのは時間です。今は彼を思い出すたびに辛く思ってしまいますが、あと10年もすればきっといい思い出に変わっているはずです。早くそうなれる事をきっと彼は望んでいるでしょう。だから一日も早くあの頃に戻らないと。。。

とはいうものの、今日も渓に足は向かず、久し振りに淡水の大物釣りに行って来ました。この釣りも彼は竿のテストに使おうとしていて、彼の病気が良くなった暁には彼を案内して喜んでもらう予定でいました。延べ竿でこれを釣ろうって言うのですからほとんど狂気の沙汰としか言いようがありません。でも、アラスカでキングサーモンなどと対峙して来た彼ですから、僕のガイドさえ良ければきっと釣ってくれるおのと信じていました。そんな釣りですからこの釣りとて両手を広げて楽しめるわけではありません。でもそれでも渓流よりはいいです。そこで今日行ってみたのです。

実は、こないだの日曜日にも夕方の一時、竿を出してみたのです。しかしおりからの雨でポイントは濁流&大増水。釣り場に着いた瞬間に諦めの気持ちがして、よほど竿を出さずに帰ろうかと思ったのですが、折角来たのですからやってみましょうということで竿を出してみました。結局、何の収穫もなかったのですが、一匹だけその姿を見つけていたのです。そして今日はそいつに狙いを絞って出かけてみました。やはり夕刻のわずかな股間だけです。しかし僕の仕掛けは空を切るばかり。そして今日もダメだった。この増水じゃーしょうがない。と釣りに理由付けして最後の一投。プカプカと流れ行く餌にちょっとはなれたところから三角波が!釣り場が浅いのでこの手の大きな魚が動くと波が立つのです。そしてその波が僕の餌に襲い掛かりました。その後は順調に竿を捌いて一丁上がり。

107㎝。15.05Kg。それほど大きいというほどの魚ではありませんが、今時分の草魚はとても強いです。なかなか上がって来てくれません。思いっきり楽しめました。

とはいうものの、やはり魚が喰い付くまでの時間、彼がテストに来たらここに立って竿を出して、また
歩いて他の場所に行ったりする彼の後姿が見えるようで、渓流ほどではありませんがやはりまだ以前のように普通に釣りを楽しめる感じではありません。

でも一応釣れたので更新しておきます。

3匹目

2017年04月28日 20時57分05秒 | 釣り全般
昨年末に一匹目を釣ってからこれで3匹目。
結構居るのかもしれません。警戒心が強いので目で確認できないのでそれさえも分りません。
昨日も15時半に家を出たのですが、竿を出すなりいきなり鯉が来てしまって一番美味しい高確率の一ヶ所目のポイントは丸潰れ。この魚は鯉を掛けると鯉が逃げ惑うのを感じて逃げてしまいます。そして二ヶ所目も一投目で鯉。それも80㎝くらいあるこの川では「良型」と呼ばれるサイズ。そして大移動して臨んだ3ヶ所目。時間的にこのポイントが最後です。鯉よ掛かるな!と流した一投目。水面を流れる餌にバシャッと来たのがやはり80㎝ほどの鯉。まったく鯉面はロクなモンじゃありません。いつも邪魔ばかりして来ます。タナゴ釣りしててモツゴやギルが掛かってしまうよりタチが悪い奴です。もう移動しても仕方がないのでここで鯉退治に専念することに。同サイズの鯉ばかりが4匹立て続けに釣れて夕方に。そろそろ帰ろうか。今日は鯉日和だったなぁ・・・と思ってソウギョは諦めた矢先、ヌラーーーと背中を出した奴が居ました。・・・ソウギョです。仕舞いかけた道具をもう一度出してその背中が出たポイント付近に餌を入れたら浮きの回りで大きな波紋が出て、その直後に浮きが消し込まれて。2~3分で勝負は付いてしまいました。今回のソウギョは今までで一番小さいし(12.65kg)、糸も太い物を使っていましたので(PEの2号)楽勝でした。

 それにしても、あれだけ鯉を釣った後でも逃げないで居てくれたこの魚には感謝ですが、ちょっと頭が弱い子だったのかもしれません。
 もっとも僕に釣られるようじゃ・・・ネ!

