紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

おばさんの条件

2007-02-20 21:57:26 | ノンジャンル
 今日、新聞を読んでいたら、自分が「おばさん」かどうかを知る方法がある、という投稿があった。おばさんの条件、それは「だれかれかまわず話しかける」ことらしい。

 主婦が出歩くお昼前後の時間帯に買い物をしていると、見知らぬ方から話しかけられることは、ままある。しかし、それは生活に疲れていたり、どうにも元気がでなかったりするときには、意外なくらい新鮮な風を吹き込んでくれるのだ。

 昨日、スーパーで生け花用に桃の花を買った。レジを終えてから、先に花だけ荷物を詰めるための台に置いたら、「あ、ここにだれか(忘れてはる)・・・」とお店の人に報告している50ばかりの主婦の方がいらっしゃった。
 「すみません、それ、おいてあるんです」と申し出ると「ごめんなさい、実は私もきのう、コロッケ忘れてしまって。思い出して取りに来たけど、もうなくなっていて」
 「私も」って、私は忘れたんじゃないんだって(笑) しかしながら世の中いうほど悪くないよね、と思う。こういう人が世の中に潤いをあたえるのだ。

 それから、もう3年以上前の話だが、おじいちゃんに尿取りパッドが必要になり、ドラッグストアで安売りをするときを狙って、大量に買い込んでいた。ひとつでも大変にかさばる商品なのに、2~3個買ったらカートもいっぱいになる。

 レジで計算をしてもらっている時に、となりで精算を済ませた、70才前くらいの小柄な主婦が、はっとして私をみつめていた。「介護されているんですか?」
「はあ、ほとんどおじいちゃんのお世話はおばあちゃんがしているので、買い物だけですけどね。杖があれば自分で歩けますし。」
「お若いのに・・・私もこの前まで主人の父を世話して、2ヶ月まえに看取りました。ほんとうに、大変でした。だから、あなたの気持はよーーく判ります! がんばって、くださいね!!」と手を握らんばかりに激励の言葉をいただいた。彼女はご自分の体験を甦らせたのであろう、感極まって目に光る物が。

 実際おじいちゃんのお世話は、おばあちゃんが24時間態勢でそばに待機してくださったおかげで、私はまったくしていない。薬をもらいにいったり、たまに病院に連れて行ったりするくらいだった。

 美しき誤解であるが、一期一会の出会いなので、誤解は美しいままがいい。「ありがとうございます」と彼女に合わせて感極まってみた。人にはそれぞれにドラマがあるのだ。

 おじいちゃんと最後に隣町の病院に行ったときは、お寿司屋さんに行きたいというリクエストにお応えして、病院の近くのちいさなお寿司やさんに連れて行った。そこで「うな重」を食べて、おじいちゃんは大変満足そうだった。やはり毎日家にいると、外でのご飯はうれしい。どんなに家のご飯が美味しくても。今しがた思い出した、私の中のちいさなドラマである。