スポーツビジネスやスポーツマネジメントに関心を持つ社会人を対象とする、ノンディグリーの教育プログラムの説明会が行われます。
プログラム自体は9月にスタートします。
日時:5月28日(月)19:00~[18:30開場]
場所:大隈講堂
ちなみに1期生の修了者は34名。
今回も 大勢の参加者が集まると良いですね。
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ラグビー部では、5月27日(日)に早慶戦(招待試合)があります。
会場は 山梨県甲府市の小瀬スポーツ公園。
東京からも熱いファンが大勢 駆けつけるのではないかと思います。
=====
私の育った目黒区の家の隣に、Tさんという家がありました。
京大出身のご主人で、2人の息子さんがいました。
長男は塾高から慶応大学、次男は都立戸山高校から やはり慶応大学に進学しました。
その次男坊の方は私より10歳ぐらい年上で、慶応大学のアメフト部でレギュラーとなり、関東学生選抜に選ばれるようなトップ選手でした。
ゴツい練習着が洗濯物としてズラリと干されていて、近所で「あの大きなシャツは子供なら2人 入るよ」と話題になったり。
駒沢競技場で 慶応の試合が行われる時は、近所の子供たちで誘いあって、自転車で駒沢に行って、Tさんを応援したものです。
試合終了後、「Tさ~ん!」と観客席から声をかけると、Tさんは笑顔で手招き。
私たちはグラウンドに入れてもらって、ヘルメットを被せてもらったり、アメフトのボールの投げ方を教えてもらったり。
思えば牧歌的な時代で、とても楽しい思い出となりました。
ちなみにTさんは、大学卒業後には大手の信託銀行に就職されました。
それから40年近くも経った頃、銀座にあった居酒屋「ようすけ亭」で飲んでいたら、居合わせたお客さんたちとアメフトの話題となりました。
私が「私の家の隣にTさんという慶応のアメフト選手がいたんですよ。よく遊んでもらったんです」と話したところ、「慶応のTなら知ってるよ」と言い出す人がいてビックリ。
その方は 黄金期の日大アメフトのレギュラーだった人で、会社を経営されていました。
お酒を飲みながら、有名な篠竹監督に鍛え上げられた思い出話をたっぷり聞きました。
たとえば、どんな弱い相手と対戦する時でも、常に日大はバリバリの一軍メンバーをスタメンにするのが篠竹監督のポリシー。
その代わり、最初のワンプレーだけでスタメンは交代し、そのワンプレーで必ずタッチダウンを取ることが監督からの絶対命令。
ですから、スタメンの選手たちは、どうやってワンプレーで得点するかと、必死に策を練ったそうです。
失敗すると厳しい罰練習が待っていました。
普段の練習でも、1日の練習が夕方に終わったとき、練習内容に篠竹監督が満足できない時には、準備運動から全ての練習メニューをやり直し。
その日の練習が終わったのは深夜になったと。
それでも その方は篠竹監督を心から尊敬されていました。
プログラム自体は9月にスタートします。
日時:5月28日(月)19:00~[18:30開場]
場所:大隈講堂
早稲田大がスポーツMBAセミナーを開催。スポーツ産業の人材育成めざす | フットボールチャンネル
ちなみに1期生の修了者は34名。
今回も 大勢の参加者が集まると良いですね。
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ラグビー部では、5月27日(日)に早慶戦(招待試合)があります。
会場は 山梨県甲府市の小瀬スポーツ公園。
東京からも熱いファンが大勢 駆けつけるのではないかと思います。
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私の育った目黒区の家の隣に、Tさんという家がありました。
京大出身のご主人で、2人の息子さんがいました。
長男は塾高から慶応大学、次男は都立戸山高校から やはり慶応大学に進学しました。
その次男坊の方は私より10歳ぐらい年上で、慶応大学のアメフト部でレギュラーとなり、関東学生選抜に選ばれるようなトップ選手でした。
ゴツい練習着が洗濯物としてズラリと干されていて、近所で「あの大きなシャツは子供なら2人 入るよ」と話題になったり。
駒沢競技場で 慶応の試合が行われる時は、近所の子供たちで誘いあって、自転車で駒沢に行って、Tさんを応援したものです。
試合終了後、「Tさ~ん!」と観客席から声をかけると、Tさんは笑顔で手招き。
私たちはグラウンドに入れてもらって、ヘルメットを被せてもらったり、アメフトのボールの投げ方を教えてもらったり。
思えば牧歌的な時代で、とても楽しい思い出となりました。
ちなみにTさんは、大学卒業後には大手の信託銀行に就職されました。
それから40年近くも経った頃、銀座にあった居酒屋「ようすけ亭」で飲んでいたら、居合わせたお客さんたちとアメフトの話題となりました。
私が「私の家の隣にTさんという慶応のアメフト選手がいたんですよ。よく遊んでもらったんです」と話したところ、「慶応のTなら知ってるよ」と言い出す人がいてビックリ。
その方は 黄金期の日大アメフトのレギュラーだった人で、会社を経営されていました。
お酒を飲みながら、有名な篠竹監督に鍛え上げられた思い出話をたっぷり聞きました。
たとえば、どんな弱い相手と対戦する時でも、常に日大はバリバリの一軍メンバーをスタメンにするのが篠竹監督のポリシー。
その代わり、最初のワンプレーだけでスタメンは交代し、そのワンプレーで必ずタッチダウンを取ることが監督からの絶対命令。
ですから、スタメンの選手たちは、どうやってワンプレーで得点するかと、必死に策を練ったそうです。
失敗すると厳しい罰練習が待っていました。
普段の練習でも、1日の練習が夕方に終わったとき、練習内容に篠竹監督が満足できない時には、準備運動から全ての練習メニューをやり直し。
その日の練習が終わったのは深夜になったと。
それでも その方は篠竹監督を心から尊敬されていました。