 次回はちょっとギリギリの勝負を掛けて楽しみたいと思っております。釣れないでしょうけど頑張ってみます。

二匹目

2017年03月13日 02時50分59秒 | 釣り全般
先日の日本記録に続いてもう一匹釣れました。
今度は太い糸(PE1号)だったので15分くらいで上げられました(前回は45分くらい掛かりました)。
2Lbでチャレンジしていたのですが、どうしても上がらない奴が居て、知り合いは5号(ナイロン)を飛ばされたと。この人も上手な人なので2Lbじゃ太刀打ちできないと思って太い糸で釣ってました。太い糸を使っていると安心していられるのですが、途中で立杭群に入られて七転八倒。終わってみればダブルラインの片方が擦れて皮一枚で繋がっている状態。危ないところでした。
 今回もこのエリアでは小さいサイズでしたので釣り易いっていえばそうなのですが、それでも1mを超えるサイズとなるとそう簡単には上がってくれません。特にタモ網に入れる瞬間はヒヤヒヤものです。もっともそれが楽しいのですが。
 もうちょっと小さいのが釣れるようになったら2Lbで再チャレンジします。

ってか、渓流をサボっていますので、これからはちょっと渓流にも顔を出して来ますのでこちらの釣りは遠のくかもしれません。

本末転倒

2016年06月16日 22時30分12秒 | 釣り全般
埼玉県加須市にある埼玉県水産研究所において全国で初めてドローンによるカワウ防除講習会が開催されました。
カワウの被害は全国的な広がりをみせ、その影響は深刻なのだそうです。
で、漁協がドローンでカワウを防除するって。
(http://irumagyokyo.jugem.jp/?day=20160612より)

カワウを増やしているのは漁協による放流。つまりは漁協自身であるということがわかっていない模様。

頑張って!

2013年12月15日 00時34分03秒 | 釣り全般
 先日、川越で開催されたトラウト・フェスタ。石垣先生には申し訳ないのですが午前中のみで失礼し、昼食を取りながら当会のてんからメンバーのTAURANさんと一路コイ釣りのポイントへ。彼は兼ねてから僕のBIGてんからに興味を持ってくれて、今日がその仮デビュー戦です。強風のためにとても難しい状況下でしたがBIGてんからで鯉を掛けて『オモシレー』とか『これはヤバイですよ』とかの連発。BIGてんからならではの面白さを堪能できたようです。
 当日は当会きっての大物釣り師である夏目さんとそのJr.が二人、そして夏目氏のご友人のU氏も来てくれました。大物には目がないご両人ですから渓流のオフシーズンの今、本番の練習も兼ねて遊びに来たわけです。とはいうものの、夏目氏はお子様の世話係でとても釣りどころではありません。U氏が早速初めました。来ていきなり掛けたU氏、最初のヒト伸しを交わしてすぐに夏目氏のJr.に竿を持たせて。。。結論から言うと50cmくらいの相手ですから延べ竿の相手としてはまぁまぁのサイズです。こんな小さな子に出来るかな?と不安でしたが、どうしてどうして・・・流石に夏目さんの子です。少しも動じず必死で歯を食いしばって頑張ってました。この時昔の想い出がフツフツと思い出されてきました。小学校3年生の夏でした。埼玉の行田(ぎょうだ)という所に従兄弟が居て、彼と釣っていたら大きいのが掛かって上げられないで・・・しばらくやり取りしていたらその最中に雷が来てしまって。彼は『お父さんを呼んでくる』って言って行ってしまったし。雷がガンガン鳴る雨の中、なんとか独りで取り込むことに成功したのです。彼の父は当時のこの世界での有名人でしたので、僕がこの鯉を上げたのを見て『たいしたもんだ』と誉めてくれたのが今でも嬉しくて・・・。その時はきっとこんな感じだったんだろうなぁ。。。と
 いずれにしてもこの子、魚との駆け引きが妙に上手い子でした。いつも全開で力を入れているのではなく、しっかりと緩急があって。やはり夏目さんの子、『血は争えない』とか『蛙の子は蛙』ってよく言ったものです。将来が楽しみな子です。
 前にUPした子も、今回の夏目さんの子もとても素敵でした。この子達の夢を叶えるため、我々大人は何をしたら良いのか?を考えさせられた午後でした。

