遠山品右衛門 1851年(嘉永4年)5月18日 - 1920年(大正9年)8月28日)
もうすぐ命日なので読み返してみました。l
この人は主に明治時代に活躍した黒部の職漁師。上條嘉門次、小林喜作などのように華やかな人生ではなかったものの、山を愛して黒部川本流と針ノ木谷の合流点(現在は黒部ダムによって出来た黒部湖に沈んだ)に小屋(平の小屋)を建て、ときおり里に下りてイワナやカモシカなどの獲物を売る生活をしていた。本名(戸籍)は里吉ということですが、これは父が息子には厳しい山ではなく、里で食って行ける事を願って付けた名前。しかし、本人は山に生きたくて勝手に品右衛門と変名していた。一度だけ上高地の嘉門次とも合っている。
この本はその人の事について書かれている本です。とても面白くて一気読みになるのですが、今回二度目を読んで著者の甲山五一氏のフィクション部分がわざとらしく思えて来ました。でも、テンカラをやる人でしたら職漁師の生活ぶりが良く解る一冊だと思います。この本に写真がありませんが、品右衛門の毛鉤は大町山岳博物館に現存しており、それはまさに僕が良く使う『毛虫』に似てます。もし時間があったらご覧になって下さい。ただ、この本によるとボディーがないハックルだけの毛鉤がメインだって書かれていますので、この毛鈎は実際に使っていたの物とは別物の可能性があります。
いずれにせよ、山からの恵みを頂いて生活していた人には魅力を感じます。
もうすぐ命日なので読み返してみました。l
この人は主に明治時代に活躍した黒部の職漁師。上條嘉門次、小林喜作などのように華やかな人生ではなかったものの、山を愛して黒部川本流と針ノ木谷の合流点(現在は黒部ダムによって出来た黒部湖に沈んだ)に小屋(平の小屋)を建て、ときおり里に下りてイワナやカモシカなどの獲物を売る生活をしていた。本名(戸籍)は里吉ということですが、これは父が息子には厳しい山ではなく、里で食って行ける事を願って付けた名前。しかし、本人は山に生きたくて勝手に品右衛門と変名していた。一度だけ上高地の嘉門次とも合っている。
この本はその人の事について書かれている本です。とても面白くて一気読みになるのですが、今回二度目を読んで著者の甲山五一氏のフィクション部分がわざとらしく思えて来ました。でも、テンカラをやる人でしたら職漁師の生活ぶりが良く解る一冊だと思います。この本に写真がありませんが、品右衛門の毛鉤は大町山岳博物館に現存しており、それはまさに僕が良く使う『毛虫』に似てます。もし時間があったらご覧になって下さい。ただ、この本によるとボディーがないハックルだけの毛鉤がメインだって書かれていますので、この毛鈎は実際に使っていたの物とは別物の可能性があります。
いずれにせよ、山からの恵みを頂いて生活していた人には魅力を感じます。