夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

尺について

2013年06月28日 14時28分46秒 | 渓流釣り
単位

溪魚はその季節によって居場所が変わります。
今日は寝坊して重役出勤でしたのでいきなり核心部に入ろうと思ったらすでに先客が!渓流釣りではよくあるパターンです。もっとも釣り場は沢山ありますから別の場所に行けばいいだけです。場所は早い者順です。で、良さそうな場所を求めてウロウロしたのですが、アユも解禁になったのでなかなか良さそうな場所がありませんでした。で、どこがポイントだか判らないような平瀬で釣ってみました。今の時期になるとそんな所にも魚が付きます。しかもそんな場所は人が入らないので案外いい釣りが出来ちゃったりすることがあります。それを期待して釣り始めて間もなく・・・ガツンと一発。こないだは小さな魚ばかり釣っていた(タナゴ)僕ですので、この魚を掛けた時か完全に尺あると思ってしまいました。でも、大物狙いが苦手なてんからで尺はそう甘くはありません。結果から言うと、俗に言う『泣き尺』ってやつでした。尺貫法でなくSI基本単位(メートル法)で言うと29.7cm。これを9寸と言うか29.7cmと言うか?僕は9寸と表現したいと思います。
 最近はcmで現わす事が多いのですが、渓流釣りの時だけはいまだに尺貫法です。尺貫法などというと古さを感じます。実際僕も学校では尺貫法では勉強して来ませんでした。なのに何故いまさら尺貫法を使うかっていうと、渓流釣りではこれがなんとも素晴らしい単位だと思うからです。
 ボーダーラインとでもいいましょうか。メートル法では尺は30.30303cmですが、一般的には30cm以上を尺オーバーと言っているようです。で、この大きさを超えるのは本当に大変なのです。29cm台までは釣れるのですが、30cm台を釣るのはここから急に難しくなるのです。昔の人は実に良くこのボーダーラインを発見したものだと感心してしまいます。1cm刻みだとちゃんとメジャーを当てて計らなくてはならないのですが、3cm刻みだとメジャーなんか当てなくても目算でほとんど合ってます。つまり、それで何の不便もないのです。要は、それほど精密でなくてもいい時に尺貫法はとても便利なのです。こういうことから基本の単位は決められたのではないかと思ってしまいます。ちなみにカジキ釣りでも1,000ポンドがボーダーラインで、ここから急に難しくなります。
 こんな事から、単位ってこういうボーダーラインを発見した先人たちの知恵が含まれた物ではないかと思ってしまいます。正確な報告をするのであればやはりSI基本単位(メートル法)での表現なのですが、やはり尺貫法が便利な気がします。
 とは言うものの、尺近いのが釣れるとついcm単位のメジャーを当ててしまう管理人です(笑。
夢が持てる単位ってないでしょうかね?

