紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

モラルハザード

2008-01-20 22:01:33 | 読書
 カテゴリは読書だが、ペーバーではなく内田樹先生のブログである。ひさびさのスタンディング・オーベーションだった。

 タイトルは『モラルハザードの構造』1月19日の記事である。NHKの職員によるインサイダー情報による株取引で始まるモラルハザードの話だ。うっとりする展開の文章で、チカラの限り頷きながら読む。たとえばこんな箇所。

彼らは「フェア」ということの意味を根本的に誤解しているのだと思う。
おそらく、彼らは子どもの頃から一生懸命勉強して、よい学校を出て、むずかしい入社試験を受けてNHKに採用された。
その過程で彼らは自分たちは「人に倍する努力」をしてきたと考えた。
だから、当然その努力に対して「人に倍する報酬」が保障されて然るべきだと考える。
合理的だ。
だが、「努力と成果は相関すべきである」というこの「合理的な」考え方がモラルハザードの根本原因であるという事実について私たちはもう少し警戒心を持った方がよいのではないか。


あるいは、こんな箇所。

おそらく、彼らは「勝ったものが獲得し、負けたものが失う」ことが「フェアネス」だと思っているのだろう。
しかし、それはあまりにも幼く視野狭窄的な考え方である。
人間社会というのは実際には「そういうふう」にはできていないからである。


上記のナゾは下記で解説される。

「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援するのは、慈善が強者・富者の義務だからではない。
それが「自分自身」だからである。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」というのは『マタイ伝』22章39節の有名な聖句である。
それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。
私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。
そのような状態の人間は「アンダーアチーブする人間」であるから、それにふさわしい社会的低位に格付けされねばならず、彼らがかりにその努力や能力にふさわしからぬ過剰な資源配分を受けていたら、それを剥奪して、オーバーアチーブしている人間に傾斜配分すべきであり、それこそが「フェアネス」だという考え方をするということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を(つまり自分がかつて他者の支援なしには栄養をとることもできなかった幼児であった事実を、いずれ他者の介護なしには身動きもできなくなる老人になる可能性を)「勘定に入れ忘れている」からできるのである。


 たしかに「お年寄りの生活や心身の衰えていく様子」を日々みていると、ときどき病気になって辛い思いをしていると、謙虚にならざるを得ない。どんなにエラそうなことを言ったって、自分もいつどうなるか、わかったもんじゃない。

「自分のような人間」がこの世に存在しないことから利益を得ている人は、いずれ「自分のような人間」がこの世からひとりもいなくなることを願うようになるからである。
その願いはやがて「彼自身の消滅を求める呪い」となって彼自身に返ってくるであろう。


おお、なんとオソロシイことでしょう! でもこんなオソロシイことをする人たちを、私たちはえらく頻繁に日々目にする。しばしば嬉々として自分に呪いをかけている様子を見ると、ちょっと滑稽な気さえするのだけど。

何度も申し上げていることであるが、もう一度言う。
道徳律というのはわかりやすいものである。
それは世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。
それが自分に祝福を贈るということである。


これって究極の子育ての目標なのかも。

一時テレビなんかで「どんなお子さんになってほしいですか?」と市井の方にインタビューをされていたら、皆判で押したように「人に迷惑をかけない人になってほしい」っていうのを見たことがある。すごくヘンな気がした。私自身は人に迷惑かけまくりに生きているので、それが一番なってほしくない状態とは、認めたくなかったのかも。

 「世の中に自分のような人間ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になる」というのが究極の道徳律で、それこそが「自分に祝福を贈る」というのは、とてもハッピーな気分になるが、

世の中が「自分のような人間」ばかりであったらたいへん住みにくくなるというタイプの人間は自分自身に呪いをかけているのである。
この世にはさまざまな種類の呪いがあるけれど、自分で自分にかけた呪いは誰にも解除することができない。


こんなオソロシイことが、そのへんにゴロゴロころがっているのを見聞きするのは、心が痛む。自分で自分に呪い・・・負゚ぎ。

そのことを私たちは忘れがちなので、ここに大書するのである。

確かに「忘れがち」なのだ。せっかく内田先生が大書してくださったのだから、自分自身に呪いをかけるような愚行は慎まないとね。