大物釣り師の卵

2013年12月02日 16時51分13秒 | 釣り全般
今日は僕らの会の忘年会。家の仕事もあるので釣りは諦めていました。でも今日の天気はまさに釣り日和。家の仕事をバンバンと片付けて何とか約1時間を作ることができました。
 近所で出来るのはタナゴ釣りか鯉釣りです。時間が短いのでタナゴにしようと思ったのですが、先日サケ釣りで折った竿が直って来たのでそのチェックを兼ねた鯉釣りにすることにしました。1時間で釣れるかどうかは判りませんが、掛かればチェックできるので一石二鳥です。
 基本的にこの竿は餌釣りの竿ですから、今日は久し振りに餌釣りをしてみました。一番ポイントには知り合いが入っていたので、そのずっと下流から釣り遡ってみました。なかなか掛かりませんでした。餌釣りをするのは久し振りなので、何かが噛み合ってないようです。そして時間が迫ってきて駄目かと思った時、目印がガクガクって。アワセたら確かな手応えと共に糸が走ります。この引きはニゴイだとすぐに判りました。で、勝負してたら後ろの土手から『何が掛かったンですか~~~?』って。振り向くと以前お父さんと一緒に来て釣りをしていた子です。名前を知らない子供ですが面識はありました。『ちょっと来てっ!』って手招きして呼んで、あとは彼に竿を渡してやってもらいました。糸は0.5号ですから無理は出来ません。しかし竿も長いので子供にはちょっと辛いかも。とか思ったもののなんのその。まったくもって大丈夫そうです。『竿を倒せ』とか『下流に走れ』とかいろいろと指示が飛びます。そしてその指示に従いながらとうとうタモに納めてしまいました。やはり50cmくらいのニゴイでした。
 特記すべきは竿さばきが天才的だったことです。リールが付いている釣り方ならこの程度の魚であれば誰でも簡単に捕れますが、延べ竿で、しかも0.5号なんて糸だと大人でも難しいです。50㎝程度とはいえ、こんな道具時立てですから無理をしたら一発で切れてしまいます。しかもあちこちに沈み根が点在していますので、そこに入られても切れてしまいます。突然与えられた不慣れな竿でこうしてしっかり捕れたのは、的確な指示に従った事もあるでしょうが、基本的にはその人(子供)が持つ天性だと思います。この子・・・将来的に大物釣りに傾倒したら末恐ろしい子だと思いました。

何はともあれ、楽しんでもらえたようなので良かったです。

夢の里帰り

2013年11月24日 20時53分28秒 | 釣り全般
以前ここに掲載した鈎です。
http://blog.goo.ne.jp/ashitamotenkida/e/80d0d7daa6e4e75fbd134c1c668975cd参照
徳之島空港に飾られた写真です。カメラを持って行ったのに電池を忘れていってしまって(大間抜けで管理人らしい?・・・悲)。携帯で撮った写真です。見づらくてすみません。

やっとこの鈎が活躍した現場である徳之島に帰郷した直後の写真です。偶然に知り合った徳之島の方が間を取りもってくれて帰郷が具現化しました。

まず、この鈎の帰郷にあたり、手はずを整えてくれた天城町役場総務課室長のTo様、そして徳之島町地域営業課課長のMa様。加えて当日僕に観光案内までしてくれた徳之島観光連盟事務局長のMa様、同連盟課長のSo様、そして美味しいお酒を作ってくれた同連盟のSa嬢(順不同をお許し下さい)には大変なお骨折りをいただき、そしてこの鈎と僕を暖かく迎えてくれたことに本当に感謝しております。そして、ありがとうございました。ちなみにこの鈎は今後徳之島の3町を廻り、その後最終的にはこの鈎の活躍舞台となった母間に行くようです。

私的に、この鈎が僕の職場に飾られている間、この鈎を見るたびに島の方々の情熱がビンビン伝わって来ました。そしてこの一つの鈎から沢山のことを想像したりして楽しんでいました。一匹の魚を狙って一千万円もの巨額を投入するなど、今の時代ではとても考えられない事ですし、誰もやらないでしょう。それだけでも十分に素晴らしい事だと思いますし、その夢に賭けた情熱に価値を感じてしまうのです。何も夢を持てない若者が増えて来ている現代ですから、尚更そう思えてしまうのかもしれません。当時の事ですから道具類もそれほど良い物があったわけではありません。この鈎もバールを曲げて作られているようです。こんな鈎を見ていると当時の情熱が感じられて、それだけでワクワクしてとても楽しい鈎でした。
 この鈎を見ていると徳之島の方々や奄美から参加された方々がこの鈎に込められた世界でも類を見ないほどの夢と情熱が、34年経った今でもオーラとなって発散しているように感じられるのは僕だけではないと思います。きっとこの鈎の現物を見ていただけたら誰でもそれを感じていただけると思います。
 徳之島はとても素敵な所でした。僕も仕事をリタイヤしたら移住させてもらいたいくらい素晴らしい島でした。何がそんなに気に入ったかといいますと、島民の方々と話すほどに島人の心の暖かさが伝わって来る島だったからです。世界一長寿でギネスにも登録された泉重千代さんやかまと婆さんの愛称で知られるも本郷かまとさんもこの島の人です。行って沢山の人と会話を交わすとこういう長寿の方がここで生まれるというのも解るような気がします。もしこのBlogを訪れる人がおられましたら是非一度徳之島に行かれることそお勧めします。そして沢山の島の方々といっぱいお話してみてください。きっと皆様も島人の暖かさを感じられることと思います。そして時間が余りましたら是非一度この鈎を実際に見ていただきたいと思います。

