関東大学ラグビー春季大会 早大vs.流経大という注目の一戦は、35対34(前半35対17、後半0対17)、僅か1点差で辛うじて早稲田が勝ちました。
早稲田のトライ数は5で、流経大の6に及びませんでしたが、トライ後のゴール数で上回りました。(早稲田5、流経大2)
とりあえず、勝てて良かったと思います。
今は、新入部員を迎えて、新しいチームを1から作っていく時期。
そして、 あくまでも目標は、この冬に帝京大学を倒すことです。
昨年度は、大学選手権で早稲田は早々に敗退して年越しできず、かたや優勝した帝京はトップリーグのNECを相手に堂々の勝利をあげるという、とても衝撃的なシーズンでした。
帝京の背中は遥か彼方です。
今日の早稲田は、早くも3名の1年生がリザーブに入り、うち1名(宮里
FL,名護商工)が40分から途中出場しています。
これからは、伸びしろのある有力新人を積極的に登用して、早稲田ラグビーを再構築してもらいたいです。
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街中を走るクルマの主流が、コンパクト・カーやワンボックスとなっています。
エコロジーの時代。
実用本位のクルマが主流というのは、悪いことではありません。
でも、真面目過ぎて つまらないというか、何か物足りない感じがしなくもありません。
かつて、日産スカイラインとトヨタ・セリカがモデルチェンジを繰り返して「走りの良さ」を競い合い、若者が熱狂する
そんな時代がありました。
1957年発売の初代モデルは排気量1,500ccだったスカイラインですが、モデルチェンジを重ねるごとに大型化して、6気筒2,000ccのGTハードトップ、いわゆる「スカG」が一世を風靡しました。
1972年のことです。
そのスカイラインは、パワーと流麗なスタイルを見事に両立させており、CMソングになぞらえて「ケンメリ」と呼ばれました。
ツインカム搭載のGT-Rが最高峰でした。
しかし、1973年に最初の石油ショックが勃発。
併せて排気ガス規制も段階的に強化されることとなり、自動車メーカーはパワー競争を続けることが技術的に困難となりました。
それまでのパワー競争が有鉛のハイオク仕様が前提であり、ガソリン価格も安いので燃費を気にしていなかったからです。
そんな次代背景もあり、スカイラインはスポーティーなイメージは維持しつつも、ラグジュアリーで少し鈍重なクルマになりました。
1977年のことです。
このスカイラインは「ジャパン」と呼ばれることになりました。
ツインカム搭載モデルGT-Rは無くなりました。
そうこうしているうちに、排ガス規制を技術的に克服し始めたトヨタは、セリカにツインカム・エンジンを搭載して、スカイラインに挑戦状を叩きつけました。
「名ばかりのGTたちは道を明けろ」
パッシング・ライトを点滅させながら後方からセリカが迫ってきて追い越し車線に入っていくというCMは、スカイラインを挑発する、実に刺激的なものでした。
セリカの挑戦を受けたスカイラインは、1980年、ターボ搭載モデルを追加して立ち向かいます。
そして、それまでのムーディーなCMを一変させて、セリカと同様の「走り」を強調する硬派の内容となりました。
「今、スカイラインを追う者は誰か」と、あからさまにセリカを意識した内容でした。
そしてスカイラインは、1981年、クルマ好きで知られる俳優ポール・ニューマンを起用して、更に「走り」を強調する路線に。
ツインカム搭載モデルも復活しました。
このスカイラインは「ニューマン・スカイライン」と呼ばれました。
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最近のクルマのCMは、価格、収納、燃費などを強調するものが多くて、個人的には刺激がなくて、つまらないです。
たまには とんがったCMを見たいものだと、テレビの前でゴロ寝しながら思いました。
早稲田のトライ数は5で、流経大の6に及びませんでしたが、トライ後のゴール数で上回りました。(早稲田5、流経大2)
とりあえず、勝てて良かったと思います。
今は、新入部員を迎えて、新しいチームを1から作っていく時期。
そして、 あくまでも目標は、この冬に帝京大学を倒すことです。
昨年度は、大学選手権で早稲田は早々に敗退して年越しできず、かたや優勝した帝京はトップリーグのNECを相手に堂々の勝利をあげるという、とても衝撃的なシーズンでした。
帝京の背中は遥か彼方です。
今日の早稲田は、早くも3名の1年生がリザーブに入り、うち1名(宮里
FL,名護商工)が40分から途中出場しています。
これからは、伸びしろのある有力新人を積極的に登用して、早稲田ラグビーを再構築してもらいたいです。
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街中を走るクルマの主流が、コンパクト・カーやワンボックスとなっています。
エコロジーの時代。
実用本位のクルマが主流というのは、悪いことではありません。
でも、真面目過ぎて つまらないというか、何か物足りない感じがしなくもありません。
かつて、日産スカイラインとトヨタ・セリカがモデルチェンジを繰り返して「走りの良さ」を競い合い、若者が熱狂する
そんな時代がありました。
1957年発売の初代モデルは排気量1,500ccだったスカイラインですが、モデルチェンジを重ねるごとに大型化して、6気筒2,000ccのGTハードトップ、いわゆる「スカG」が一世を風靡しました。
1972年のことです。
そのスカイラインは、パワーと流麗なスタイルを見事に両立させており、CMソングになぞらえて「ケンメリ」と呼ばれました。
ツインカム搭載のGT-Rが最高峰でした。
"ケンとメリー~愛と風のように~ スカイライン CM (1972年)" を YouTube で見る
しかし、1973年に最初の石油ショックが勃発。
併せて排気ガス規制も段階的に強化されることとなり、自動車メーカーはパワー競争を続けることが技術的に困難となりました。
それまでのパワー競争が有鉛のハイオク仕様が前提であり、ガソリン価格も安いので燃費を気にしていなかったからです。
そんな次代背景もあり、スカイラインはスポーティーなイメージは維持しつつも、ラグジュアリーで少し鈍重なクルマになりました。
1977年のことです。
このスカイラインは「ジャパン」と呼ばれることになりました。
ツインカム搭載モデルGT-Rは無くなりました。
"スカイラインジャパンC210 CM" を YouTube で見る
そうこうしているうちに、排ガス規制を技術的に克服し始めたトヨタは、セリカにツインカム・エンジンを搭載して、スカイラインに挑戦状を叩きつけました。
「名ばかりのGTたちは道を明けろ」
パッシング・ライトを点滅させながら後方からセリカが迫ってきて追い越し車線に入っていくというCMは、スカイラインを挑発する、実に刺激的なものでした。
"セリカ A40系 後期CM" を YouTube で見る
セリカの挑戦を受けたスカイラインは、1980年、ターボ搭載モデルを追加して立ち向かいます。
そして、それまでのムーディーなCMを一変させて、セリカと同様の「走り」を強調する硬派の内容となりました。
「今、スカイラインを追う者は誰か」と、あからさまにセリカを意識した内容でした。
"nissan skyline 2000gt turbo ad" を YouTube で見る
そしてスカイラインは、1981年、クルマ好きで知られる俳優ポール・ニューマンを起用して、更に「走り」を強調する路線に。
ツインカム搭載モデルも復活しました。
このスカイラインは「ニューマン・スカイライン」と呼ばれました。
"1982 NISSAN SKYLINE Ad - 2" を YouTube で見る
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最近のクルマのCMは、価格、収納、燃費などを強調するものが多くて、個人的には刺激がなくて、つまらないです。
たまには とんがったCMを見たいものだと、テレビの前でゴロ寝しながら思いました。