紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

よしながふみはえらい。

2008-01-11 15:18:50 | 読書
 『ダ・ヴィンチ』の2月号の第2特集は「よしながふみは、すきですか?」というタイトルだった。彼女の(男女逆転時代SF漫画)『大奥』に感心した私としては、じっくりと読んでみることにした。彼女の『フラワー・オブ・ライフ』(大感動の青春漫画らしい)や、最新の『きのう、何食べた?』は未読だが、これも見つけたら読んで見たい作品である。何度か書評でも見たし。

 なんと「よしながふみ」のファン代表として、あの萩尾望都先生(ご存知、SFに造詣の深い少女漫画界の大御所)と三浦しをん先生(ご存知、好奇心溢れる直木賞作家)というビッグネーム対談もあるのだ。同業者の視点かつファンという微に入り細に入りながらもアツく愛にあふれた対談である。なんという贅沢! この対談を読んでから作品を見直したら、3倍は楽しめるかもしれない。それくらい濃い指摘が連打されている。さすがである。

 私はよしながふみは好きな作家さんだが、ファンではないので、「この号、購入!」とは思わなかったが、しかし「これはっ!!」と思ったのが、わずか1頁にまとめられた「よしながふみの言葉」。これは彼女の対談集『あのひととここだけのおしゃべり』(太田出版)よりの引用なのだが、ひとつひとつのパンチ力がノックアウトを決めている。

 たとえば少女漫画のファースト・ウエイヴ「24年組」(たまたま才能あふれる当時の画期的な少女マンガ家たちが、たまたまそろって昭和24年生まれだったため、こう呼ばれる)について語られている箇所を引用すれば

24年組の人たちは皆さん、
描いていることは多分同じなんですよね。
人間がオトナになる瞬間を描いていらっしゃる。
(太字は原文のまま。以下同じ)

ふっとばされました。確かに! ちなみに「24年組」のメンバーは青池保子、昼{恵子、萩尾望都、大島去q、山岸涼子etc.です。

 そして少女漫画については

でも結局私、少女マンガって一様に言えるのは
やっぱりマイノリティのためのものだなと思う。
 

この「マイノリティ」の意味合いとしては、単なる少数者ではなく、一般論や社会通念やいわゆる「大きな声の発言者たち」の意見に埋もれている、ちいさいけれど鋭い声、決してマスコミには取り上げられることは不可能な声、もしくはつぶされてしまった声、でも絶対に聞かれることを必要とされている意見ではないかと思う。この辺は少女マンガの伝統というか、お家撃ニもいうべきものかと思う。

 それから漫画家としての誇りというか、職人撃揩ツ人だからこその言葉も。

(仕事の理想としては)描いている側としては、
いいたいことがてんこ盛りの内容なんだけど、
読んでいる間はそんなことを人に思わせずに
面白く読んでもらうという。


あるいは

互いにわかりあえないことがあったときに、
その「わかりあえない」という思いが、私がものを描く原動力になる。
その「わかりあえなさ」を、
物語としていかに面白く、紙の上に落としこめるか
がまさに、
もの描きの醍醐味ではなかろうかと。


う~~ん・・・私に言えることはひとつだけ。よしながふみは、えらい!