2013年度のスポーツ推薦入試の合格者が発表されました。
野球部の合格者は、次の4名です。
石井一成くん(作新学院、遊撃手、180センチ、75キロ)
黄本創星くん(木更津総合、右投手、182センチ、82キロ)
竹内諒くん(松阪高校、左投手、180センチ、81キロ)
中澤彰太くん(静岡高校、外野手、176センチ、76キロ)
彼らを何度か東伏見で見かけましたが、体格に恵まれ、肩や脚力などの基礎的な運動能力に優れた選手たちという印象です。
自宅が東伏見から近いわけではないので、本格的な練習参加は来年2月ごろからになるのではないかと思います。
とはいえ、今年の吉永くん、茂木くんのロケット・スタートを見るにつけ、東伏見の練習への早期合流が如何に有効かが分かります。
機会を活かして、少しでも早く大学の野球に馴染んで、着実に成長してくれたらと思います。
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ラグビー部では、桑野くん(筑紫高校、LO)、中島くん(流経大柏、WTB/FB)
競走部の長距離では、浅川くん(西脇工業)、鈴木くん(新居浜西)、平くん(豊川工業)、箱田くん(世羅高校)が合格しました。
特に、競走部の顔ぶれは強力だと思います。
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さて、来月16日、ついに衆院選が行われることになりました。
この選挙を通じて、新しい政権が誕生することは間違いありません。
しかし、どの政党が第一党になるにしても、それは新しい秩序を模索する、更に混沌とした政治状況の幕開けという予感がします。
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現在の政治で私が最も気になっている点は、ナショナリズムの高まりです。
およそナショナリズムが高まる背景は、政治的に、あるいは経済的に、追い詰められた弱者の集団が生み出す負のエネルギーの発露だと言う見方があります。
すなわち、個人が、自らの弱さを「国家」という強者に託して、補完しようという意識だというわけです。
日本におけるナショナリズムの高まりも、日本人が政治的に、あるいは経済的に、自らの弱体化を感じていることが背景にあるということでしょうか。
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今回、東京都知事から転じて再び国政に打って出ようとする石原慎太郎さんも、ナショナリズムを刺激する発言を重ねることで、世間の注目を集める政治家の1人です。
この石原慎太郎さんの都知事時代の仕事ぶりに、私は全く感心することができません。
土壌汚染のある土地に築地市場の移転を計画する
東京への五輪誘致活動に巨費を投じる
素人考えで新銀行東京を設立し、不良債権の山を築いた
そして、全て途中で投げ出してしまう無責任さ。
こんな政治家が脚光を浴びるという現実に、私は落胆してしまいます。
私なりに考える理由の一つには、日本人の多くが、ムラ社会的な発想から脱却できていないことがあると思います。
例えば、次のような発想です。
「強いリーダーに支配してもらった方が、楽でいい」
「難しい決定は誰かに委ねて、自分は難しい決定に関わらずにいたい」
「仲間の誰かが不幸になる決断は、自分ではやりたくない」
こういうスタンスの人たちにとっては、石原さんが魅力ある政治家に見えるのでしょう。
そのメカニズムを本能的に嗅ぎとっているマスコミは、「石原都知事の記事は売れるぞ」と踏んで、常に石原さんを取り囲み、彼の刺激的な発言を大歓迎して、文字や映像にする。
その様子を海外から見ると、石原さんが日本の代表的なオピニオンリーダーであり、日本の世論全体が右傾化していると映るのです。
何と罪深いメディアなのでしょうか。
そして、ムラ社会の発想から脱却できない国民も同罪です。
将来世代のために、自らが変革の痛みを許容する、
そんな成熟した国民でありたいと私は思います。
野球部の合格者は、次の4名です。
石井一成くん(作新学院、遊撃手、180センチ、75キロ)
黄本創星くん(木更津総合、右投手、182センチ、82キロ)
竹内諒くん(松阪高校、左投手、180センチ、81キロ)
中澤彰太くん(静岡高校、外野手、176センチ、76キロ)
彼らを何度か東伏見で見かけましたが、体格に恵まれ、肩や脚力などの基礎的な運動能力に優れた選手たちという印象です。
自宅が東伏見から近いわけではないので、本格的な練習参加は来年2月ごろからになるのではないかと思います。
とはいえ、今年の吉永くん、茂木くんのロケット・スタートを見るにつけ、東伏見の練習への早期合流が如何に有効かが分かります。
機会を活かして、少しでも早く大学の野球に馴染んで、着実に成長してくれたらと思います。
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ラグビー部では、桑野くん(筑紫高校、LO)、中島くん(流経大柏、WTB/FB)
競走部の長距離では、浅川くん(西脇工業)、鈴木くん(新居浜西)、平くん(豊川工業)、箱田くん(世羅高校)が合格しました。
特に、競走部の顔ぶれは強力だと思います。
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さて、来月16日、ついに衆院選が行われることになりました。
この選挙を通じて、新しい政権が誕生することは間違いありません。
しかし、どの政党が第一党になるにしても、それは新しい秩序を模索する、更に混沌とした政治状況の幕開けという予感がします。
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現在の政治で私が最も気になっている点は、ナショナリズムの高まりです。
およそナショナリズムが高まる背景は、政治的に、あるいは経済的に、追い詰められた弱者の集団が生み出す負のエネルギーの発露だと言う見方があります。
すなわち、個人が、自らの弱さを「国家」という強者に託して、補完しようという意識だというわけです。
日本におけるナショナリズムの高まりも、日本人が政治的に、あるいは経済的に、自らの弱体化を感じていることが背景にあるということでしょうか。
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今回、東京都知事から転じて再び国政に打って出ようとする石原慎太郎さんも、ナショナリズムを刺激する発言を重ねることで、世間の注目を集める政治家の1人です。
この石原慎太郎さんの都知事時代の仕事ぶりに、私は全く感心することができません。
土壌汚染のある土地に築地市場の移転を計画する
東京への五輪誘致活動に巨費を投じる
素人考えで新銀行東京を設立し、不良債権の山を築いた
そして、全て途中で投げ出してしまう無責任さ。
こんな政治家が脚光を浴びるという現実に、私は落胆してしまいます。
私なりに考える理由の一つには、日本人の多くが、ムラ社会的な発想から脱却できていないことがあると思います。
例えば、次のような発想です。
「強いリーダーに支配してもらった方が、楽でいい」
「難しい決定は誰かに委ねて、自分は難しい決定に関わらずにいたい」
「仲間の誰かが不幸になる決断は、自分ではやりたくない」
こういうスタンスの人たちにとっては、石原さんが魅力ある政治家に見えるのでしょう。
そのメカニズムを本能的に嗅ぎとっているマスコミは、「石原都知事の記事は売れるぞ」と踏んで、常に石原さんを取り囲み、彼の刺激的な発言を大歓迎して、文字や映像にする。
その様子を海外から見ると、石原さんが日本の代表的なオピニオンリーダーであり、日本の世論全体が右傾化していると映るのです。
何と罪深いメディアなのでしょうか。
そして、ムラ社会の発想から脱却できない国民も同罪です。
将来世代のために、自らが変革の痛みを許容する、
そんな成熟した国民でありたいと私は思います。