あしたの食卓を創るブログ

おいしい笑顔を未来へ紡ぐため頑張っています!

負けられない戦い③

2021-03-14 13:04:27 | 日記

社内ベンチャーとはつくづく侘しい存在だ。

運営側の視点、そのメリットはなんと言っても、親会社のブランド活用、サポートがあることだろう。

スタート時は大きなメリット。

そしてメリットの裏返しの「制約」が最大のデメリット。

所詮、既存の制度・考え方の中で新しい事を行う不自由さ。

ゴムボール野球をプロ野球ルールで行うようなもの。

成長期には大きなデメリット。

つまり会社の設立は容易だが、事業運営は難儀する。

はじめは易しいが、継続が難しい。そして成功するにつれ大きなジレンマが生じる。

成功しても「親会社のおかげ」、失敗すれば「おまえのせい」。誰にも認められない。

成功しても「報酬は変わらない」。失敗すれば「失敗者の烙印」。報われることもない。

はじめの一歩のサポートを得たことの代償は「成長するほど」年々大きくなっていく。

この誰からも認められない苦しい矛盾だらけのなかで、自分たちの存在意義は何なのか?ずっと考え続けている。

自分だけでなくジョインしてくれた仲間たちの為にも、ここ数年その存在意義を明確にしたいと考え続けてきた。

④に続く・・

 

 

 

 

 

 

 


負けられない戦い②

2021-03-13 13:10:21 | 日記

独立、起業を目指すも、無一文リスクを排除し選んだ社内ベンチャーという道。

会社設立手続きなどDNP本社から手厚いサポートいただく一方、肝心の事業は自ら切り拓こうにも妨害すらされるマイナス状況。

そんな状況、絶対負けられない中で考えたこと・・それは「自らの能力で差別化できれば負けない」ということだった。

DNP営業時代の得意先提案時に企画部門の人間が外注に作成させた企画書を良く把握しないまま提案し、なんとも情けないと感じていた。

1990年代後半はまだ良い時代で仕事は多く、いかに捌くかと言う時代だったのだろう。質でなく数。利益より売上。他の競合も似たり寄ったりだった。

それでも仕事は自己実現と考えていた私は我慢がならず、それならば・・と自分で企画書を作成し、自らプレゼンをする習慣が身についていた。

自らの原体験に基づいていたから、ビジネスモデルには自信があった。だから自分で全てこなそうと思った。

世の中にないものを自らの感性と経験で創り上げ、自ら営業し、自ら企画提案し、自ら担当する。そうすれば私の代わりはいないと思った。

自分の、そして会社の価値が守られると思った。社会から認められれば簡単には真似られないと考えた。だから倒れるまで努力した。

それまでの実績や人脈は全て捨て(というか絶縁されてた)、他の起業家と同様に全て自分で考えぬき、自らの足で、散々馬鹿にされながらも

ビジネスモデルを具現化していった。そのような活動をしていると、グループ内外で見ていてくれる人はいてくれて支援いただける方がでてきた。

*今までも起業後の事は書いてきたので詳しくはそちらを見ていただければと思います。

今回私がこの内容を書いたのは、私がなぜ個の感性や努力を求めるのか?の原点を改めて示したかったから。

この先、会社の形態が変わり、仕事も変わる。言われたことをやるだけならAIに置き換わる。

そんな不透明な時代を生き抜くには、自らの能力を高め、自分にしかできない仕事をしていくことが重要。

だから自己研鑽を怠らないでほしい。常に高いレベルの人たちと仕事をすることで刺激を受けてほしい。

そのことがこの会社を成長させ、守ってきた。これからも原点として引き継いでいきたい。

17年成長が続いてきたのは、会社として統計情報、トレンド情報、リサーチ、共通資料など充実した基盤を活用し

先人の背中と手本を見ながら、個が感性を活かし新たな創造的活動を目指してきたからだ。しかし昨今、その意識が薄れている。

その結果がコロナ禍はあったが、初めて自らの目標達成できないことにつながったと痛感している。

(前年並み・・健闘と思う人もいるかもしれないが、自ら立てた挑戦目標に負けることが私はとても悔しい)