 僕の記憶ではこの鈎を手に入れたのは2002年7月21日。奄美本島の田畑信市氏から条件付で譲り受けました。その条件とは『もしこの鈎が不要になったときには捨てたりしないで徳之島に返してあげてください』というものでした。当時この夢にかかわった人だから言える言葉だと思いました。ある意味、この鈎は徳之島の文化遺産と言っても過言ではないと思っています。風化させるわけには行きません。よって、知り合い(玉井守也氏)に頼んで錆びない工夫をしてもらいました。完全密閉したガラス容器に入れ、中の酸素を抜いてあるそうです(脱酸素)。錆は酸化ですから酸素がなければ錆びないのです。手の込んだ作品が多い彼ですから今回もとても素敵に仕上げてくれました。そして職場に飾らせていただいて毎日これを拝んで楽しんでいたって言う訳です。
 でも、こんな素晴らしい鈎を独りでニタニタ見ているのはもったいな過ぎです。そこで田畑氏との約束を果たすために徳之島への帰郷を考えました。時期的にも当時のことを知っている人は沢山いますので、そういう人たちから沢山の情報を集めていただき、この徳之島の大アラ事件の詳細を後世に残していただきたいと考えたからです。
 2013年の23日~24日の連休を使って持って行きました。本来なら宅急便で送ってしまえば簡単なことです。しかし、この鈎は脱酸素のために密閉したガラスケースに入れてもらったのですが、鈎とガラスとのクリアランスが少ないので衝撃があると鈎本体がガラスを叩いて割れてしまう可能性があることを製作者から指摘されました。ですからいくらワレモノで送っても、もしもの事があったら無責任過ぎます。で、自分で運ぶことにしたのです。突起した部分を発泡シートで包み、ガラスケースの縁に発泡ケースの直角部分を切り取って取り付け、その周りをプチプチのシートで包み、それを建材のスタイロフォームで囲い、それをダンボールにきっちりと入るようにしてガムテープでグルグル巻きにして持って行きました。ある意味、僕もこの鈎に情熱を注いでしまったような・・・(笑。 こんな事をしたものですからかなり巨大化してしまって、羽田空港に向かう電車の中では沢山の人に迷惑を掛けてしまいました。空港でも荷物を預ける時に色々と考えてくれて・・・JALの方々には本当に感謝しております。でもお陰様で無事に徳之島に届けることが出来ました。

 こうして無事帰郷となったわけですが、ずっと“いつかはお返ししなきゃならない”と思い続けていた僕ですので、なんとなく肩の荷が下りた気持ちです。でも明日職場に行くと、もうそこにこの鈎はありません。正直なところ、寂しくなってしまった感は否定できません。世界に二本しかない鈎ですから是非大切にしていただきたいと願うばかりです。
 今回初めて徳之島を訪れた僕ですが、この二日間で何人もの島民の方々とお話をさせていただき、この巨大アラの事件の事を聞いてみると40歳くらい以上の島民であれば全員が知っていました。こんなことから、この大アラ事件が当時もの凄いセンセーショナルな出来事だったことは事実のようです。そんな体験して来ると、これはこれで良かったのだと思えます。
 少なくとも僕が手に入れてからずっと夢を与えてくれたこの鈎。僕にとってはとても幸運を呼んでくれる鈎でした。ですからきっとこれからも島の方々にも良い運を運んでくれることを信じています。大アラは釣れませんでしたがもっとデカイ夢を釣ってくれると思っています。
 寂しいですがこの鈎は遠くでひっそりと、でも大きな存在としてあり続けてくれると思います。僕自身、またいつの日かこの鈎に会うために島を訪れたいと考えています。それまではしばらくサヨナラです。この鈎が島民のあの情熱を後世に語り続けてくれることを祈りながら。

釣りに行くということ

2013年08月04日 15時19分25秒 | 釣り全般
 昔の釣りは蛋白源を確保するという意味を持っていました。要は人が生きるための一つの手段でした。しかしながら現在は釣りをしなけりゃ死んでしまうという人はまず居ません。漁師さんだって釣りで捕らなくても網で取れば生きてはいけます。漁師さんが釣りをするというのはより大きな対価を狙っての事であって絶対に必要という事ではありません。
 ですから実質上、釣りをするということはほぼレクレーション的な意味合いが大きくなってきており、どうしてもしなくてはならないというものではないわけです。
 最近釣りに行かなくなっている僕ですが、決して釣りを辞めたわけではありません。家族に体調を壊した者が居てその手伝いがあるので行けないだけです。こんな状況を察知した各方面からの方々から色々なご心配をいただき、本当に申し訳なく思っております。僕はとても元気です。一人なら毎週行っていることでしょう。
 こんなことがあって思った事。それは釣りに行く行為そのものが当人を含め、家族が健康で幸せである証であるということです。
 家族に早く健康になってもらい両手放しでまた釣りに行ける日を夢見てます。