夢を釣りに行って来ました

2013年06月22日 13時20分18秒 | タナゴ釣り
タナゴ釣りは基本的には数釣りなのですが、自然環境が彼らの棲息にそぐわなくなって来ているのでどんどんと減少し、数釣りが難しくなって来ています。
 何が一番影響するかというと貝です。タナゴ族は貝に卵を産む習性があります。よって貝が居ない所にはタナゴは居ないということになっています。貝にいい環境+魚にいい環境の二つが揃って初めてタナゴ族にいい環境となるわけです。で、そのいい環境に出会えたらタナゴを釣るのはそれほど難しいものではありません。でも、その環境がなかなか判らないのです。水面を境にして我々が生きている水面上の世界と魚が生きている水面下の世界はお互いに理解できないその境界線だと思うのです。そしてそういう理解不能な部分であるにもかかわらず人は保護と称して様々なチョッカイを出しています。これはなにもタナゴに限ったことではありませんが、相手は自然界に生きているのです。自然というものでさえ理解できない上に水面下という重ねて理解できない世界で彼らは彼らなりに一生懸命に生きています。
 人は水面下が見えないのをいいことに沢山の悪さをして来ました。タナゴ達にあってもその被害を沢山受けています。その一番大きなものは河川改修工事(護岸など)です。河川改修工事はそのほとんどがコンクリートです。コンクリートはアクが強いのでそれが川を汚します。加えてそれまで水を浄化していたバクテリアを殺します。浄化作用を失った川は、たとえそこに綺麗な水は流れていても死んだ川です。水は悪化する一方です。こうして悪化した水が集まって大河となり海に落ちます。その途中で生きているタナゴ達。いい環境で棲息しているはずがありません。特にタナゴ達は貝に依存して生きているので、河川改修工事でアクが流れた時に当然ながらタナゴ達はその場を去ってその支流などに逃げ込みますが、貝は動きが遅いので逃げられずに死んでしまいます。そして貝が居なくなった川ではその後アクが消えたとしてもタナゴ族は子孫繁栄ができないのです。よって彼らもまた絶えて行きます。
 こうして水面下では我々の目が行かないことをいいことに、金儲けしか考えていない行政はとことん悪の限りを尽くして来ました。その結果、昔はどこにでも居たタナゴ達が今ではほとんど見られなくなってしまいました。そろそろそういうことに気が付いて今まで何万何千、否、何億何兆という命を奪ってきた罪を償う時期なのではないでしょうか?そして我々もそういう罪を犯す行政を心から憎める人間となる必要があると思います。
 最近では、今までやって来た護岸が自然破壊を含めて良い物ではないと言って行政が自分で作ってきた護岸を撤去している場所があると聞いております。行政ってどこまで馬鹿で高飛車なのかと耳を疑ってしまいます。自然は人が手を加えないから自然なのであって人が手を加えたら、それはどんなに自然っぽく見えても自然ではないのです。つまり生物が生きるためのバクテリア叢までは復元できないのです。それを成し得るのは自然でしかあり得ません。無知故に地球が誕生して何億年も掛けて作られた生物叢を護岸工事で一瞬にして破壊した彼らにまともなことが出来るはずがありません。それよりもうやってしまった(護岸を)のですから、そのまま自然に任せてまた新たな生物叢が出来る何億年後を期待した方がまだ効率的で手間が掛からず自然再生の近道であることを理解しなければなりません。
 蛇足ですが、こうして激減したタナゴ達ですが、いままで居たタナゴ達が居なくなったことを悲しみ、どこか他の場所からタナゴを捕って来てタナゴを再生しようとする人(タナゴ愛好家)が多く見受けられます。これは行政に対しての遺憾の意の現れなのでしょうが、とても良くない事です。放流は確実に生態系破壊という自然破壊です。運ばれた魚や水に居るバクテリアも一緒に放流され、少なからずそのバクテリア達も放流されたら繁殖します。また魚を放流するということは、それまで足りていた餌が不足することになります。加えてタナゴ達は貝に依存して生きているのですから、産卵期がバッティングすると力の弱い方が耐えてしまいます。カネヒラの進入によって霞ヶ浦のゼニタナゴが絶滅した例などからも解るように、人が手を加えると必ずそのシッペ返しが来ます。少なくなったり居なくなったりしたら入れればいいというのは低次元な環境庁や漁協レベルと同じになってしまいます。釣り師や自然愛好家であるならば彼らと同じレベルでは悲し過ぎます。個人や組織が行う総ての放流に反対する勇気を持つべきだと思います。
 画像は先日(2013年6月21日)、久し振りにタナゴ釣りに行った時のものです。護岸されていない小河川で、昨年までは在来種以外は釣れなかったので大好きな川でした。しかし今回はほとんどが在来種のヤリタナゴとアカヒレタビラだったものの、悲しいことにわずかながら移入種のカネヒラ2匹(1ペア)と外来種のタイリクバラタナゴ2匹(1ペア)が入ってしまいました。これらは本来はこの川には居ない魚種です。誰かしらが放流した結果としか考えようがありません。このような無秩序な放流により、いずれこの川のアカヒレタビラも滅びるか、もしくは激減する宿命を抱えてしまったようです。
・・・夢を釣りに行ったのに・・・。

身の丈の夢

2013年06月13日 17時43分52秒 | 渓流釣り
釣りには人それぞれの楽しみ方があります。ある人はとにかく数が釣りたいと言いますし、ある人は一匹でかまわないから大きいのが釣りたいと言う人もいます。そしてまたある人は数も大物も要らないからとにかく綺麗な魚を釣りたいと。さまざまな人がその人なりの目標をもって釣っていてそれを達成した時幸せを感じられるのです。
 僕の場合は大きくて綺麗なのが・・・いえいえ、その片方だけでも・・・欲張り過ぎですね!
 欲を張り過ぎるとその達成には沢山の労力が必要になり途中で心が砕けてしまうことがあります。身の丈に合った欲っていうのがあるのだと思います。

