紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ゾロアスター

2007-02-24 22:54:32 | ファミリー
 もうずいぶん昔、夫・H氏がアメリカへの出張前に「宗教を聞かれたら、なんて答えるか?」という話をした事がある。「無宗教です、って言ったら白い目で見られるんちがうやろか?」「なんも信じとらんヤツは信用できひん、って思われへんやろか?」

 「そんなん『ゾロアスター教、信じてます』ゆうたらええやん」と(火を)拝む真似をしながら答えるH氏。「ゾロアスター教」! またの名「拝火教」! 高校のとき、世界史で習って以来聞く固有名詞や。日常会話に出て来ると、やたら新鮮な響きに聞こえる。

 そのときは当意即妙な冗談だと思っていたが、最近まんざら冗談でもないのかもしれないと思い始めた。うかつだった。薪ストーブ導入の頃から気づくべきだったのだ。ねこにまたたびのごとく、ただ薪ストーブの火を陶然と眺めて時間をすごすH氏。「拝火教」における涅槃の境地であろうか?

 私が薪ストーブに点火するときには、これがなってない、あれが違うと、まるでお茶のお作法のように手順を説明してくれる。自分が一から火を入れる時には、まるで儀式のようにうやうやしく薪を積んで行く。

 革手袋をしているとはいえ、平気で火の中に手を突っ込んだりするので、はらはら。ときたま素手で作業し、薪のささくれを指に入れてしまったりしている。キケンが一杯である。これももしかするとゾロアスター教の修行の一環なのだろうか?

 修行と言えば薪の調達そのものが、過酷な修行である。日常的に木を伐採しているところがないか、鵜の目鷹の目で過ごす。ラッキーにもそんな場所を発見したら、休日を返上して伐採された木を交渉の上譲り受け、即座に薪にすべく割って行く。それを自宅まで運び、積み上げ、乾燥させる。これを修行といわずして何と言おう(『ねにもつタイプ』での気に入ったフレーズなので使わせていただきました、岸本佐知子様)

 しかしこのような修行は一人ではとうてい無理である。仲間を募って特殊能力、機材、体力を分かち合いながら作業を進めるのだ。教団の始まりである。

 こうして薪ストーブ仲間を増やしながら、日本ゾロアスター教への勧誘も行っているのではないか? 2年以上乾燥させたヴィンテージものの薪と交換に、入信を迫っているのではないか? と、ふつふつと疑念は後から後から湧いて来る。

 薪ストーブ、たき火、キャンプファイアー、ロウソクに興味をお持ちの方は、くれぐれも御注意くださいね。