 こんな状況下でもワンコは時間になると散歩に連れて行けとせがみます。今日も暑い中連れて行きました。目的もなく炎天下を歩くのはしんどいです。
 そろそろこの散歩も辞めようかなと思ってしまう毎日ですが、時間になると『今日も連れてってくれるかい?』ってキラキラした目で見つめられると嫌が言えなくなってしまいます。暑さに滅法弱い犬なのにどうして?って思いますが、それでも行きたい事はこの目が語っています。老犬ですので(先日12歳の誕生日を迎えました)少々心配もあります。でも毎日家の中で過ごしているこの犬にとって、散歩は僕の釣りと同じような意味合いがあるのかもしれません。ですから僕の釣りと同じようにこれから先がどんなに暑かろうが寒かろうがせがんでくることでしょう。飼った以上それに応えなくてはなりません。僕も釣りに行くのですから。

魚は痛みを感じているのか?

2013年07月15日 09時19分56秒 | 釣り全般
今回は夢のない現実的な話です。
魚釣りは魚に傷付ける行為ですから、決していいことではありません。ですが、釣りという趣味を持ってしまった以上、それを分かっていて釣るのと解っていないで釣っているのとでは雲泥の差があるように思えます。
 何故か魚は痛みを感じていないという風潮があります。魚が鈎に掛かって暴れるのは、自分の行動を阻止されるからであって痛みを感じているわけではないのだとか。。。でも本当にそうなのでしょうか?釣った時に魚の顔が苦痛にゆがまないし、泣き叫ぶわけでもありません。学者的に言うと、魚が痛みを感じていないとする根拠は痛みを感じるもの(自由神経終末とか痛点とか言われる)が見当たらないか、かなり少ないらしいことにその端を発しているようです。と言いながらもそういう論文を僕は知りませんし、実際にそうなのかも知りません。しかしながら、そういう可視的な見方しか出来ないのは学者のサガ。生物をマクロ的に見られないようです。
 魚のみならず痛みというものについての知識があればこの答えは明白であり論議する価値すらないことが解ると思います。学者は当然知っていなければならないことですが、一般の人たちはこの『痛み』というものへの理解がない人も多々おられますので、まずこれを理解していただきたいと思います。
 では『痛み』とは何者か?ということですが、普段の生活においてナイフや包丁、はたまたぶつけたり擦ったりして怪我をすることってありますよね。例えば刃物で手を切ってしまったとします。そこからは血が出て来て痛いですよね。でも、傷の程度にもよりますが、翌日くらいには傷口は開いているのに痛くない経験はありませんでしょうか?多分ほとんどの人がそういう経験をお持ちだと思います。でも、よく考えるとあれって不思議だと思いませんか?傷口がまだ開いているのに痛くないのですから。注意深い人は何でなんだろう?と不思議に感じたことがあると思いますが、一般的には『痛くないから、まっ、いいか』ってことでこの不思議な事象を深く考察する事は希で、そのまま忘れてしまっていつの間にか治ってしまっているというのが普通だと思います。ところがここに痛みの本質が隠れているのです。
 傷はそのままでは細菌が入ってしまったりするのでその傷は出来るだけ早く治さなければなりません。しかしながらその開いた傷口に接着剤を塗ったりしなくてもちゃんと体が治してくれますよね。では誰がその傷を治しているのでしょう?これは脳です。脳は体の総てを管理・維持しています。傷や病気を負った場合に脳がそれを認識して勝手に治療してくれているのです。ですから脳はどこを治さなければならないか?を判断しなくてはいけません。ところが脳の方から四六時中体の隅々まで行って監視できるわけではないので、体の一部が傷や病気で壊れたらその事を脳に教える必要があります。その連絡が痛みなのです。
 例えば上記のように刃物で手を切ってしまった例でお話しすると、刃物で切られた手の細胞は死んでしまいますので何も出来ませんが、その周囲の生きている細胞が切れた事を認識して脳に『ここが壊れたから治してくれーーーっ!』って信号を送るのです。これが痛みです。で、脳がそれを認識して『よし、分かった!』となって切れた部分の修理・修復に取り掛かるのです。そして傷が快方に向かうと今まで『治してくれーーーっ』て騒いでいた細胞たちは、脳が傷を認識して治し始めてくれたのですからもう騒ぐ必要がなくなり騒ぎを止めます。要は痛みがなくなるのです。ですから、翌日くらいになって傷口がまだ開いたままでも痛くないという事が起こるのはこのような事なのです。
 では、この痛みという感覚がもしなかったらどうなるでしょう?そうです。皆様が考えたとおり傷はまったく治ってくれません。これは恐ろしい事です。どんなに小さな傷だって、もしまったく治らなければそこから細菌感染を起こし、それでも治さないのですからどんどんその感染は進み、そしていつしか全身に細菌が回って、いわゆる敗血症(はいけつしょう)を起こして死んでしまいます。
 これで痛みと言うものが解ってもらえたでしょうか?上記のことが解れば痛みは誰にとっても嬉しくない感覚ですがとても大切な物である事がお解かりいただけたのではないかと思います。
 それと、痛みは決して心地良い信号ではありませんが、もしその信号がその生き物にとって快適な感覚だったらどうでしょうか?その信号が気持ちいいのですから自らの体を自分で傷付けて喜んでしまう危険性があります。となると、これも修理・修復が間に合わなくなって死んでしまう結果となります。要はその信号はその生き物にとってとても不快である必要があるのです。
 このようにして生き物は自分の体の傷や病気を自ら治すことが出来るのです。ですから、想像するにほとんど総ての生物がこの感覚を持っていると思われます。生物はこの感覚がないと生きていけないわけですから。勿論細菌やバクテリアなどのような低次元な生き物にはないかもしれませんが、彼らはその分繁殖力が半端ではないのでこんな感覚がなくても種は維持できてしまうのです。よって、ここでお話しているのはそういう低次元な生き物以上のお話と思っていただきたいと思います。
 例えば何も考えてなさそうな植物だって傷付けば数日後には治っていることが多いことからも、多かれ少なかれ人間の痛みに相当する感覚があるのではないかと思います。
 さていよいよ本題の魚は痛みを感じるか?についてですが、上記のことを理解すれば答えは明白でしょう。それが人の痛みと同じ感覚かどうか?は知る由もありませんが、それ相応の不快な感覚を持つ事は確かです。というより、そうでなければ生きて行けないのです。人と同じ感覚はどうかは魚になってみなければ解りません。それどころか、痛みという物が僕とそれ以外の人が同じ感覚かどうかさえも解りません。例えば僕が赤いと思う色は小さい頃からその色が赤だと教えられたから赤と認識しているだけで、もしかしたら隣の人は僕が緑と教えてもらった色に見えているかもしれません。それでも、その人はその色が赤だと教えてもらって育って来たのでその色を赤だと言っているのかもしれません。要は感覚と言うのはその総てにおいてその生き物になってみなければ解らないので、それを論議する事は無意味です。ですから、ここで言える事は痛みという僕と同じ感覚を魚が持っているかどうかはわかりませんが、少なくとも彼らにはとても不快な感覚があると言うことです。