今一度アットテーブルが目指す、自らの意思で、当事者意識を持ち「自分の仕事」として取り組んでほしいと切に願っている。

そのことが皆さんの将来を切り拓いていくと確信している。支援は惜しまない。挑戦してほしい。

今期の手痛い経験を来期に絶対活かす。絶対負けられない戦いとなる。

 

 

 

 


負けられない戦い①

2021-03-12 10:36:33 | 日記

32歳、独立を志す。

が、すでに奥さんと小さい子どもが2人いて、それなりの報酬を得ていた。

本心を言えば自由にゼロから勝負したかったし、何の営業でも食べていく自信もあった。(蓄えはなかったが)

それでも奥さんや子どものことを考えると「絶対に失敗できない」。

だから社内ベンチャーという道を選んだ。安易だが失敗しても雇用は保障される。家族は守れる。

考え続け現在のビジネスモデルをDNP本社に提案し道が拓けた。無我夢中だった。

ただDNP本社のありがたい起業支援と失敗できる挑戦という大変恵まれた環境の引き換えは過酷だった。

肝心の事業には「おまえにできるわけない」「裏切り者」「恩知らず」「卑怯者」・・。

心の中であてにしていた誰も協力してくれなかった。いまだからこそ言えるがかなりの妨害に悩まされた。

私の事業は多くの社内ベンチャーが「以前の部署でやっていたことを切り出す」のではなく「本当のゼロ」からのスタート。

(このことが社内ベンチャーのほとんどが失敗する原因を避けられたのだが、その当時は本当に辛かった)

誰にも頼ることのできない、むしろマイナス環境のその先の失敗は目に見えていた。

「絶対失敗できない」からこの道を選んだのに「失敗」したら

たとえ雇用は保障されていたとしても「無謀な失敗者」として何十年も歩まねばならない。家族に顔向けできない。

(今になればDNPは失敗しても再挑戦できる懐深い企業だと思いますが、当時はそんなこと知るよしもない)

そのときに自分の甘さを思い知った。結局これも「絶対に負けられない戦い」だと。しかも独立より状況は悪い。

そのときから夢見てた大きな成功は頭から消し去り、小さくても必ず勝つにはどうしたら良いかを考え続けた。

 

 

 

 

 

 


意識改革を成し遂げるために

2021-03-10 11:01:03 | 日記

様々な改革を推進していく中で、自分の想いと現実の格差を知るほど寂しいことはない。

みんなの何気ない言葉に一人落ち込む日々が続く。

17年会社を成長させてきたが、その意識については自分の理想と遠いと痛感する。

全ては私の責任。それでも会社の将来のためには意識改革を続けなくてはならない。

そしてその鍵は「信念」でしかない。その部分でつながれないならばこの会社の意義はない。

だからこそ自分の考えを伝え続けるしかないと考えている。

現況に甘えず、個それぞれが自己研鑽を積み、共に改善と挑戦の継続ができる自発的チームにしたい。

そこにたどり着くまでにはもっと自分の研鑽が必須であり、長期の挑戦となる。

高い理想と日々の現実に苦しみながらも確固たる信念で進めるしかない。

 

 


仕事に対する考え方

2021-03-09 17:34:38 | 日記

人それぞれだからこそ考え方を伝えあうことが大事。

家族の為、生活の為、自分の為、社会の為、国の為、贅沢の為、趣味の為・・人それぞれ理由はあれど

仕事しやすい環境や成果を出せる環境であることがNGな人はあまりいないのでは。

違いを認めあうことが第一歩。そして違いを互いに認め合うための対話が大事。

ダイバーシティ。欧米をそのまま真似るのではなく、日本に合わせた取組が大事だと感じている。

この世界の変容の先に日本的な価値観に世界が追随する時代になるとぼんやりと考えている。