外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

郷里からの声援

2014-06-08 21:19:20 | 大学野球
地方の高校球児が早稲田や慶応の入試に合格し、地元新聞の記事になることは珍しくありません。

しかし、入学後に大活躍して地元紙に大きく取り上げられるというのは、滅多にあることではありません。

春季リーグで首位打者を獲得した武藤選手が、北國新聞に大きく取り上げられました。


写真は連盟HPから


北國新聞へのリンク

(北國新聞から引用)
一般入学の主砲が2冠 金沢出身・早大野球部の武藤選手

初めて首位打者となり表彰される早大の武藤選手(右)=神宮球場


 東京六大学野球リーグの打撃2冠に輝いたのは、スポーツ推薦でなく、難関の一般入学 を突破した金沢市出身の泉丘高OBだった。1日、神宮球場で行われた伝統の早慶戦。早 大4番の武藤風行(かざゆき)選手は全国の実力者が集結するチームで不動の4番にはい上がった。2冠獲得にも「次は秋季リーグで優勝を目指す」と雪辱を誓った。
 「武藤、頼むぞ」「お前しかいない」。試合直前、早大の選手が応援団で埋まった1塁 側スタンドに向かって整列すると、主砲へのげきが飛んだ。

 期待通り、武藤選手は先制のタイムリーヒットを含む3安打と活躍した。試合後「(負 けて)悔しいけれど、3万人を超える観衆の前で優勝を懸けて戦えたのはいい経験になっ た」と語った。

 一方で「甘い球を打つことに徹したけれど、もっとチームに貢献できるバッティングを しなければ」と反省。打率と本塁打の2冠には「打点王を取れなかったのは、もっと努力 しろということ」と受け止めた。

 武藤選手は金大附属小の時に野球を始め、金沢泉野フレッシャーズに入った。夢は甲子園に行くことだった。泉丘高では1年生からレギュラーで活躍したが、3年夏の県大会ベ スト8が最高だった。卒業後は野球から離れるつもりだったが、どこか不完全燃焼の思い が消えなかった。

 「死に物狂いで野球に打ち込んだら、自分はどこまで行けるのだろう」。そんな思いがわき、伝統ある六大学への挑戦を決めた。早大を選んだのは「実力があれば試合に出られ るというチームの強い方針を感じたから」と振り返る。

 「自分への挑戦」と決めた早大では、「常に向上心を持って、1日1日を大切に練習に 取り組んできた」と自負する。筋力トレーニングで体重は入学時から10キロ増の75キ ロになった。甲子園常連校の出身者が多いなか、3年春にベンチ入りし、秋にレギュラー を獲得。4年春から4番に定着した。ベンチ入りメンバーで唯一の一般入試入学だった。

 閉会式で武藤選手が首位打者として表彰されると、静まり返っていた早大の応援席が再 び「武藤コール」で沸いた。

 早大選手の首位打者は、米大リーグ・ロイヤルズの青木宣親外野手や阪神の鳥谷敬内野手、金沢市出身で元オリックス選手の由田慎太郎さん、古くは阪神などで活躍した岡田彰布、金森栄治(金沢学院東高監督)の両氏ら、そうそうたる顔触れが並ぶ。しかし、武藤選手はプロに進む考えはなく、「野球は大学で終わり。もともと高校までのつもりだった 」と語る。社会人チームからの誘いも断っているという。

 石川県の恩師らは「陰の努力家だった」と、教え子の快挙をたたえた。

 武藤選手は金大附属中に進学し、野球は硬式野球チームの石川ウイングスで続けた。チ ーム代表の村山和光さんは「3冠を逃し残念だが、立派というしかない」と喜んだ。

 村山さんは、在籍した当時を「野球の素質があり、チーム内では特別賢かった」と振り返った。強豪がそろう大阪の大会で初勝利を決めるホームランを記録するなど大舞台に強かったといい、「頑張り屋で、頼れる主将だった」と懐かしんだ。

 泉丘高は強豪校でないため、武藤選手は無名に近かったが、長打力は県内トップクラス と言われるまでに成長した。北本正伸監督は「体力が抜群、足も速く、筋力も瞬発力もずばぬけていた」と評し、「野球が強い私立校に入学していれば頭角を現していたはず」とみる。

 この冬、武藤選手は母校を訪問した際、現役部員を励ました。北本監督によると、武藤選手は「早大といえど、全員がスーパースターの道を歩んできたわけではない。努力で地位を築いてきた人もいる」と心強い言葉を贈ったという。
(引用終わり)

関係者への幅広い取材は、さすが地元紙。
教え子の活躍を我がことのように喜こぶ指導者の皆さんの笑顔が、目に浮かぶようです。

なお、記事に登場する歴代の首位打者たちのうち、青木宣親選手(宮崎県立日向高校出身。現在はカンザスシティ・ロイヤルズ)、由田慎太郎選手(神奈川 桐蔭学園高校出身。現在はオリックス球団スカウト)の二人も、高校時代に学業でも優秀な成績を残し、指定校推薦で早稲田に入学してきた努力家でした。
石川県出身の金森選手(PL学園出身。元西武ライオンズ他)も早大在学中に教職課程を修了して高校教員免許を取得した努力家でした。
岡田選手(北陽高校出身)は一年生秋から、春の武藤くんのような打撃で7シーズン打ちまくりましたから、ちょっと別格。

こんな「無印良品」たちが入学後に成長して、高校時代からドラフト候補と騒がれてきた選手たちに負けない結果を出す。
大学野球ファンにとって、これほど痛快なことはありませんね。
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