 今年はてんからで尺ヤマメを釣る事を目標にしていました。そして先日(6月6日)に達成することができました。過去にてんからでは2匹の尺ヤマメを釣っていますのでこれで3匹目です。成し得た夢は画像に残して置いておきたいと思って常にカメラを持ち歩いているのですが、先日新調したばかりのカメラをこの日の午前中に水没させてしまって動かなくなってしまいました。よって、僕が尺ヤマメを釣った証拠はどこにも無いのです(当方はほぼ100%リリースですので)。大きいのが釣れる時ってこんなモンです。
 餌釣りでは案外簡単に釣れてしまう尺ヤマメも、てんからで釣るとなると案外難しいです。なにせてんからは塩焼きサイズ(20cmくらい)を数多く釣ることに特化した釣り方ですから大物を狙うのは不得手なのです。てんからは水面付近(概ね水面~水面下10cm)に毛鉤を流し、それを動かしていかにも餌に見せ掛け、魚に勘違いをさせて釣るのですが、尺ヤマメは狡猾ですし警戒心が強いのでなかなか喰い付いてくれません。しかもほとんどの場合、こういう大物は水底にへばりつくように居るので、そんな魚を水面近くまで引きずり出してくるのは至難の技なのです。もっとも簡単に食いついて来るような魚は遠の昔に釣られてしまっているわけで、大きいということは、そうは簡単には口を使わない魚である証でもあるわけです。こういう魚を釣るには彼(彼女?)らの警戒心を上回る食欲を出す毛鉤操作が必要なのです。その微妙な毛鉤操作をするために全神経を手に集中して臨むので本当に疲れる釣りです。こんな疲れる釣りを続けていられるのも、たった一つの夢(尺ヤマメをてんからで釣ること)があるからです。そしてその結果を得た時にその証拠を残す術がないというのがなんとも皮肉なもんです。

 で、尺ヤマメを釣ってしまった僕は欲が無くなるか?というと、今度はもっと大きな夢を捕まえます。次は二尺ヤマメとかサクラマスとか。夢は果てしないものです。これは僕だけでなく釣り師、はたまた釣りをしない人もみんなそうなのかもしれません。でも夢はあまり大き過ぎるとなかなか達成できないので苦しくなります。かと言って小さ過ぎると達成しても達成感が無くて面白くありません。身の丈に合った夢っていうのがあるのではないでしょうか?
 で、僕は二尺ヤマメとかサクラマスとかも時々は狙うものの、このような夢は達せられない無謀な目標として置いておき、とりあえず今度は尺アマゴに照準を合わせました。そして先日尺アマゴが釣れそうな川に行ってきたのですが、小さなニジマス一匹に終わってしまいました(画像)。僕の夢をこの程度にしておけばそれなりに嬉しいのでしょうが、やはりニジマスはニジマス。ロクなモンじゃありません。でもこんな魚でも尺アマゴをてんからで釣るという夢に向けて走り始めた第一歩なのです。ですからこんな魚でも私的には立派な魚に見えてしまうのが不思議です。

