外苑茶房

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敦賀の話題

2012-12-10 21:53:58 | 社会全般
新聞各紙によれば、日本原子力発電敦賀原発(福井県)の敷地内の断層を調査している原子力規制委員会が本日、原子炉建屋直下を通る断層は活断層の可能性が高いとの意見で一致したとのこと。

国のルールでは活断層の真上に原子炉建屋を建てることを認めていません。
しかし、記事によれば、敦賀原発の敷地内には1、2号機の原子炉建屋直下を含む約160の断層があり、さらに、活断層の「浦底断層」が原子炉建屋の約200メートル東を通るというのです…

今になってみれば、どうして許可が下りたのか理解に苦しむような場所で、原発が運転されていたということになります。

日本のエネルギー事情を考えた時、ある程度は原発に依存しなければやっていけないという見方にも十分な説得力があります。
しかし、このような原発だけは再稼働させるわけにいかないでしょう。

そうなると、これから気の遠くなるような長い時間をかけて廃炉作業を行うことになります。
これまでに投じられた巨額の建設資金が無駄に終わるだけでなく、途方もない廃炉費用が今後必要となり、これまでの雇用が失われ、危険な廃炉作業に置き替わるわけです。

何たる社会的損失でしょうか。
どのような力学が働いて、このような場所に原発が誘致されたのか私は知りませんが、その判断に関わった関係者は、きっと誰一人、責任を問われないのでしょう。

刑務所に入れとまでは言いませんが、公職剥奪ぐらいはあってもよいように私は思うのです。
(`へ´)
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ところで、「敦賀」という地名に、私は特別な響きを感じます。

それは、ボート・トレイン。

かつて旅客機が飛んでいない時代、海外への旅行者を、都市から港まで運ぶために運行されていた列車のことです。

ボート・トレインは、1912年(明治45年)に、敦賀からロシアのウラジオストクまでの航路に接続する形で、東京駅から金ヶ崎駅(現・敦賀港駅までの間を走った列車が創始だったと言われています。

その名も、「欧亜連絡列車」
何とも言えないロマンを感じるではありませんか!!

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この敦賀-ウラジオストクを皮切りに、次の港にも、東京や大阪からボート・トレインが運行されたそうです。

横浜港-サンフランシスコ
新潟港-満州国・新京(現在の長春)
神戸港-ヨーロッパ
長崎港-上海

現代に置き換えてみれば、敦賀が国際線の旅客機が飛び立つ国際空港であり、ボート・トレインが、国際線に搭乗するための乗継便であったと言えるでしょう。
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海外に向かった玄関口、希望の港であった敦賀。

今回は、原発の問題で、すっかりミソをつけてしまいましたが、この難局を克服して、再び希望の港としての輝きを取り戻していただきたいと、私は願うものであります。
Comment (1)
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