紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

タヌキババアをめざして。

2007-02-01 22:23:04 | 読書
 ぽつりぽつりと佐野洋子さんの『覚えていない』を読んでみた。随分以前の文章もあるエッセイ集である。

 佐野洋子さんとは、古い付き合いである。とっても薄い文庫本『私の猫たち許して欲しい』を読んだのが先だったのか、『本の雑誌』(まだ80年代前半は不定期刊!)に連載されていたエッセイ『アカシア・からたち・麦畑』が先だったのかは、忘れてしまった。
 ともかくも、えらく驚いてしまったのだけ覚えている。これは、すごいわ~。
 その後『100万回いきたねこ』を読んで納得。あんなすごいエッセイ書くひとなら、こんなすごい絵本も描けるんや。

 第1子であるTくんがお腹にいたときは、佐野洋子漬けの日々であった。そのせいか、大変にピュアで優しい少年である。かつ妹は兄の人物像を友達に説明する時、「謎に満ちた人やねん(でもオタクやないで)」と言っている。全然「お兄ちゃんって、どんな人?」の答にも説明にもなっていない。 

 ダイレクトにナマモノ。目の前にごろん、といのちが丸裸で投げ出されている。そんなエッセイや絵本の数々。いわゆる「感動して」というより、なんだかよくわからないけれど、呆然と涙が流れる感じになるときが、よくある。佐野洋子という人のエッセイもしくは絵本を読んでいると。

 『私は本当のタヌキババアになれるだろうか』というのは、心理学者、河合隼雄先生について語った短い文章のタイトルである。もちろん彼女にとって、河合隼雄先生はタヌキオヤジにほかならない。
 テレビで先生の不気味な目を見て彼女は恐れおののくが、先生が冗談をおっしゃりアハハと気を許すと、ふいに眼光鋭く本質を突かれるので、まったくもって、タヌキオヤジなのだ、と思う彼女。油断がならないヒトなのである。・・・なるほどなあ。

 佐野さんが河合先生とお会いして話す機会があったとき、こんな質問をされた。
「時々、私が何か言うと、男の人がタッとうしろにとびのくような気がする事があるんですけど」
「それは、佐野さんが本当の事をいうからですよ。男は真実がきらいなんです。世の中本当の事ばかりだと生きていけません」と河合先生は答えられたそうである。

 河合先生の本を読み、本当でない事とも共存して、佐野さんは本当のタヌキババアになれるのか? 残念ながら私には、真実に寄り添って生ききってしまう佐野さんしか想像できないのである。と言いつつ、密かにタヌキババアの座を狙っている私なのである。