【追補】
 水没したカメラが依然使えません。現在乾燥中です。よってバカチョン(コンデジ)での撮影なので画像が悪くてすみません。

交通取締り

2013年06月04日 22時32分42秒 | その他
FNNニュース(2013年06月04日 17:55)によると

古屋国家公安委員長、交通違反取り締まりの現状について苦言

古屋国家公安委員長が、4日朝の閣議後に行われた記者会見で、交通違反取り締まりの現状について苦言を呈した。
4日朝の閣議後に行われた、古屋国家公安委員長の記者会見。
そこで、古屋国家公安委員長は、記者に対し、突然、「(交通違反で)反則金を切られた時に、納得して切られましたか?」と質問した。
古屋国家公安委員長が、「どう、あなた?」と質問すると、記者は「納得していない」と答えた。
それに対し、古屋国家公安委員長は「納得してないよね。実は、そうなんですよ」と述べた。
そして飛び出したのは、交通違反取り締まりの現状についての苦言だった。
古屋国家公安委員長は「ややもすると、取り締まりのための取り締まりになってしまっている傾向があるんですよ。これは、極めて問題ですよね。それはやっぱり、警察の信頼という視点からも、ちょっと疑問符がつきますよね」と述べた。
警察行政を管理する立場にある国家公安委員長から出た、この発言。
街の人は、「賛成です。(取り締まりを)決算末になると、真剣にやってるみたいな感じがするので」、「腹立つときはありますよね。隠れたところで、(警察官が)見ているパターンですよね」と話した。
古屋国家公安委員長の発言に、波紋が広がっている。
古屋国家公安委員長は、警察による交通違反の取り締まりの現状について苦言を呈した理由として、「片側2車線で、真っすぐな道。で、歩行者が出てくる危険性もない。たまたま、そこは制限速度が50km/hなので、まあ、70km/hぐらい出ますよね、交通の流れに逆らわないように行くと。そうすると、20km以上出てると、取り締まりの対象になりますよね。やっぱり、そういうところはちょっと、どうかなと、わたし、いつも疑問に思ってましたし。また現実に、交通違反をして反則金を切られた支援者の中からも、そういう声は、すごく聞いています」といった例を挙げた。
古屋国家公安委員長が例として挙げたのは、最高速度が時速50kmに制限されている、片側2車線の道路でのスピード違反の取り締まりへの疑問だった。
街の人は、交通違反の取り締まりの現状について、「一番スピードの出る、何も危なくないようなところで捕まえるんだよね。それだったら、もっと危ないところが、いっぱいあるんだから、そこで違反者捕まえる方が、よっぽどいいと思う」、「こんなところで、(取り締まりを)やってるのって印象があるところはありますよね。何か、意図があるのかなっていうのは」と話した。
普段、車を運転する人からは、古屋国家公安委員長と同様の意見が多く聞かれたが、その一方で、「やっぱり、取り締まらないと、みんな好き勝手走っちゃうので」、「やるんだったら、本当にきちっと、いつもやってもらった方がいいと思いますけどね」といった声も聞かれた。
古屋国家公安委員長は、4日の会見で、ドライバーが納得できる取り締まりが必要だと強調している。
古屋国家公安委員長は「事故が多発しているような地で、そういったところで取り締まりをするのはいいんでしょうね。警察官が『ここは、ついこの間も、事故で死亡者が出たところで、本当に危険なところなので、ここはスピード出さないようにしてください。たまたま出ていましたので、取り締まりをさせていただきました』と言ったら、普通の人は『そうか、申し訳ないな』、『仕方ないな』と思うんですよ。だから、そういう取り締まりが必要だということを言っているんです」と述べた。
警察庁は、FNNの取材に対し、「交通違反の取り締まりは、事故抑止に資するために行っていて、普段から、場所や実態について見直しを行っている」としたうえで、取り締まりの見直しについて、県警本部から報告を求め、取りまとめをしている段階だと説明している。


とのこと。
よく言ってくれました。
古屋国家公安委員長の勇気と実直さを称えたいと思います。

僕自身分からない事があります。それは何を基準に道路の制限速度を決めているのでしょうか?
一般的に見て制限速度の設定は低過ぎると思います。
普通の人はみんなそういう風に思っているのではないでしょうか?証拠に制限速度以下で走っている車はほぼ居ないでしょ。

 今行われている交通規制は警察官が取り締まりしやすいようにしてあります。真っ直ぐで誰が見ても安全な道は追い越し禁止の事が多いです。山道では遅い車を抜くことが出来る直線が追い越し禁止で、カーブが続いてとても追越が出来ないようなところが白線です。また、直線でも不自然に低い制限速度に設定されていたりすることもあります
 僕らが良く使う高速道路でも制限速度が100km/hになったり80km/hになったり。100km/hで走って来た車が80km/hに一斉に入ったら渋滞するに決まってるじゃないですか!
 そんな事はお構い無しに勝手に交通規制を作っている組織は低次元過ぎて素直に言うことを聞こうなどという気持ちにはなれないと思います。
 それと流れに添えない車はとても危険です。本人はいたって普通に運転しているのでしょうが、周りの車がイライラしているのを良く見ます。そういう風にイライラさせられたドライバーがその後普通に運転するとは思えません。要はその後イライラさせられたドライバーは事故を起こしたり警察に捕まったりするのです。ですから、こういう流れに添えないドライバーを取り締まる規則も作ってくれたら事故は減るのではないでしょうか?

それと信号機と一方通行が多過ぎて渋滞ばかりです。信号機はその必要を感じない所にも沢山設置されていますし、一方通行だって作るよりすれ違いが出来る道路幅があるのなら中央分離帯をつけて流れを良くする方がドライバーのイライラは減るはずです。

 また古屋国家公安委員長が言っている上記しているような(取り締まっている警察官が)『ここは事故が多いですから』とか『ここはつい先日事故があった』とかは嘘であることが多いです。自分(警察官)たちの都合で取り締まっているのですから嘘であることが多いです。その言葉に不審を感じたら是非そのまま警察署に行ってその根拠を見せてもらってください。そして事実が異なっていたら大騒ぎしてあげてください(笑。

 それよりやはり危ない所や事故が多い所は決まっています。そしてそれは我々ドライバーから見ても分かるものです。
 我が家の近所の道路が新しくなりました。今までは普通のY字路だったのですが、道路を新しくした時に無理に直角に近い角度の交差点にして信号機が付きました。周辺住民は信号が無い以前のY字路の方が安全だったと口を揃えています。僕もそこを通るたびにストレスを感じています。