 で、ここからは蛇足になりますが、『じゃぁ、何故釣りなんて事をするのか?他の生き物に痛みかそれに相当する苦痛を与えて嬉しいのか?』と言われそうです。確かにその通りです。釣りなどのように生き物に怪我をさせることは決して良いことではありません。でも、人が生きて行く上で必ず他の生き物は犠牲になります。皆様も牛・豚・鳥などの肉を食べるでしょうし、植物も食べるでしょう。そうしなければ人は生きて行けないのです。ですから我々は生きるために牛・豚・鳥や植物を殺し自分の命を維持させるのです。これは生きていくために仕方なく殺す行為ですから許される範囲だと思います。ところが釣りは別にしなくたって自分が死ぬわけではありません。なのに辞められないのは自分の心に与える餌が釣りだからです。釣り師にとって釣りをしている時はこの世の物とは思えぬほどの悦楽を得ています。人は生きる上で心身がともに元気である必要があります。先にも言いましたが心身の『身』の方は牛・豚・鳥や植物を殺して食べさせていただくことにより元気になり、心身の『心』の方は魚に傷付けさせてもらうかもしれませんが、そうすることによって元気が正常に維持されるのです。
 加えてそうして来た結果、悪いことばかりではないことに気付かされてきます。それは魚という生き物をより深く知ることが出来ること、そしてその事を通して自然の摂理が見えてくることです。そしてそこから発展して自然を大切にするようになり、加えて自分のやって来た行動に自戒の念が沸いてくることです。例えば、僕も含めて、現在沢山の人がC&R(キャッチ・アンド・リリース)を唱えていますが、あれはもう充分釣って来た人の言葉であって、最初からC&Rをやっているのはタナゴ釣りの人くらいではないでしょうか?僕自身も昔は沢山の魚を捕って食べました。もっともその頃は魚は沢山いたので今のような状況は想像すらしていませんでした。多分僕と同年代の人たちはみんなそうなのではないかと思います。そしてそれを続けて来た結果、魚は減るし魚の品は落ちるしと、とんでもないことになってしまいました。そこでC&Rをはじめたのです。よく考えれば勝手な話ですが、当時はみなが将来を理解できていなかったのですから仕方がないのです。僕らがやって来た反省を含めて、後世にいい環境を残してまた沢山の喜びを感じ、味わっていただきたいと思う心からです。

