2月7日の朝日新聞朝刊の、テレビ欄裏/三面記事下の「青鉛筆」の話題である。
みうらじゅん著『とんまつりJAPAN』を読んでからというもの、一気に「祭り」というものにアンテナを立ててしまうようになった。
しかし祭りというものは、基本的に伝統行事であり神事なので、どんなにとんでもなかったり、とぼけていたり、意味不明だとしても、それなりに枠というか規定も存在する。その伝統行事や神事における枠というものについて、とっくりと考えさせられた記事であった。引用すると
石川県輪島市門前町の鬼屋神社で6日、約700年前から続くとされる「ぞんべら祭り」(県無形民俗文化財)があり、平均年齢75歳の4人の早乙女が豊作を祈願した。
まず「ぞんべら祭り」という語感にぞくぞくする。
「ぞんべら」・・・ほとんど妖怪の名前のように意味不明で奇々怪々な語感が、やたら楽しい。ぞんべら、ぞんべら・・・と唱えていると、いつしか目の前に天狗が現れそうな呪術的な響きがする。調べてみると、「ぞんべらは田んぼに水をぞんぶり(たくさん)の方言がなまったもの」だそうである。
しかし、なのだ。祭りに至るまでには、様々な人々の様々な苦悩が渦巻いていたようだ。
本来早乙女役は4歳から12歳頃までの女児。だが、過疎化が進み、地元に女児がいないうえ、若い女性のなり手もなく、「窮余の策」で白羽の矢を立てた。
少子化対策は「一人頭でタイムリミットまでに子どもを産むキカイをどれだけ持てるか」という目先のことだけ見ていたってしょうがない。労働状況や過疎化込みで広い視点で網羅する対策を立てなくちゃね。幅広く、かつ深く社会状況を分析出来る人でないと「対策」なんて夢のまた夢かも。
でも今年の平均年齢75歳、4人で299歳のおばあちゃんたちは、地域の文化を守るべく、曲がった腰を伸ばして立ち上がった。少女時代以来65年ぶりに早乙女を勤めた方もいらっしゃる。
これからは、伝統文化はカタチを変えて、それぞれの地域で守られてゆくのかもしれない。伝統の枠に縛られて消滅するよりは、生き残りを賭けて「女児=早乙女」という枠を越え、伝統に縛られず文化を守ってゆくのが「ぞんべら祭り」のスタイルになるのだろう。
みうらじゅん著『とんまつりJAPAN』を読んでからというもの、一気に「祭り」というものにアンテナを立ててしまうようになった。
しかし祭りというものは、基本的に伝統行事であり神事なので、どんなにとんでもなかったり、とぼけていたり、意味不明だとしても、それなりに枠というか規定も存在する。その伝統行事や神事における枠というものについて、とっくりと考えさせられた記事であった。引用すると
石川県輪島市門前町の鬼屋神社で6日、約700年前から続くとされる「ぞんべら祭り」(県無形民俗文化財)があり、平均年齢75歳の4人の早乙女が豊作を祈願した。
まず「ぞんべら祭り」という語感にぞくぞくする。
「ぞんべら」・・・ほとんど妖怪の名前のように意味不明で奇々怪々な語感が、やたら楽しい。ぞんべら、ぞんべら・・・と唱えていると、いつしか目の前に天狗が現れそうな呪術的な響きがする。調べてみると、「ぞんべらは田んぼに水をぞんぶり(たくさん)の方言がなまったもの」だそうである。
しかし、なのだ。祭りに至るまでには、様々な人々の様々な苦悩が渦巻いていたようだ。
本来早乙女役は4歳から12歳頃までの女児。だが、過疎化が進み、地元に女児がいないうえ、若い女性のなり手もなく、「窮余の策」で白羽の矢を立てた。
少子化対策は「一人頭でタイムリミットまでに子どもを産むキカイをどれだけ持てるか」という目先のことだけ見ていたってしょうがない。労働状況や過疎化込みで広い視点で網羅する対策を立てなくちゃね。幅広く、かつ深く社会状況を分析出来る人でないと「対策」なんて夢のまた夢かも。
でも今年の平均年齢75歳、4人で299歳のおばあちゃんたちは、地域の文化を守るべく、曲がった腰を伸ばして立ち上がった。少女時代以来65年ぶりに早乙女を勤めた方もいらっしゃる。
これからは、伝統文化はカタチを変えて、それぞれの地域で守られてゆくのかもしれない。伝統の枠に縛られて消滅するよりは、生き残りを賭けて「女児=早乙女」という枠を越え、伝統に縛られず文化を守ってゆくのが「ぞんべら祭り」のスタイルになるのだろう。