 警察官が隠れて取締りをしていたりすると悲しくなります。その警察官の汚い心が見えてしまうからです。交通の警察官は事故を減らすのが目的で仕事です。検挙して点数を稼ぎ、反則金を稼ぐのが仕事ではないはずです。ですから隠れる必要などまったくないのです。スピードを出してきた人が『あ!おまわりさんが居る。スピードを落とさなくちゃ。気をつけなくちゃ!』と思ってくれたらそれで目的は達成されているのです。

 いずれにしても国家公安委員長という立場の人がこういうことを言ってくれたことに感謝すると共に、その勇気を称えたいと思います。

最後に『警察庁は(中略)県警本部から報告を求め、取りまとめをしている段階だと説明している。』とのこと。
 誰が考えても警察庁はFNNニュースの方に嘘をついてますね。報告を求めている段階と取りまとめをしている段階が同時である事はないでしょう。報告を求めている段階ならまだ取りまとめは出来ないでしょう。ですからその段階であれば警察庁が県警本部に報告を求める書類を見せてもらわなくちゃ。そして、もしとりまとめをしている段階だったら県警本部からの報告書を見せてもらわなくちゃ。多分両方無いでしょうけど。

こんな事で日本の交通事情が良くなるはずはありませんね!

現在の交通事情に夢はまったく感じられません。こんな事を言っている警察庁のTopや幹部が全員変わって彼らの意識改革がない限りは。


ジャコウアゲハ

2013年06月02日 08時28分30秒 | その他
5月24日、犬の散歩に行った際に出会ったジャコウアゲハの雌と思われる蝶です。
草むらの下の方でじっとしていたので、僕も草むらにもぐって撮影しました。
客観的に見たら挙動不審な変態オヤジに見えるでしょうネ。
産卵後なのか?触角も折れ、羽も欠けていました。
写真しか撮らないので本当にジャコウの匂いがするのか?は判りません。でもウマノスズクサがあったことからも多分ジャコウアゲハでいいのではないかと思っています。

Wikipediaによると
ジャコウアゲハ類が食べるウマノスズクサ類は、毒性のあるアリストロキア酸を含み、ジャコウアゲハは幼虫時代にその葉を食べることによって、体内に毒を蓄積する。この毒は一生を通して体内に残るため、ジャコウアゲハを食べた捕食者は中毒をおこし、遂には捕食したものを殆ど吐き出してしまう。一度ジャコウアゲハを捕食して中毒を経験した捕食者は、ジャコウアゲハを捕食しなくなる。

・・・とのこと。最強じゃないですか!
ところが最近彼らもヤバくなってきているようです。それはホソオチョウという蝶が勢力を拡大してきているらしいのです。ホソオチョウはもともと日本には生息しておらず、1970年代以降日本各地で局地的に発生が確認されている外来種です。迷蝶として入ってきたか人為的なものなのか?は判りませんが、飛翔能力が低いため、現在までに生息が確認されたことのある地域は違法な放蝶といった人為的手段で分布を広げたものと考えられているそうです。このホソオチョウの食草がジャコウアゲハと同じウマノスズクサなのです。ですから餌をめぐっての生存競争が発生し、実際にホソオチョウが多数生息する地域では、ジャコウアゲハの生息密度が低くなっていることが確認されているという報告もあります。

幸いにして僕がジャコウアゲハを見たところでホソオチョウは確認しておりませんが、在来種好きの僕にとって、出来たらホソオチョウが出現しないことを祈っています。

総ての動植物は太古の昔から一番安定する生態系を作って来ました。それを我々人間が一瞬で壊している現実が多々見受けられます。このジャコウアゲハの例でもホソオチョウという綺麗な蝶を誰かが放蝶した可能性が高いということです。同様に川や湖、はたまた海への魚類の放流も同様に一瞬にして安定した生態系を破壊する行為です。自分たちの私利私欲のために自然から何億年もの時間を奪うことの愚かさに気づいていない人が居るという事は悲しいことです。
 僕の大きな夢。それは自然はそっとしておいてもらいたいということ。つまり、人は私利私欲を持って自然に関与しないことです。『自然』とは人が関与していない事です(←ここ大切です)。ですから行政や知ったかぶりの人がよく口にする『自然保護活動』とか『自然保護事業』などという言葉は馬鹿気ていてお話になりません。こういう言葉の裏には必ず私利私欲が存在することくらいは見抜く必要があります。

 人が手を加えないこと。そうすればまた何億年か後にはバクテリア叢までの安定した新たな生態系が出来上がってくれるでしょう。