 話は逸れましたが、人が生きていくためには沢山の他の生き物たちの犠牲の上に成り立っています。ですがこれも宿命とでも言いましょうか、神様が生物界のバランスをとるためにそう創ったのです。ただ、我々人間は理性を持っています。出来るだけ他の生き物を犠牲にしないで生きる事が出来ればそれに越したことはないということは重々承知しています。また生物界の頂点に立つ生物として生物界のバランスを取る事も必要な事は解っています。ですからそういう意味からすれば決して悪いことをしているわけではないのですが、結果的に魚たちを傷付け、苦しめることに変わりはありません。それでも辞められない釣りという趣味は恐ろしいほどの魔魅を兼ね備えてしまったとんでもない娯楽なのかもしれません。

夢の跡

2013年02月09日 12時43分04秒 | 釣り全般
この鈎、大きさが40cmほどの巨大な鈎です。
以下のようないきさつで作られた特注の鈎のうちの一本です。

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昭和54年5月頃より徳之島母間沖サンゴ磯を根城に600キロ、
乗用車程の大アラが居ると言う噂が
大島郡内や全国の磯つりマニアの話題となり騒動の始まりとなった。

地元の人も過去そういう大魚が目撃された事があると証言

証言その一

母間在住のTさんの話し、
40年くらい前80歳余りの老人の話では
下久志と井之川の中間の海岸でものすごい大きな魚を見たと
言う話を聞いたことがあると証言

証言その二

母間の元郵便局長さんは、
今から17、8年前に聞いた話であるが、母間港の中間辺りで、
鱗の大きさが麦わら帽子位のものを見たと言う話を
聞いたことがあると、証言

噂や過去の目撃証言等で拍車がかかり
ついにはこの魚を釣り上げる話になった。


昭和54年5月頃より釣り上げ計画を立てる
奄美磯釣りクラブでは会員140人を動員して
7月4日から一週間がかりで、釣り上げる計画を立てる

6月に準備のため大島磯釣りクラブの7人の
実行委員会が結成され大島本島より、
今まで誰も見た事が無いような特注の釣り針を持参した。
その時この釣りクラブが発行したプリントには、
次のような事が書かれていました。

①今から十年前ダイバーが海に潜っていた時、
岩のような巨大魚に遭った。
魚が尾びれを動かしただけでダイバーはひっくり返ってしまった。

②7,8年前には、岸から約150メートルのところに
浮かびあがったので、多くの人に目撃されている、
その大きさは人により証言が異なるが乗用車位だという人も居る。

③数十年前には実際に大きな魚が捕らえれている。
重さ600キロもあり、
腹の中から女物の下駄や着物がでてきた。
この魚の子供が数十年生きつづけて、今時々姿を見せる
巨大魚になったと考える人も居る。

実行委員会幹部は1977年の釣りの主要魚世界記録表を調べ
地元の人の証言を聞いて、
この魚は体長4メートル、重さ2トンと推定
大魚はマダラハタ、もしくはアカマダラハタと推定
そして、バールを元に鍛冶屋で特注の釣り針を2本製作させ
その針で乗用車を釣り上げるテストをし、それに成功する、

釣竿はドラム缶8台の上にイカダを組、その上に動かっ車二個を組
大きなワイヤを釣り針につける、
ウキはドラム缶4台にイカダを固定し、その上にウキの見張りが乗り、
トランシーバで竿台上の人との連絡をとる、ウキの合図で
手動で引き寄せる事になった。
豚肉をエサに使用された。

又地元の人達はこれに応援
支援チームを作る事により協力する事になった。
30名ほどで支援チームを作り魚を誘うため、
巻きエサのウニを取ったり岸にやぐらを作る準備をした。

6月の下旬より、大魚の噂は噂を呼び
NHK初め民放関係者週刊誌、各新聞社
からの取材電話や現地取材記者の往来が激しくなり、
地元母間は勿論徳之島全島または観光旅行者なども
この大魚釣りの準備を見物に集まった。

