私が初めて田辺聖子さんの本を読んだのは、高校生の頃の「文車日記」を読み古典の面白さに目覚めてしまった。もっとも、文法については結局最後まで判らずじまいだったが。「文車日記」は高校生のための古典入門としては、すでに定番だし、はずせない読み物であろう。
ところで、私はあまり田辺聖子さんの御著書を読んでいない。おそれおおい事を言ってしまえば、自分とキャラがかぶるような気がして、のめり込めなかったような気がする。
それでも『私本源氏』シリーズは、ちゃんと買って読んだ記憶がある。田辺さんによれば、「光源氏は京都人であるから、標準語(東京の言葉)でなく京都弁でしゃべっていたはずである」というコンセプトに沿って、京都の関西弁(大阪とは微妙に違う)をしゃべる光源氏が主人公になり、笑う笑う! 京都弁をしゃべる光源氏って、あたりまえといえばあたりまえなのに、そんなこと言われるまで誰がきづいたであろうか? もうこれだけで面白さに太鼓判である。田辺聖子さんの面目躍如たる舞台である。
しかも2巻目の「春の目覚めは紫の巻」で登場する、こまっしゃくれた若紫の君が、なんともいい! 源氏の「ちいさいお姫さん」のときから自分好みに育てれば、自分にぴったりくる女性に育ち上がるはず!という邪な!?計画を迄Mしまくるのだ。
無邪気なはずの「ちいさいお姫さん」が男女のあれこれをよーく知っていることに驚愕する源氏が、「なんでそんなこと、知ってはりますのや!?」と若紫に愕然と問うと、お姫さんは平然と「性教育です」とこともなげに言う。ここでは彼女の方が、源氏よりも3枚くらいは上手である。古典の授業で、色好みで浮気性な男にイライラしたりやきもきすることの多い女子高校生が、これでどんなに溜飲を下げただろう。
私にとって田辺聖子さんは、だんぜん古典の人なのだ。と、言える程には読んでいないのが、ちょっと残念だったりする。
ところで、私はあまり田辺聖子さんの御著書を読んでいない。おそれおおい事を言ってしまえば、自分とキャラがかぶるような気がして、のめり込めなかったような気がする。
それでも『私本源氏』シリーズは、ちゃんと買って読んだ記憶がある。田辺さんによれば、「光源氏は京都人であるから、標準語(東京の言葉)でなく京都弁でしゃべっていたはずである」というコンセプトに沿って、京都の関西弁(大阪とは微妙に違う)をしゃべる光源氏が主人公になり、笑う笑う! 京都弁をしゃべる光源氏って、あたりまえといえばあたりまえなのに、そんなこと言われるまで誰がきづいたであろうか? もうこれだけで面白さに太鼓判である。田辺聖子さんの面目躍如たる舞台である。
しかも2巻目の「春の目覚めは紫の巻」で登場する、こまっしゃくれた若紫の君が、なんともいい! 源氏の「ちいさいお姫さん」のときから自分好みに育てれば、自分にぴったりくる女性に育ち上がるはず!という邪な!?計画を迄Mしまくるのだ。
無邪気なはずの「ちいさいお姫さん」が男女のあれこれをよーく知っていることに驚愕する源氏が、「なんでそんなこと、知ってはりますのや!?」と若紫に愕然と問うと、お姫さんは平然と「性教育です」とこともなげに言う。ここでは彼女の方が、源氏よりも3枚くらいは上手である。古典の授業で、色好みで浮気性な男にイライラしたりやきもきすることの多い女子高校生が、これでどんなに溜飲を下げただろう。
私にとって田辺聖子さんは、だんぜん古典の人なのだ。と、言える程には読んでいないのが、ちょっと残念だったりする。