紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

乗り越えるチカラ

2008-01-07 16:27:44 | ファミリー
 今日もおばあちゃんのお見舞いに、午後から病院に行き、リハビリの様子を見学させてもらった。幸いおとといより、ずいぶん進化している模様。両手すりを使っての歩行訓練や、横たわって足を動かす練習などに入っていた。精神的にもずいぶん回復しているようで、笑顔もちらほら見受けられるようになった。

 最近の挨拶に「のだめ、みた?」というのが入って来ているかもしれない。今日、病院で看護士のお姉さん二人が廊下を歩きながら、そんな会話をされていた。『風と共に去りぬ』のスカーレット役がビビアン・リー以外にはありえないように、「のだめ(野田恵)」役は上野樹里以外、もう誰も考えられないだろう。きっと「のだめ、みた?」という文言が入っているメールも、最近は飛び交っているはずである(安易に断定)

 病院に行って改めて感心したのは、看護士さん、配膳担当(栄養士?)の方、リハビリを担当してくださる理学療法士の方が、それぞれ明るく、気さくで、人なつこいこと。

 最低限、患者さんと接する時には、明るい気持ちを持っていなければならない職業なのだと思う。ひとりで痛みと寂しさと苦しさと不安と退屈と不自由に耐えている患者さんに接するには、職業上必要なことなのだろう。かなり適性の必要な仕事なのだと思う。

 そしてそれは「つらいときにこそ、明るく陽気にしなければいけない」という思いを再確認させてくれる。それ以上、不幸につけこまれる隙を与えるわけにはいかないのだ。佐賀のがばいばあちゃんも、武田鉄矢のお母さんも、同じことを言っていた。

 しかも無理することなく。

 もちろんそんなこと、若いうちはできっこない。それでも年を重ねると、不思議なことにできちゃうんですよね、これが。だから齢をとるって、不思議で面白いと、しみじみ思う。