そして釣りが始まったのですが、
待てど暮らせどあたりもなく一向に大魚が釣れる気配は無かった。
7月8日(旧暦の6月15日)大潮に奄美磯釣りクラブの会長は期待をかけた。
不発に終り一度あたりがあったらしいがそれは鮫だったようです。

7月9日地元の協力もむなしく、解体宣言して、
あとかたづけをして引き上げた。
これに要した費用は1千万を超えたと言う
気の毒な話です。

この大アラ釣りを見ようと、島民が繰り出し、
6日から8日までの間で一万人余りに及んだ

この事件をその後大アラ事件と呼ぶようになったが、
なかには、大ボラ事件と呼ぶ人もいる。
真相は深い海の中、誰にもいるいないの断言
は出来ないでしょう。
(http://www.tokunosima-jc.com/tokunosima/main/ara.htmより)

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確かに大ボラ事件と言う人もいます。島に金を落とさせるためにやったのではないかという人もいます。売名行為だと言う人もいます。いろんな人がいます。
 結果が出るまではみんな期待していたはずなのに、結果が出なければケチョンケチョンに言ってくれます。こういう人ってどうなんでしょ?
 僕は釣れなくて良かったと思う派です。夢は夢で置いておいた方がいい場合が多々あります。この事件で夢を見た人は(TVでも放映されたので)相当な数に上ったと思います。現実にこの大アラがいるかどうかはどうでもいいことで、いると信じて色々な試行錯誤を繰り返し挑んでいった奄美磯釣りクラブの方々そしてその行方をかたずを飲んでみていた人たちがその一瞬だけでも夢を見たということが大切なのではないでしょうか?ですから僕はこの鈎を夢の跡として大切にしたいと思っております。

お世話になりました。

2011年12月29日 22時09分33秒 | 釣り全般
今年の僕の釣りに関わった皆様
色々とお世話になりました。

今年を振り返ると3.11があって、霞ヶ浦を離れ、他の地域でタナゴを釣り、生まれて初めて画像のタナゴを釣った事とヒラメの日本記録(2Lb)が取れたことが大きく記憶に残っております。画像のタナゴは盛期は過ぎたとはいえ物凄い色でしたし、身体的特徴が顕著な個体でしたから、最初は嬉しいというよりはビックリしていた記憶があります。
 その後、渓流釣りやヒラメ釣りも復活し、様々な釣りから他の釣りへのヒントを探り、その中からまた新たに使える道具やテクニックなどを模索して楽しんだ年でした。これはまだしばらく続く作業ですが、釣りのジャンルが違っても、結構そのベースは変わらない事に気が付いて来ています。

 放射能の影響で霞ヶ浦にはほとんど顔を出さなくなっているので、本来なら表題を変えるねきなのでしょうが、そんな事すらしていない僕を温かく見守ってくれてありがとうございました(笑。自分的にはまた霞ヶ浦に帰り咲きたいと思っているので、現在正しい情報を得ようと努力していますが、まだ自分の中では安心できないので、心の底からリラックスできる釣りが出来るほどはノーテンキではありません。僕の場合、釣りは職業ではなくあくまでも人生のおかずであり、心の洗濯であり、ピンと張りつめた神経を緩める場所ですから、どうしても他に行ってしまうのです。それはタナゴに於いては地域が変わりましたし、タナゴ釣り以外の過去にやっていた釣りにも行き出していますので、釣りの対象魚や釣り方も変わって来ております。よって、表題に魅せられてここに来られた方は『何て奴だ!』『詐欺だ!』って言うかもしれませんが、それを僕は否定はしません。でも、今でも霞ヶ浦やその周辺にお住まいの方々が大好きな僕は、放射能に関して安心できる状況が出来たら是非また表題の内容にしていきたいのです。その希望を捨てないためにもこのBlogの表題はこのままにさせておいてください。


さて、来年の話です。
実の事を言いますと、来年は世界がアッと驚くようなことを企てております(笑。
っつぅーか、今、ある人と組んで他の釣り人にとっては実に下らない事を真剣に考えています。これが実に下らなくて愉快なのです。釣りは職業にしてしまうとシンドイでしょうが、アマチュアとしてやっている内は本当に、心から楽しいです。釣りを考え出したのは誰なのか?は解かりませんが、こんなに面白い事を考えてくれた人(多分縄文人です)に、心から感謝しています。
で、その用意は着々と進んでおります。
成功した際には、みんなで『クッダラネー』って笑ってやってください。

つぅー事で、来年の僕の釣りを乞うご期待!
って、誰も期待なんかしてねーか。

来年もよろしくお願い致しまーーーす。

皆様も良いお年をお迎えください。

(管理人)